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東京の音楽文化を発信し続けてきたレコード・ショップの歴史を、1903年から現在に至るまで丹念な取材によって綴った書籍『東京レコ屋ヒストリー』の発刊記念トークショーが、4月11日、HMV & BOOKS TOKYOにて、若杉実氏(著者)とピーター・バラカン氏(ブロードキャスター)を迎え、編集担当 播磨の司会により行われた。

レコードというのは一期一会の出会い、僕はむしろレコード屋のほうを探していました

── 若杉さんは、本が発売される一年ぐらい前から取材をされていたということですが。

若杉:途中数ヶ月中断はありました。今、レコードブーム、リヴァイヴァルとか言われてますが、取材期間中に2つの店が閉店されてしまって、レコード店の現状を身に沁みて感じました。実は20年ほど前から考えてた企画なんですが、斜陽期に入った今だからこそ書けたのかもしれません。これは本の前文にも書いたのですが、一昨年「渋谷系」という本の取材で十数年ぶりに会った元マンハッタンレコード代表の平川雅夫さんが、発売した年の年末に急逝されたんです。使命感じゃないですけど、ああいう時代を築いた渋谷・宇田川町のレコ屋の方の足跡を、歴史を踏まえつつ何かの形で残したいと思った。
バラカン:たしかによくここまで生き残ってきた…という店もありますからね。日本でCDが急に普及したのが1986年、それからちょうど30年経っているからね。今のにわかアナログ・ブームはここ2年くらい。海外ではそれなりに新譜もアナログで出てますが、日本では20年以上新譜はCDしか出ないという時代が長かった。でもこれだけ多くの店が残るというのはたいしたものだと思いますよ。

── 世界的に見たらどうなんでしょうか?

バラカン: CDにしても、「レコードを買うなら東京が一番」というのはずいぶん前から言われてます。

── バラカンさんはロンドンのレコード店で働いてらしたと伺ったのですが。

バラカン:一番最初の仕事がそうでした。僕が働いていたのはごくごく普通の売れるものを置いてるレコード屋。少しは輸入盤も置いてましたけど基本的にはイギリスの国内盤が多い、6店舗くらいの小さなチェーン店でした。入ったときはただの店員だから仕入れは関係なかった。僕の趣味はだいたい売れるものからちょっと外れていてね。その店はけっこうスタッフの入れ替わりが激しくて、4ヶ月目くらいから結局僕が店長になっちゃった。そこで仕入れも全部任されて。で、自分が興味がないものはどんどんレコード会社に返しちゃって(笑)、自分好みのものを入れるようにして。それでちょっと失敗したこともあるんだけど、一番よく覚えてるのはスパークスのアイランド・レコードに移籍して最初のヒット・アルバム『キモノ・マイ・ハウス』、ここに大ヒットした「ディス・タウン」が入っていて、アイランドの営業マンが店に来てその曲をかけて「これ何枚取れる?」って聞くので、自分の好みじゃないから「うーん、じゃ2枚」って。でも発売日にその2枚はすぐになくなっちゃって、あわてて再注文しなければいけない……なんてこともありました。
若杉:バラカンさんが店長をされてたお店の名前は?
バラカン:Cloud 7というチェーンだったんですよ。Musiclandという輸入盤専門店を2~3店舗買収してましたけど、今はとっくになくなってます。僕が勤めていたのはアールズコートの店で、学生の頃はロンドンのソーホーのMusiclandで一番よくレコードを買ってました。
若杉:僕も何度かロンドンに行って、レコード屋さんを巡るんですけど、だいたいが中古レコード屋。ちょっと驚いたのはエサ箱(レコードが入って売られている箱)のアルバムはジャケットだけで中身が入ってない。
バラカン:日本とイギリスの違いに関して、それを言おうと思ってたんです。そう、レコードは入ってないんです。なぜかっていうと盗まれるから。ジャケットだけ箱に入れて、レコードはカウンターの後ろの棚に入ってる。で、これもどこかで書いたんですが、棚卸しをしていたときに、棚にレコードはあるんだけどジャケットがないというのを発見したんですね。それはアトランティックから出たボズ・スキャッグズのデビュー・アルバム。で、どうせ売れないからと家に持って帰って聞いたんです。そうしたらすごい演奏だから翌日レコード会社に注文をかけて在庫用に1枚取ったんですよ。ジャケットを見たらマスル・ショールズの録音でドゥウェイン・オールマンが入っていて。これはすごいレコードだなっていうのを初めて知ることになりました。棚卸しのおかげで(笑)。そうやってレコードは箱には入ってなくて、若干置いてある店もあるんだけど当時はほとんどなかった。
若杉:さらに言えばビニール袋にも入っていなくて、むき出しですよね。
バラカン:入ってないです。僕も買ったレコードはビニールに入れないです。日本でのレコード屋のお客さんは神経が細かいからね。特に日本のコレクターの人はレコードをていねいに扱って、カビないように厳重にしてますね。今年の3月までの1年間アナログ盤だけをかける番組をやってたんだけど、そのとき自宅の棚から出したレコードのジャケットはカビてるものがけっこうありました。
若杉:それは日本に住まわれてからですか。
バラカン:もちろん。ロンドンは案外大丈夫なんです。去年も実家から20枚くらい持ってきたんですけど全然カビてない

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レコ屋あれこれ

── 若杉さんは最初に行かれたレコード屋は覚えてらっしゃいます?

若杉:田舎だったので、子供の頃は親に連れられてスーパーの中にあったレコード屋に行きました。初めてレコードを意識したのは中学生の頃。お恥ずかしい話、その頃ブレイクダンスをはじめたんです。グラミー賞でハービー・ハンコックが演奏した「ROCK IT」のステージをたまたまテレビで見て、すごい衝撃を受けた。そこで彼の名前を知って、街のレコード屋さんで日本盤のシングルを買いました。店員さんに「フュージョン」っていうジャンルの人だと教わって(笑)、そこから一気に洋楽、ダンスミュージックへ。その後は、当時全盛だった貸しレコード屋へ毎日のように行ってました。
バラカン:アナログ盤ブームが話題になって、レコードが売れるようになったから、安いターンテーブルも出てきて、これまでアナログのレコード盤に触ったことがなかった人も興味を持つわけで。そうやって入り口として安いターンテーブルを買って、レコードを聞くことの楽しさを覚えれば、その面白さに気付く若い人も多いと思うんですよ、そう願いたいし。

── バラカンさんは74年に来日されて吉祥寺に住まれたとのことですが、芽瑠璃堂に行かれていたとか?

バラカン:近所のレコード屋さんだったからフラッと入ったと思うんですけど、店の雰囲気がすごく良くてね。細長くて狭い店で、壁にジャケットがいっぱい飾ってあって。僕がジャケットを見てると、店員さんがいろいろと教えてくれたり、丁寧でしたよ。ロンドンで僕が通っていたMusiclandもそうですけど、何度も通って顔見知りになると楽しい話ができたり。やっぱりレコード屋はそういう存在であって欲しいですね。大型店はすごく便利で行けば目当ての物はたいていあるんだけど、そういう関係はなかなか持てない。
若杉:芽瑠璃堂のオーナーの長野さんがおっしゃってたんですけど、バラカンさんがイギリスから日本に自分のレコード・コレクションを結構持ってきたんだけど、芽瑠璃堂に行ったら、持ってこなくてもよかったかな…というくらいの充実度だったという。
バラカン:それは驚きでした。ロンドンから小さなレコードケースにどうしても手放せない愛聴盤を20枚くらい入れて持って来たら、東京にはなんでもあるからホッとした。芽瑠璃堂と当時竹下通りにあったメロディハウスっていう店がすごく良くて週1回くらいの頻度で行ってたと思います。
若杉:当時、青山骨董通りのパイド・パイパー・ハウスへは行ってらっしゃらなかった。
バラカン:何年か経ってから知って行ったらびっくりした。当時キャプテン・ビーフハートの『トラウト・マスク・レプリカ』っていう名盤というか珍盤、69年に出たものでとっくに廃盤だろうと思ってオーナーの長門さんに聞いたら、「いや、あれは廃盤になったことがない。カタログで生きてる」って。すぐ注文して買ったというのを覚えてます。そういう小さい所のレコード屋さんだったら、そういうことも知ってるというのがすごく印象的でした。

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それぞれの思い出のレコード

── 今回おふたりにそれぞれ思い出のレコードを持ってきていただきました。

バラカン:一番最初に買ったレコードということで、これを持ってきました。もう手元にはなかったんですけど、番組のリスナーが見つけてくれてわざわざ買ってくれたんですよ。シャドウズの4曲入りEP盤『THE SHADOWS TO THE FORE』。10歳くらいの時に持ってたレコードなんですけど、「アパッチ」と「マン・オヴ・ミステリー」「ザ・ストレインジャー」「F.B.I.」の4曲入り。61年頃、シャドウズも初期のメンバーですね。あと思い出のレコードということで持ってきたのがドニー・ハサウェイのライヴ盤。72年の盤だから僕が大学3年生のときのレコードで、Musiclandで買ったんじゃないかと思うんだけど、それまでにない感じのソウル・ミュージックですごい衝撃を受けました。生涯の愛聴盤のひとつで、今でもCDでよく聴きます。これは相当聴いたレコードですね。そしてもう一枚持ってきたのは今日届いたチャールズ・ロイド&ザ・マーヴェルズの『アイ・ロング・トゥ・シー・ユー』。CDで聴いてたんだけどアナログも出るというので買ってしまった。

── ここでシャドウズのEPから「F.B.I.」をかけましょう。

バラカン:このEPとかをイギリスで聴いてたレコード・プレーヤーはモノラルの蓋の付いた重いもので、60年代の終わりまでずっとそれでした。当時のイギリスではダンセットというメーカーがレコード・プレーヤーの代名詞と言われるくらい強かった。ステレオは大学1年の夏休みにバイトをしたお金を全部つぎ込んで、1970年に初めて持ったんですよ。
若杉:今回僕が思い出の一枚で持ってきたのは1975年に500万枚を売った「およげ!たいやきくん」。幼稚園のときに地元のスーパーの中の店で買ってもらったのかな。これはこの本の取材で聞いたんですけど、今もまだある浅草の宮田レコードさんという演歌系が強いお店でも当時すごい売れ行きで、一、二ヶ月、毎日100枚くらい売れていたらしい。店内ではさばけないので外にテーブルを置いて売ってたという話でした。
バラカン:70年代の日本の売れ線の曲はテレビでよく聞いてました。歌番組が多かったから、自分が買わない曲もみんな知ってた。好きでも嫌いでもいいから共通の話題が持てるというのは、今懐かしい感じですね。今はそういうこともなくなって、誰かが言ってましたけど、100万枚売っても100万人のマニアしか知らないって。上手いこと言うなって思いました。
若杉:この曲が好きかって言われたらそうじゃないんですけど、ヒット曲の魔力というか、今とは違って当時の世相まで思い浮かぶ。

── では子門正人の「およげ!たいやきくん」を聞きましょう

自分にとって、レコード屋さんとは?

── では最後に、レコード屋さんというのはお二人にとってどんな場所ですか?

若杉:「孤独なオトコの墓場ならぬ穴場、聖地」でしょうか。後ろめたさもあるけど居心地のいいところ。洗練されすぎたり快適すぎたりしてもつまらないんです。それとは別で、ほんとはこういう言い方は絶対したくないんだけど、レコード屋さんというのは自分にとっての学校だった。大学時代は下北沢のフラッシュ・ディスク・ランチに毎週末の土日に並んでレコードを漁ってました。卒業式もすっぽかして、そのときのスーツ代もつぎ込んで。だからそれなりにお店には月謝を払ってたことになる(笑)。学校って言えば学校ですね。
バラカン:僕も高校生のときにそういう体験をしてますね。今はもうないんですけど、ロンドンの中心部にドーベルズっていうジャズのお店と、その隣にフォークの専門店があって。フォークの店はブルーズのレコードも多かった。高校生の頃、僕はブルーズにのめり込んでたんだけど、お金がないから、土曜日の朝10時の開店と同時に店に入って、2時間くらいエサ箱を見てるふりをして店内でかかったものを全部聞いてた。それで気に入ったものがあると新聞配達のバイトで入るお金で翌週買いに行ってました。やっぱりみんなそういう時期を過ごすんですね。毎週末土曜日の朝は行くから、そのうち店の人も顔なじみになって、エサ箱に出してないブートレグ盤もカウンターの下から出してくれたりとか。最近は時間もあんまりないから、恥ずかしい話ですけどwebで買うことの方が多いですね。でも中古盤に関してはやっぱりレコード店に限る。もちろんe-bayとかでも買うことはできるんだけど、やっぱり掘る(レコードを探す)ことの楽しさ。これは若い人が楽しむものだと思います。

── 時間がないとできないことだから。

バラカン:そうそう。
若杉:それと、ちょっと変に知識がついちゃうと堀り甲斐がないというのがあるかな。リアル・ショップ、実店舗がどんどん減ってきてるのは事実ですけど。
バラカン:小さいレコード屋さんだと店員も聞きながら仕事してるから、音が常に出てますよね。通りかかった人もその音に惹かれて入ってくるというのも結構あった。僕の経験では、レコード屋に入ってくる人は3人にひとりくらいは何を買いたいか分かってないんです。なんとなく入ってきて、お金もちょっと余裕があって、店内で流れてるのがいいと「これなんですか?」って聞きにくる、そこでジャケットを見せて説明すると結構売れるんですよ、それが。自分たちの好きな音楽を人が買っていく…というのはすごい満足感があるんです。これはチャートを上ってなくても、一店舗のレコード屋だけで起きることもありましたね。
若杉:レコードというのは一期一会の出会いで、たまたま出会っておもしろければ買ってました。探していたのはむしろレコード屋のほう。他の人と被らないようにお店を探す……それがマニアとしての極意になってくるんです。昔、僕が住んでた東北沢、何もない駅なんですけど、なぜか駅前に大きな中古レコード屋さんができたことがあって。そこは結局3年くらいでなくなるんですけど、今回調べたらレコード・マップとかにも載ってなかった。でも、僕にとってはお店ごと引き当てたような感覚でしたよ(笑)。

「東京レコ屋ヒストリー」のご案内

東京レコ屋ヒストリー

四六判/464ページ/本体 1,800+税

2014年に刊行されて好評を博した「渋谷系」の著者・若杉実が、そこで掘り下げた渋谷のレコード文化からさらに視野を広げて、戦前(1930年代)からの東京のレコード店(=レコ屋)の歴史を、当事者や関係者への取材、各種文献の確認などを踏まえて総括する一冊。アナログ盤の見直しやRECORD STORE DAYの浸透、HMVの新たな店舗HMV record shopの展開など、レコード文化に対する興味が再燃している現在、音楽ファンやカルチャー好きが知りたいこと満載のバイブルとなるでしょう。

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