60年代〜70年代のビートルズ現役時代、日本にあったビートルズ公認ファン・クラブの全貌が初めて明らかとなった一冊『「ビートルズ・ファン・クラブ」大全』。その出版記念トーク&ライヴ・イベントが7月1日池袋LIVE INN ROSAにて行われた。折しも同会場の上階の映画館、池袋シネマ・ロサでは「A HARD DAY’S NIGHT」を上映中とあって、リアルタイム世代も含めた幅広いビートルズ・ファンが集った一夜となった。

ビートルズ現役時代の公認ファン・クラブ“BFC”の全貌が明らかになった貴重な一夜

▪︎第一部 「ビートルズ・ファン・クラブ」大全を語る

第一部は同書の著者大村 亨さんと編集を担当した美馬亜貴子さんが登壇、書籍にも書かれていないエピソードも含め当時の貴重な資料や話が披露された。
大村さんはこれまで『「ビートルズと日本」熱狂の記録』など、当時の新聞、雑誌、テレビ番組などを緻密に調べ上げることで、ビートルズと日本の関係を新しい視点から捉えた研究家。その独自の研究手法は驚くべきもので、毎週末国立国会図書館に篭り、該当期間の新聞、雑誌を調べ尽くす──というもの。

 

美馬:これまで調べられた資料はどれくらいの種類、ヴォリュームなんですか?

大村:「熱狂の記録」の頃(2016年)の数なんですけど、新聞が三大紙(朝日、読売、毎日)と東京新聞、スポーツ新聞10紙の計14紙。ページ数にして67万6423ページ。63年から70年12月31日までなので…。

美馬:延べにして100年分の新聞!

大村:週刊誌が18誌で全114万8400ページ。

美馬:狂気の沙汰としか思えないですね(笑)。

大村:でも東京の新聞しか見てないんですよ、この他に地方紙もあるので。今、70年代も調べ始めてはいるんですが、なかなか大変で。

美馬:研究は今も続行中と。で、今回の『「ビートルズ・ファン・クラブ」大全』の研究はどういった経緯で始められたんですか?

大村:ビートルズ・ファン・クラブ=BFCは、ビートルズ公認のファンクラブで、1966年7月1日、ちょうど今日ですね、公認されたのが。

『「ビートルズ・ファン・クラブ」大全』はこれまでの資料調査とは違い、偶然も含めた人と人との繋がりの賜物──と大村さんは語る。ビートルズ・コレクターとして有名な吉川功一さんから託されたBFCの65年3月から解散までの会報がきっかけ。そこには会報以外にもハガキなど貴重な資料も含まれていた。しかしそれ以前のBFCの活動詳細は未確認のまま──だがここでまた新たな人との出会い・繋がりが奇跡を起こす。
そもそもBFCは映画館松竹セントラル支配人の下山鉄三郎さんが立ち上げたファン・クラブ。1964年、映画「A HARD DAY’S NIGHT」(日本公開当時の邦題は「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」)の封切館として集まった熱狂的なファンをまとめ上げたものだった。だが68年、下山さんの異動により一時活動を休止。そこで事務局の手伝いをしていた3人の女性会員が運営を託され、後期BFCの活動を支えることとなる。
そして今回、会報最終号にあった名前を頼りに、伝手を辿りようやく会うことができたその3人の元スタッフの方から提供された貴重な資料により、本書の作成は大きく進むこととなる。

大村:お会いしたときに、“BFCに関する当時の資料は何かないですか?”と伺ったところ、大きな台車にダンボール箱を積んで資料を準備してくださって。その中に下山さん時代から引き継いだ資料や、彼女たちが運営をしていた頃のものとかが入っていて。

美馬:二方向から集まってきたものがひとつになって『「ビートルズ・ファン・クラブ」大全』はできた──と。本の帯に<「日本ビートルズ史」における超弩級の歴史的発見!!>と付けさせていただいたんですけど、どういったところが超弩級なんでしょうか。

大村:まず、BFCの会報が全号コンプリートで揃って載っていること。それ以外のハガキやメモや紙っぺらみたいなものまであります。さらに、本の最初に会報の第12号が精巧な復刻版として綴じ込みで入っています(「BFC公認となる」「ビートルズと過ごした一時間半の印象と感想」「ザ・ビートルズ訪問記」「Revolver収録曲リスト」などの記事が掲載されている)。

美馬:当時BFCの会員は何人くらいだったんですか。

大村:66年の来日時期が最盛期で8,640人。その後ガクンと下がっちゃうんです。彼女たちが運営してた頃は多分1,000人弱だったと思います。

美馬:それでも会報を作って手作業で発送していた。

大村:学業の合間にやっていたんだから凄いですよね。

美馬:中心人物の新井さんにお会いして、当時の模様を伺ったときはどういう印象でしたか?

大村:一番印象深かったのはBFC解散間際の頃の話です。<正直、ビートルズがなくなってしまったのに、なぜファン・クラブを続けなくてはならないんだろう>という思いはあったらしいんです。ただ、“オフィシャル”と名前に付いている以上、自分たちからはやめられない──という逡巡があった。最終的には英国本部のフリーダ・ケリーの方から、<UKオフィシャル・ファン・クラブを解散する>という連絡がきて、「ようやく肩の荷をおろせる」という気持ちだった──というのが印象深かったですね。

美馬:会報に乗せるための情報もないし、会費を納入する人も少なくなって財政的にもかなり逼迫していたようでしたし。──それで、スタッフOGからお借りしたBFCの資料はどうやって整理されたんですか?

大村:それこそ引越し用のダンボールにごちゃっと入っていたものを、とりあえず全部見て、ファイルに入れて年代順別に分け、エクセルでリストを作りソートして、これとこれはこう繋がる──と。
会報印刷時の領収書なども出てきたので、「これは何月号分だな…」とか、ニヤニヤして、滅茶滅茶面白かったです。普通の人にとっては狂気の沙汰かもしれないですけど(笑)。

美馬:わずかなヒントから探っていく考古学的なところもありますね。中にはとんでもない発見もあったとか。その中でも大村さんの心をアゲたのは何でしょう。

大村:来日のときのチケットに関するものなんです。ビートルズの日本公演が決まった時、下山さんはプロモーターの協同企画と、主催の読売新聞社へ「チケットをBFC用になんとかしてください」という手紙を出していて、その中に<全国の会員のために一公演のチケット全部を買い取らせて欲しい>と書いてあるんです。これは元スタッフの新井さんも最近まで知らなかったみたいです。で、実はビートルズ側、ブライアン・エプスタインにも直訴の手紙を出していて、その直訴に対するエプスタインからの返信が出てきたんです。そこにはエプスタインの署名入りで、「この件(会員がチケットを取れない状況)に関して非常に同情の念を抱いており、早速協同企画に対しコンタクトを取り、ことの処理に当たるよう伝えました。この状況を脱するために、私のできることは可能な限りさせていただきます。ブライアン・エプスタイン」と書いてある。そしてこの後、協同企画の永島達司さんがBFCにチケットを渡しているんです。エプスタインのトップダウンですね。

美馬:こうしてBFCの会員は公演を観ることができた。

大村:そういうことが分かりました。他にも、65年に行なったイベント(映画会)にビートルズ側からもらったお祝いメッセージの電報なども発見されました。まだ公認ファン・クラブではなかったにも関わらず、ファンを大切にするビートルズの姿勢が伺えます。66年来日時も、7月1日にBFCは独占会見をしていますし、その時に有名な「日本の印象(東京の印象)」というメンバー4人の共作による絵がBFCに贈られています。これは会員から募った寄付金で買った4人へのプレゼント、それはSONY製のトランジスタラジオなのですが、そのプレゼントへのお返しとして彼らから贈呈されたものです。独占会見もBFC会員のためだけのもの──ということで、他のメディアでは一切発表されていませんから、会報12号、つまりこの本の綴じ込みでしか読めません。なお、他の会報も<読めるサイズ>で本書に全号を復刻掲載しています。

大村さんのコメントに何度も出てくる<ファンを大事にするビートルズ>を象徴するエピソードが次に紹介された。68年8月、各国のオフィシャル・ファン・クラブ支部長宛に12枚の写真ネガが届けられた。これは各国支部の資金援助としてビートルズから無償提供されたもの。用途は各支部に任せ、運営資金が足りない場合は有償販売も可、その場合でも売り上げのバックは要求しない、唯一の指示はメディア掲載の場合の写真クレジット表記のみ──というもの。当時、財政面や人員面等の理由で休会中だったBFCだが、これをきっかけに下山会長はBFC再開を決意する。

最後のトピックとして、当時のBFC会員アンケートが紹介された。1969年3月に実施され278人が答えたアンケートでは、会員にとってリアルタイムのビートルズがどのように捉えられていたのかを窺い知ることができるものだ。女性57.2%:男性42.8%/高校生56.8%:大学生14.7%:会社員11.5%の構成比率。4人中3人は1965年以前からのファンで、尚且つ69年でも会員だったという非常に濃いメンバーたち。ちょうど日本では『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』が発売されて少し経った頃、メンバーの風貌も変わり、ジョンとヨーコの“奇行”が世間を騒がし、個人活動が増えビートルズの先行きも怪しくなった頃のリアルなファンの声。設問は「最近のビートルズをどう思いますか、また今後どのような活躍を望みますか?」というものだ。

●BFC会員アンケート回答
◎ジョン・レノンの行動が気に食わない。とにかく自分勝手なところがありすぎる。もっと子供のことを考えなくてはいけないと思う(18歳・男性)
◎アップルの仕事で忙しいようだけど、少しは映画などを作って私たちの前に姿を見せてほしい。彼らが正しいと思うことをどんどんしてほしいが、ジョンはヨーコ・オノと別れるべきです(19歳・女性)
◎ジョンはあまりにも乱れている。ふしだらといったら言い過ぎだろうか。ポールは本当に太り過ぎ! 昔の、ファンにキャアキャア騒がれていた頃の方が私は好きだ。でも、もはやそのような年齢ではない。ビートルズ、たとえグループを解散しても、平気である。彼らそれぞれの道があるし、私も遠い昔を思い出し、楽しむこともあるから(19歳・女性)
◎今のビートルズはどこか狂っていると思います。ジョンはシンシアやジュリアンを捨ててまで小野洋子と結婚し、ジョージも麻薬のことでつかまり…。早く立ち直ってほしいと思います。公私ともにもう少し考えて行動してほしいと思います(19歳・女性)
◎ジョンのファンである私ですが、今の彼は嫌いです。小野洋子さんのこと、別に反対ではありません。むしろ、日本人の彼女ですから、頑張ってほしい。しかし、シンシアと別れたことは反対です(18歳・女性)
◎名前だけでレコードが売れていると思う。クリームの方がよっぽどいい。新しいことをやっても最近はパッとしなく、ちっとも面白くない(18歳・女性)
◎全くがっかりしている。進歩に伴う変化は当然ながら、初期の純粋さやすなおさは今では全く見られず、また、私生活の乱れも、彼らの人格を疑いたくなるようなところが多い。これからのレコードはもう買わないつもりでいる(18歳・男性)
◎私は彼らの行動(いろいろ批判を受けていますが)に対して、とやかく言いたくはありません。彼らは常に私たちより一歩進んでいます。私はそう信じています。彼らは凡人ではありません。まれにみる天才なのです。私に何が言えるでしょう。彼らが幸福であってさえいてくれたら、それでいいのです(17歳・女性)

美馬:推しが尊い──という感じですね。ずっと聞いていたいんですけど、そろそろお時間が──。このアンケートの内容は抜粋が本書に載っています、その他にも今回発掘された色々な情報が載っていますので、是非皆さんに楽しんでいただきたいと思います。細部までよく読んでくださいね。

大村:ありがとうございました。

 

▪︎第二部 トリビュート・バンド ライヴ
A HARD DAY’S NIGHT Special Band

この日LIVE INN ROSA上階の池袋シネマ・ロサでは「A HARD DAY’S NIGHT」上映中ということもあり、トリビュート・ライヴはアルバム『A HARD DAY’S NIGHT』収録楽曲に、映画の中で演奏されたナンバーなどをプラスした豪華なメニュー。
初期コスチュームに、ビートルズと同じ楽器を手にしたA HARD DAY’S NIGHT Special Bandが熱狂の1964年のステージを再現した。
終演後、大村さんのサイン会が行われた。

 

◆A HARD DAY’S NIGHT Special Band
山口大志(john)[The River Birds]、シェイク木本(george){The Beatmasters、The Rain、Peace On Earth}、手島正揮(paul){The Beat Rush、The River Birds}、あんちゃん☆(ringo) {The Beat Rush}

◆演奏曲目
1 ア・ハード・デイズ・ナイト (A Hard Day’s Night)
2 恋する二人 (I Should Have Known Better)
3 恋におちたら (If I Fell)
4 オール・マイ・ラヴィング (All My Loving)
5 ぼくが泣く (I’ll Cry Instead)
6 ドント・バザー・ミー (Don’t Bother Me)
7 テル・ミー・ホワイ (Tell Me Why)
8 アンド・アイ・ラヴ・ハー (And I Love Her)
9 アイル・ビー・バック (I’ll Be Back)
10 今日の誓い (Things We Said Today)
11 アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン(I Wanna Be Your Man)
12 ジス・ボーイ(This Boy)
13 キャント・バイ・ミー・ラヴ」(Can’t Buy Me Love)
14 すてきなダンス (I’m Happy Just To Dance With You)
15 エニイ・タイム・アット・オール (Any Time At All)
16 家に帰れば (When I Get Home)
17 ユー・キャント・ドゥ・ザット (You Can’t Do That)
18 シー・ラヴズ・ユー(She Loves You)
19 ロング・トール・サリー(Long Tall Sally)

 

書籍のご案内

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    A4判 / 320ページ / ¥ 3,850

    奇跡!! 「日本ビートルズ史」における超弩級の歴史的資料を発見!!
    ビートルズ現役時代、日本にあった公認ファン・クラブの全貌を初公開!!
    来日時の独占会見を掲載、会報の全号を紹介。
    特別付録:1966年の会報を忠実に復刻した折り込みポスター

    ビートルズ現役時代、日本にあったビートルズ公認ファン・クラブ『ビートルズ・ファン・クラブ(BFC)』の全貌を初公開。BFCとは、本国のオフィシャル・ファン・クラブの日本支部として65年~72年まで活動していたクラブです。本書は、当時の会員しか知らなかったその活動内容の詳細とリアルタイムのビートルズの状況をまとめた一冊。「会報全号の復刻(日本初)+解説」というスタイルで、著者は『「ビートルズと日本」熱狂の記録』などの大村 亨氏なのでその内容に関しては緻密かつ熱狂的。ビートルズ・ファン・クラブがビートルズをどうやって広めていったのか? 日本におけるビートルズ・ファンの実態はどのようなものだったのか? 『「ビートルズと日本」熱狂の記録』と同様に、当時のビートルズ旋風が新しい視点で伝わってくる内容です。公認ファン・クラブだけに、ブライアン・エプスタインと直接連絡を取って来日公演チケットの斡旋をしたり、メンバーから会員に向けてのメッセージがあったり、そして遂には来日時に独占インタビューまで実現。会報第1号から最終号までの全号を完全復刻。当時のファン・クラブ会員のアンケートや会員証、ブライアン・エプスタインとの手紙のやり取り、ファン・クラブを大事にしていたビートルズの逸話など、貴重な資料も満載。当時の関係者の取材やその背景までを描いて、『ビートルズ・ファン・クラブ(BFC)』の歴史をまとめた、今までになかった切り口のビートルズ本です。

    <注目ポイント>
    ●『ビートルズ・ファン・クラブ』の会報が全号揃ったのは奇跡的。特に初期のものはわら半紙にガリ版刷りのペラ紙で、現存数は僅少。関係者でも叶わなかった全号コンプリートを初めて実現。
    ●ビートルズの来日取材、会長がブライアン・エプスタインに来日公演のチケットの件で直接相談、ビートルズが活動資金捻出のために写真を無償提供など、ここでしか読めないリアルな情報が満載。
    ●会報やハガキといったファンクラブからの送付物はもちろん、当時の幹部スタッフ宅から発見された貴重な資料を初公開。
    ●『ビートルズ・ファン・クラブ』に関する書籍は今まで1冊もなく、本書が初。

    <主な内容>
    236名からの活動スタート/会員イベントにビートルズからの祝電
    会員8000人突破/エプスタインが会員向けチケット確保を約束
    ビートルズとの来日会見/会を引き継いだ3人の少女
    フリーダ・ケリーとの心温まる交流/本国からのファン・クラブ独占写真の提供
    熱い想いが溢れた会員アンケート/ポール脱退反対のデモ行進

    【CONTENTS】
    ごあいさつ
    まえがき
    本書について

    BFCヒストリー 1964年〜1972年
    1964年の準備期を経て翌1965年1月に創設。1972年3月に解散するまでの歩み

    ファン・クラブ概要

    準備期 1964年8月〜12月
    きっかけは『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』日本初公開

    第1期 1965年1月〜1968年9月
    下山鉄三郎氏を会長に始動、236名でのスタート/松竹セントラル内に事務所設立/ビートルズへのファン・クラブ発足報告/会員イベント『BFC大会』にビートルズからの祝電/会員8,000人突破/来日公演で2,000枚のチケットを確保/ビートルズとの会見/4人が日本のファンのために描いた絵/BFC、日本の公認ファン・クラブとなる/来日後の活動/会員数激減/下山氏の異動による活動休止宣言

    第2期 1968年10月〜1970年3月
    会を引き継いだ3人の少女/会員数1,000人での再始動/会報の月刊化/フリーダ・ケリーとの心温まる交流/本国からのファン・クラブ独占写真の提供/会員アンケート/『イエロー・サブマリン』試写会開催

    第3期 1970年4月〜1972年3月
    スタッフ増強/Get Back To B.F.C/冊子形式の会報/ポールの脱退で揺れるファン・クラブ/ポール脱退反対のデモ行進/ジョンとヨーコ来日/ビートルズ解散/英ファン・クラブの散開/last issue発行

    あとがき
    参考文献・作成協力
    付録「BFC活動年表」 「1970.4.18『ゲット・バック・ポール・デモンストレーション・パレード』の様子」

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