「ページをめくるとジャズが聞こえる 村井康司《ジャズと文学》の評論集」の発刊記念イベントが、3月21日四谷のジャズ喫茶いーぐるにて開催された。当日は本書関連の楽曲を交えた村井氏による2時間強に及ぶトーク・イベントとなった。
まず最初に「ページをめくるとジャズが聞こえる 村井康司《ジャズと文学》の評論集」の構成が解説された。

〈ジャズ・エイジ〉を代表する作家スコット・フィッツジェラルド、〈ビート・ジェネレーション〉の作家ジャック・ケルアック

パートⅠ は〈小説やエッセイの中のジャズについて〉として村上春樹、スコット・フィッツジェラルド、ボリス・ヴィアン、ジャック・ケルアック、『上海バンスキング(斎藤憐)』、久世光彦、和田誠、佐藤泰志らの作品に出てくるジャズを。パートⅡの 〈ジャズや他の音楽の本の書評集〉は1P〜2Pの短めの書評を20点ほど集めたもの。パートⅢは〈ジャズ評論家やジャズ・ミュージシャンについて〉として、野川香文、油井正一、相倉久人といったジャズ評論の大先輩たちについて書いたものや、中山康樹、山下洋輔、南博、『あまちゃん』(大友良英)、菊地成孔、大竹伸朗 についてそれぞれ書いたものを集めました。だいたいそういった三部構成になっています。
 音楽を中心というよりむしろ文章の中で音楽がどんな風に使われているか、に着目しています。それで、今回はSpotifyのプレイリストを作成しまして、例えば村上春樹150曲、ジャック・ケルアック30曲といった要領で全462曲分のプレイリストが聴けるよう各文章(※すべてではない)のおしまいに楽曲一覧とQRコードを付けました。文章を読みながらスマホなどで曲が聴ける仕組みになっていますので、ご活用いただければ幸いです。

第一部 F・スコット・フィッツジェラルド

    今日はテーマを二つに絞ってお話しさせていただきます。第一部はスコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」、第二部はジャック・ケルアックの「オン・ザ・ロード」を取り上げて音楽を聴きながら話していこうと思います。
 まずはスコット・フィッツジェラルド。19世紀の終わり、1896年に生まれて第二次世界大戦が始まった時期の1940年に44歳で亡くなるんですが、フィッツジェラルドは日本では村上春樹が翻訳したことで、近年すごく読まれるようになっていまして、中でも誰でもが認める最高傑作は「グレート・ギャツビー」。映画にもなっていて、特に有名なのは1974年にロバート・レッドフォードが主演した「華麗なるギャツビー」と、2013年にレオナルド・デカプリオが主演したもの。どちらもよく出来た映画ですので、機会があったら観ることをお勧めします。 
 時代設定は1922年のニューヨーク郊外のロング・アイランド。そこに住むジェイ・ギャツビーという成り上がりの大金持ちが毎週毎週豪華なパーティを開き、そこにニューヨーク中の遊び人が集まって来てはジャズ・バンドの演奏に合わせて踊り狂う、ということが行われていた──という設定です。この本は1924年に書かれて1925年に出版されるという、ちょうど1920年代の一番好景気の時代の作品なんですね。
 第一世界大戦後、まだ復興を遂げていないヨーロッパに比べて比較的人的被害が少なく、もちろん国土は無傷なアメリカ、特にニューヨークでは株の投資で大儲けした人たちが毎晩ドンチャン騒ぎをしていた。〈ローリング・トゥエンティ〉〈ジャズ・エイジ〉と呼ばれた時代です。この〈ジャズ・エイジ〉という言葉を最初に使って広く知らしめしたのがスコット・フィッツジェラルド。彼は1920年に『楽園のこちら側』という長編でデビュー、1922年に出した短編「ジャズ・エイジの物語」も大ヒットして、〈ジャズ・エイジ〉を代表する作家になるんですね。その後に出したのが「グレート・ギャツビー」。まぁ浮かれきった時代の人々の話ではあるんですが、実は非常に悲しい話です。ではまず、「グレート・ギャツビー」のパーティでは、どんなバンドが演奏していたのか、ということから始めましょう。

 フィッツジェラルドはこう書いています。「五人編成のちゃちなものではない、オーボエやらトロンボーンやらサキソフォンやらバイオリンやらコルネットやらピッコロやら、大小いろいろのドラムやらが、オーケストラ・ピットに勢揃いした本格的なやつだ。」(村上春樹訳)。
 おそらくこれは当時すごく人気のあったポール・ホワイトマン・オーケストラという大人数の楽団のイメージをフィッツジェラルドは思い浮かべていると思います。ポール・ホワイトマン・オーケストラは1920年代に大人気になった、当時のアメリカのジャズを代表する──ま、ジャズと言えるかどうかは議論がありますけれど、普通のジャズのバンドの編成以外にストリングス・セクション、弦楽器がたくさん入っている楽団で、非常にゴージャスな音を出していました。それが、派手なパーティで演奏していた……とフィッツジェラルドは構想したんだと思います。
74年版の映画「華麗なるギャツビー」の音楽はネルソン・リドルというフランク・シナトラ全盛期のアレンジで有名な編曲家がやっていて、彼は20年代のジャズのことなど非常に詳しく知っている人なので、きちんと時代考証をして音楽を作っています。
 ポール・ホワイトマン・オーケストラはシンフォニック・ジャズと呼ばれていて、セミ・クラシックというか、20世紀のクラシックの要素をジャズに取り入れた音を作っていました。一番良く知られているのはジョージ・ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」。世界初演したのがポール・ホワイトマン・オーケストラで、1924年2月12日ニューヨークのエオリアン・ホールでのこと。これは伝説的なコンサートで、ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」以外にも何人かの作曲家の大作をポール・ホワイトマン・オーケストラが演奏しました。
それで、「グレート・ギャツビー」のパーティで大楽団はどんな曲をやっていたかというと、これは小説に出てくるのですが、司会者が“ミスタ・ギャツビーのご希望により、これよりミスタ・ウラジミル・トストフの最新の作品を演奏いたします”というシーンがあって、演奏されたのは「ウラジミル・トストフのジャズ版・世界の歴史」という曲。もちろんそんな曲は存在しないのですが、「ラプソディ・イン・ブルー」のような20分ぐらいの大作じゃないのかという気はします。
 ではここでポール・ホワイトマン・オーケストラの演奏している「ラプソディ・イン・ブルー」を聴いてみたいと思います。1926年にジョージ・ガーシュイン自身のピアノでポール・ホワイトマン・オーケストラがスタジオ版用に録り直したヴァージョンです。現代の演奏に比べて短くて楽器編成も小規模なものですが、元々はこんな感じだったというのがよくわかる演奏だと思います。

♬ 「ラプソディ・イン・ブルー」ポール・ホワイトマン・オーケストラ

 ポール・ホワイトマン・オーケストラで、ピアノはジョージ・ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」、スタジオでの初演でした。こういう感じの音楽をフィッツジェラルドはイメージしていたんだと思います。非常に豪華といえば豪華な音です。

「グレート・ギャツビー」には歌の歌詞が出てくる場面が二箇所あって、それはちゃんと意味があるんですね。一つは「アラビアの酋長(ザ・シーク・オブ・アラビィ)」。この曲は1920年代はじめにヒットしたアメリカの当時のポップスで、非常に他愛のない「♬私はアラビアの酋長、夜になったらあなたのテントに忍び込む」といった内容の歌。主人公の横恋慕を話題にしているとき、この曲を、たまたま通りかかった通りで子供たちがみんなで歌っているシーンがあって、歌詞がその内容を示しているということだと思います。それでは「アラビアの酋長(ザ・シーク・オブ・アラビィ)」を聴いてみたいと思うのですが、今日用意したのは20年代のジャズではなくて、60年代のジム・クウェスキン・ジャグ・バンドのものを。このバンドにはマリア・マルダーやジェフ・マルダーも在籍していました。

♬「アラビアの酋長(ザ・シーク・オブ・アラビィ)」ザ・ジム・クウェスキン・ジャグ・バンド

 たしかに子供がよく歌っていそうな他愛もない歌ですけど、フィッツジェラルドは曲の選び方をよく考えていたみたいで、「エイント・ウィ・ガット・ファン」を次に紹介するんですけど、これも歌詞が小説に引用されていて、なぜか英語の原文では歌詞が全部大文字で書かれていて、ものすごく深い意味がある──という感じなんです。「グレート・ギャツビー」という小説は人が貧しいとかお金を持っているとか、あるいは育ちがいいとか悪いとかといったことが非常に重要な意味を持つ小説で、主人公のジェイ・ギャツビーは元々貧しかったのが頑張ってのし上がって大富豪になるんだけど、多分何か後ろ暗いことをしているという設定。ストーリーは他の元々ハイソサエティの人たちと、彼のような一代で成り上がった人の間の恋愛事情。ですから貧富の差、階級差が話題になってくるんです。この「エイント・ウィ・ガット・ファン」もそういった曲で──金持ちはますます金持ちになり、貧乏人はますます子だくさんになる──という内容。ギャツビー邸の居候みたいな奴がピアノを弾きながら歌うシーンがあります。

♬「エイント・ウィ・ガット・ファン」ヴァン&シェンク

 これは1920年代初頭に録音されたもので、もしかしたらフィッツジェラルドはこのヴァージョンを聴いていたのかもしれません。非常に他愛ないといえば他愛ない内容ですが、アメリカでは非常によく知られた曲らしく、いろんな人が歌っています。で、今日の第二部でジャック・ケルアックのお話しをするのですが、なぜかケルアックがこの曲を歌っていて。ケルアックって変な人で朗読のレコードもあるんですけどヴォーカルのレコーディングが何曲かあって、めっちゃくちゃ下手なんです(笑)。「エイント・ウィ・ガット・ファン」は多分1959年頃の録音で、おそらく「グレート・ギャツビー」を意識して歌ったと思うんですけど……。ジャック・ケルアックってジャズの世界に関してはただのファンではなく友達がたくさんいて、一番仲がよかった中の一人がジェリー・ニューマン。彼は1941年に『ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン』を録音した人で、当時コロンビア大学の学生でした。ケルアックもコロンビア大の学生。ま、中退するんですけど、多分そこで知り合ったんでしょうね。ジェリー・ニューマンは圧倒的にジャズに詳しい人で、ケルアックの朗読や歌をプロデュースして音源を残しています。その中でケルアックが歌う「エイント・ウィ・ガット・ファン」を余興で聴いていただきたいと思います。

♬「エイント・ウィ・ガット・ファン」ジャック・ケルアック

 明らかに酔っ払って歌ってるんですけど(笑)。フィッツジェラルドとケルアックって26歳違いで、二人とも比較的早く死んでしまった。フィッツジェラルドは44歳、ケルアックは47歳。共通点としてはアルコール依存症だったということですね。そして二人とも軍隊に行った体験がある。フィッツジェラルドはプリンストン大学をドロップ・アウトして第一次世界大戦に行った。でも戦争が始まる前にアラバマの駐屯地でのちに妻となるゼルダと出会って、あまり戦争は好きじゃないし、戦地に行きたくないなあ……という間に戦争は終わってしまった。ケルアックもコロンビア大学をドロップ・アウトして第二次世界大戦に行くんですけども、軍隊には向いてないと言われて帰されてしまう。まぁそういうところも似てますね。ある種のアメリカ文学者のパターンかなと。
 ということで、「グレート・ギャツビー」の続きなんですけど、様々な人間関係、恋模様が錯綜した揉めごとが起きてギャツビーが悲劇的な最後を迎えるのですが、はじめてギャツビーの昔の恋人だった女性が来た、夜中までやっているパーティで流れていた曲がポール・ホワイトマン・オーケストラの「夜中の三時に」という曲。これは曲名がきちんと書いてあって、「その年にはやった端正で悲しげなワルツ」と書いてあります。実際1922年に大ヒットした曲で、その辺りはすごく正確に書いているんですね。多分、みんな知ってるあの曲だよね……ということで使ったと思うのですが。

♬「夜中の三時に」ポール・ホワイトマン・オーケストラ

 こういう、今ではジャズとは呼べないオーソドックスなワルツもポール・ホワイトマンはやっていて、恐らくは20年代のすごくマニアックな一握りのジャズ・ファンと、アフリカン=アメリカン以外のアメリカ人にとって「ジャズ」とはこういう音楽だったのではないかという気がします。
 最初にフィッツジェラルドは〈ジャズ・エイジ〉という言葉を流布した人であると言いましたが、その〈ジャズ・エイジ〉、20年代が終わる1929年に大恐慌が起きて、それまでの好景気が全部飛んで大変厳しい時代になるわけです。その最中の1931年にフィッツジェラルドは「ジャズ・エイジのこだま」というエッセイを書くんですね。つまり、“僕のジャズ・エイジもあなたのジャズ・エイジも終わったんだよ”という悲痛なエッセイ。その中でジャズという言葉について面白いことを言っていて、〈「ジャズ」という言葉は最初はセックスを意味し、その次には踊ること、そして音楽を意味するようになった〉(船越隆子訳)と書いてるんですね、だからジャズという言葉で、いわゆる「ジャズ」という音楽を連想してなかった。まずはジャズは性的なことだったりダンスだったり、まあそういった非常にふしだらな騒ぎを意味する言葉で、それが音楽の方に移ってきた──ということを書いています。だから〈ジャズ・エイジ〉というのはジャズが盛んな時代というよりは、どんちゃん騒ぎをする時代、軽いノリでどんちゃん騒ぎをしていても平気だった時代──ということだと思います。

 フィッツジェラルドは、20年代の〈ジャズ・エイジ〉が始まった瞬間に、突然最初の小説「楽園のこちら側」がバカ売れしてものすごくお金持ちになり、しかもバカ売れしたのでやっと恋人のゼルダと結婚することができたんですけど、このゼルダはアラバマ州の判事、いわゆるお金持ちの娘で金銭感覚がまったくなく、フィッツジェラルドの莫大な原稿料や印税も全部使ってしまう気っ風のいい人だったらしいです。宵越しの金は持たねえ、みたいな(笑)。そうこうするうちに大恐慌が起きて〈ジャズ・エイジ〉も終わり、その寵児だったフィッツジェラルドは古臭いと言われるようになり、同時期にゼルダが統合失調症になり夫婦ともにボロボロになる。それでアルコール依存もあり、ゼルダは病気、本も売れないという非常に厳しい30年代を過ごし、やっとなんとか新しいことを始めようと「ラスト・タイクーン」という小説を書き始めたところでフィッツジェラルドは心臓発作で死んでしまうんですけれど、なかなかドラマチックというかすごい人生だと思います。
 今は、フィッツジェラルドはアメリカの20世紀の小説家の中では非常に読まれている人でもあるし、日本語の翻訳もけっこう出ています。今日のレジュメには紹介しませんでしたけれど「夜はやさし(テンダー・イズ・ザ・ナイト)」という小説があって、これは「グレート・ギャツビー」の後9年もかかって書かれた次の長編で、その中にもジャズの曲がたくさん出てきます。森慎一郎さんという方の大変読みやすい素晴らしい翻訳で出ていますので、ご一読いただければと思います。ではこれでフィッツジェラルドをお終いにして、休憩後に第二部ジャック・ケルアックをお話ししたいと思います。(拍手)

第二部 ジャック・ケルアック

 ジャック・ケルアックはコロンビア大の学生でしたけど、ドロップ・アウトして大学の周辺をうろうろしながらニューヨークでだらだらしていた。その時の友達がアレン・ギンズバーグとかウィリアム・バロウズで、バロウズはずいぶん年上なんですけど、なぜか同じエリアでぶらぶらしていたんでしょう。のちに、〈ビート詩人〉〈ビート・ジェネレーション〉と呼ばれるような人々です。ケルアックはすごくジャズが好きで、先ほどもお話ししました『ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン』を録音したジェリー・ニューマンは友人でした。そしてマイルス・デイヴィスをコロムビア・レコードに誘ったジャズ評論家でレコード・プロデューサーのジョージ・アヴァギャンの弟とも友達だった。それでアヴァギャンからはいろいろとジャズのことを教わったという、非常にディープといえばディープなジャズ・ファンでした。
 40年代、ビバップが出てきたときに彼はニューヨークのアップ・タウンにいて、少し行くとすぐにハーレムという地域だったので、ジェリー・ニューマンとケルアックと少数の友人以外すべて黒人、みたいな中で夜な夜なジャズを聴いていた。ビバップって踊れない音楽って言われてますけれど、そんなことはなく、みんなガンガン聞きながら踊っていたらしく、映画の「オン・ザ・ロード」(2013年)の中でも、みんなでビバップを聞きながら踊り狂うシーンがありました。

「オン・ザ・ロード」という小説は1947年から1950年の4年間、全米を車で放浪した経験がベースになっています。彼を「オン・ザ・ロード」の旅に連れていったのは、中西部のデンバーからニューヨークに出てきたニール・キャサディ(小説の中では「ディーン・モリアーティ」となっていますが)と、その奥さんのメリールウ。このニール・キャサディという人はものすごくワイルドな人間で、もともと割と暗いタイプのケルアックは彼に引っ張られる形で付いていって、だんだん人生が変わっていくんです。その後ギンズバーグも旅に加わり、バロウズも絡んだりして、ニューヨークのアンダーグラウンド・シーンのこういった人たちが、デンバー、サンフランシスコ、ニューオリンズ、メキシコを車やバスやヒッチハイクで巡るロード・ムーヴィー的な小説なんですが、その中にたくさんジャズが出てくるんです。40年代後半以降ですからビバップが多くて、チャーリー・パーカーとかマイルス・デイヴィス、デクスター・ゴードンとか。
 ケルアックにとって一番のアイドルは間違いなくチャーリー・パーカーで、「オン・ザ・ロード」以外の小説の中にも出てきます。そういうわけでパーカーを聴いてみたいと思います。今年はパーカー生誕100年で、その記念として出たサヴォイ時代の10インチ盤が4枚組のセットになった復刻盤から「コ•コ」を聴いてみましょう

♬「コ•コ」チャーリー・パーカー

 1945年の演奏で、この曲はレイ・ノーブルが作ったスタンダード・ナンバー「チェロキー」のコード進行を拝借してアドリブを吹きまくったものですが、チャーリー・パーカーの中でもパワーと集中力が備わった名演と言われています。ケルアックはチャーリー・パーカーについて「地下街の人びと」という小説の中で詳しく書いています。〈チャーリー・パーカーの演奏をサンフランシスコで聴いて、その日に自分が好きだった恋人と結ばれる〉という場面が出てくる話なんですけど、ケルアックがチャーリー・パーカーに憧れているというか、その存在のように自分もなりたい──ということがよくわかります。
 パーカーのことは「オン・ザ・ロード」にも何回か登場します。この45〜46年の「コ•コ」や「オーニソロジー」といったビバップがバーッと出てきた時代と、その後の48年〜50年のマイルス・デイヴィスの、いわゆる『クールの誕生』と言われる9人編成でもっとアンサンブルを使った、アドリブ・ソロ一発勝負ではない新しいジャズとの中間である1947年のジャズのことを、「オン・ザ・ロード」の中でケルアックはこう書いています。「どこかダレたかんじがあったのは当時、バップがチャーリー・パーカーの『オーニソロジー』の時代とマイルス・デイヴィスにはじまる新時代の中間で足踏みしていたからだ。」(青山南訳)
 単にカッコいいからジャズを聴いてるんじゃなくて、この人はジャズのことについてよく知っていて、いろんなことを考えていたんですね。ではパーカーの「オーニソロジー」と、マイルスの『クールの誕生』から「イスラエル」を聴きましょうか。

♬「オーニソロジー」チャーリー・パーカー
♬「イスラエル」マイルス・デイヴィス

「オーニソロジー」はチャーリー・パーカーと、トランペットにマイルス・デイヴィス、テナー・サックスにラッキー・トンプソンの管楽器3本で、テーマは全員同じメロディをユニゾンで吹いて、その後それぞれがアドリブを吹いて終わるという非常にシンプルなやり方です。一方「イスラエル」は管楽器が6人いて、ものすごく緻密に楽譜が書かれている。それをケルアックは「新時代」と言っているわけです。マイルスがパーカーとビバップをやってから、それではない自分のやり方を模索していた時期が、ちょうど40年代の終わり頃だったんですね。
 とは言ってもケルアック達はビバップの方が好きだったみたいで、デクスター・ゴードンという40年代後半に出てきたバリバリに吹くタイプのテナー・サックス奏者がいて、実は40年代のテナー・サックス奏者でビバップをちゃんとやった人って少ないんです。さっき聴いたラッキー・トンプソンはあまりビバップっぽくない。次に紹介するデクスター・ゴードンとウォーデル・グレイのコンビは、テナー・サックス2本のアドリブでバトルする「ザ・ハント」とか「ザ・チェイス」とかが出ていて、それを「オン・ザ・ロード」の主人公たちが聴いて喜んでいる──というシーンが描かれています。ではそれを聴いてみましょう。

♬「ザ・ハント」デクスター・ゴードンとウォーデル・グレイ

 デクスター・ゴードンとウォーデル・グレイの前にたくさんの人がソロをとっている長い演奏なんですけど、トランペット、アルト・サックス、トロンボーン、ギター、ピアノ。で、最初にデクスター・ゴードン、次にウォーデル・グレイ、その次に二人が8小節ずつやって続く。これはライヴ演奏で、お客さんが熱狂している感じがよくわかると思います。ビバップは踊れない音楽だ、とよく言われますが、その時代のリアルタイムでは、ビバップをギンギンになって踊りながらみんな聴いてたんじゃないかという気がします。
 ジャック・ケルアックはジャズ・クラブ「バードランド」もオープンの頃からよく知っていて、そこに出ているジョージ・シアリングのことを書いてるんです。ジョージ・シアリングというピアニストは僕にしてみれば、〈英国出身の大人しい紳士〉で、ピアノにヴィブラフォンとギターを加えて聴きやすいタイプの曲、例えば「セプテンバー・イン・ザ・レイン」とかをやる人というイメージなんですが、ケルアックに言わせればジョージ・シアリングはすごくスウィングする人だったと「オン・ザ・ロード」の中で書いています。そこでのシアリングの演奏シーンでは、まだクールの方にもコマーシャルの方にも行っていないシアリングを聴くと本当にすごいんだ──と。でも音源的にはジョージ・シアリングがギンギンになってビバップをやっているというのはあまりないんです。そこで48〜49年の演奏を探してみたら、「トゥ・ビー・オア・ノット・トゥ・バップ」というビバップ的なタイトルの曲をトリオでやっているのがあったので、それを聴いてみたいと思います。

♬「トゥ・ビー・オア・ノット・トゥ・バップ」ジョージ・シアリング

 ジョージ・シアリングのピアノ・トリオでの演奏で、曲の感じとかは典型的なビバップ・チューンで、テーマの部分はバド・パウエルなんかによくありそうな感じ。これはスタジオ録音ですが、ライヴで10分超えのギンギンな演奏をして盛り上がった気がしないでもない、見てみたいものだなと思います。
「オン・ザ・ロード」という小説で一番有名なステージ・シーンは、スリム・ゲイラードという人が出てくるところだと思うんです。スリム・ゲイラードはジャズ・ミュージシャンというよりもエンターテイナーで、自分で歌を歌い、ギターを弾き、ピアノも弾いて、さらにおどけたことをやる、ジャイヴ・ミュージックと呼ばれるジャンルの人です。ふざけたことや自分で考えたおかしな言葉「オルーニー」「オヴァーキー」「プッティ、プッティ」とかをステージで連発したり、デタラメのアラビア語やスペイン語を喋りまくるとか、そういった芸人ですけれど、40年代後半にすごく人気があって、狂気スレスレのステージだったらしく、いろんな人が“スリム・ゲイラードはすごかった”と言っています。
 実は日本に一度だけ来ていて、1987年にミュージシャンではなくファッション・ショーのゲストで来日してます。吾妻光良さんらが高円寺のJIROKICHIにスリム・ゲイラードを呼んでセッション大会をやったという話がありますけども、正式には日本公演をしたことがない人です。本物のスリム・ゲイラードではありませんが、映画「オン・ザ・ロード」の中にスリム・ゲイラードそっくりな人がステージをやるシーンがあって、これはなかなかの観ものですよ。
 ゲイラードの映像はYouTubeでいくつか観られます。録音はたくさん残っていまして、中村とうようさんが好きだったので日本でも80年代に数枚出ておりました。じゃあ1曲だけ音を聴いてみましょうか、彼の一番のヒット曲「フラット・フット・フルージー」。



♬「フラット・フット・フルージー」スリム・ゲイラード

 スリム・ゲイラードはベースを弓で弾きながらユニゾンで歌を歌うという芸が有名なスラム・スチュワートというベーシストとコンビを組んでいて、一番人気があったのは40年代から50年代初頭辺りまで。その後いろいろあってファッション・モデルに転身した人ですけど、40年代後半はケルアックのようなヒップなものが好きな若者たちにものすごく支持されたということです。
 というわけで、「オン・ザ・ロード」という小説はストーリーがあるようでない話で、4年間、3人あるいは4人でアメリカ中を走り回って、いろんな音楽を聴いたりいろんなことに出会ったりする物語。最後は1950年にニューヨークに戻ってきて、翌年あまりクレイジーじゃないわりとまともな格好になった主人公サル(ケルアック)が、かつて一緒にバカをやったディーン(ニール・キャサディ)に街で出会って、そこまで車に乗せてってくれ、と頼まれると、“いや、俺は友達とデューク・エリントンを観に行くから”と言って断わるという寂しい終わり方をするんです。

 「オン・ザ・ロード」は57年に発売されてものすごくヒットして、ケルアックは今でいうテレビのワイドショーみたいな「スティーヴ・アレン・ショー」に出演しました。ここで、この小説はどのくらいかけて書いたもの?と尋ねられたケルアックは、“3週間”と答えて話題になったそうです。下書きは4〜5年かかったらしいんですが、最後に一気に書いたのが3週間と言われています。
 その後もケルアックは小説を書きましたが、なんとなく「オン・ザ・ロード」を越えられないみたいなところもあったと思います。アルコール依存もあって、テレビとかに出ては無茶苦茶なことを言ってみんなが困るということもあったようです(映像がYouTubeで見られます)。
 ケルアックは東洋思想にも興味があった人で、禅に凝ってかなり真面目に研究したようです。その過程で、だと思うんですが、日本の俳句に興味を抱いて、英語で俳句を作るということをかなり本格的にやっています。発表されたものだけでも百句くらいはあるかと思います。最後に、その英語の俳句をケルアックが詠んで、その後にズート・シムズとアル・コーンが即興でソロを付けるというレコードがあるので、それを聴いてみたいと思います。『ブルース・アンド・ハイクス』というんですが、のちにジョン・コルトレーンをプロデュースしたボブ・シールがなぜかプロデュースをやっています。結構長いのでさわりだけを聴いてみましょうか。

♬『ブルース・アンド・ハイクス』ジャック・ケルアック

 こんな感じで10分くらい続くのでこれくらいにしておきますが(笑)、ズート・シムズとアル・コーンの苦労が忍ばれます。
 というわけで、ジャック・ケルアックはいろいろな意味で面白い人で、若くして亡くなったけれど未だに尊敬されています。ケルアックやニール・キャサディに憧れるミュージシャンも多いですね。盟友だったギンズバーグは70歳過ぎまで生きてアメリカを代表する詩人になりましたけど、彼は早く死んでしまった酔っ払いみたいな扱いを一時期受けていましたが。でも私はこの人の、「やさぐれた悲しみ」みたいなものが好きです。そのあたりはフィッツジェラルドに共通したなにかがあります。
 では最後にちょっとだけですが「チャーリー・パーカー」という朗読を聴いてください。ケルアックのチャーリー・パーカー愛が溢れています。

♬「チャーリー・パーカー」ジャック・ケルアック

 “チャーリー・パーカーはブッダである”と言ってますね。仏教徒にしてチャーリー・パーカー教徒(笑)。可笑しいですよね、ケルアックという人は。すごくピュアな人だったのかもしれません。うまく中年期を乗り越えられずに亡くなってしまった人ではありますが。

 というわけで、今日はケルアックとフィッツジェラルドという二人の、現代でも読み続けられていて、そしてジャズという音楽と関わりの深い、でも長生きはできなかったという小説家の話をさせていただきました。2時間半おつきあいいただき、ありがとうございました。(拍手)

 

『ページをめくるとジャズが聞こえる 村井康司《ジャズと文学》の評論集』のご案内

  • ページをめくるとジャズが聞こえる 村井康司《ジャズと文学》の評論集
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  • ページをめくるとジャズが聞こえる 村井康司《ジャズと文学》の評論集

    四六判 / 296ページ / ¥ 2,200

    広い視野と見識で人気の音楽評論家による「ジャズ」と「本」をめぐるエッセイ=評論集

    「あなたの聴き方を変えるジャズ史」「100年のジャズを聴く」(共著)などで知られる音楽評論家・村井康司。これまでに様々なメディアに寄せてきた、ジャズに関するエッセイや評論を中心に、新たな書き下ろしも多数加えてまとめた待望の新刊。
    ジャズはもちろん、文学、演劇、映画までを繋いで解きほぐしていくゆく試みは、スリリングであると同時に楽しく、知的好奇心をくすぐってくれる。462曲分のSpotifyプレイリストが聴けるQRコード付き。

    【CONTENTS】

    「こういうことがつまりジャズなんだよ」——村上春樹とジャズをめぐる3章
    「ジャズ・エイジ」のこだまは聞こえるか?——スコット・フィッツジェラルドとジャズ
    恋とエリントンがあればいい——ポリス・ヴィアンとジャズをめぐって
    指を鳴らせ! 世界を止めろ!——ジャック・ケルアックと「ビート・ジェネレーション」
    夢のジャム・セッションが始まった——斎藤憐/自由劇『上海バンスキング』
    最後の歌が多すぎて——久世光彦『マイ・ラスト・ソング』
    Let's Face The Music And Dance——和田誠とジャズ
    「この市街戦は前衛ジャズそのものだ」——佐藤泰志の文学とジャズ


    小川隆夫・平野啓一郎『TALKIN' ジャズ×文学』
    アシュリー・カーン『ジョン・コルトレーン「至上の愛」の真実』
    菅原正二『聴く鏡 1994-2006』
    中川右介『カラヤンとフルトヴェングラー』
    平岡正明『毒血と薔薇 コルトレーンに捧ぐ』
    後藤雅洋『ジャズ耳の鍛え方』
    中山康樹『ジャズ・ヒップホップ・マイルス』
    ブリュノ・コストゥマル『だけど、誰がディジーのトランペットをひん曲げたんだ?』
    ウェルズ恵子『魂をゆさぶる歌に出会う アメリカ黒人文化のルーツへ』
    細馬宏通『うたのしくみ』
    アシュリー・カーン『マイルス・デイヴィス「カインド・オブ・ブルー」創作術』
    輪島裕介『踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽』
    ウラジーミル・タラーソフ『トリオ』
    小川隆夫『ジャズメン、ジャズを聴く』
    小川隆夫『証言で綴る日本のジャズ2』
    牧野直也『〈ポスト・ジャズからの視点Ⅰ〉リマリックのブラッド・メルドー』
    小川隆夫『ビバップ読本 証言で綴るジャズ史』
    行方均『ジャズは本棚に在り ジャズ書と名盤』
    麻田浩・奥和宏『聴かずに死ねるか! 小さな呼び屋トムス・キャビンの全仕事』
    小川隆夫『改訂版 ブルーノートの真実』


    熱い情熱と冷静な洞察——野川香文『ジャズ音楽の鑑賞』の先駆性
    国土なき「ジャズ共和国」の誇り——油井正一と『ジャズの歴史物語』
    21世紀のための相倉久人——相倉久人『相倉久人の超ジャズ論集成—ジャズは死んだか!?』
    悪だくみのマイルス——中山康樹追悼
    青春文学としてのツアー・エッセイ——山下洋輔の初期エッセイを読む
    無頼と含差、天空と奈落——南博『白鍵と黒鍵の間に』解説にかえて
    『あまちゃん』へ ジャズからの挨拶
    菊地成孔と大竹伸朗——「夢の中のリアル」を顕在化させるためのノイズ
    美しき妄想としての引用、あるいは「超訳」者としての菊地成孔

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