愛するままにジャズを記録し表現した写真家 阿部克自さん
一番いい称号は<世界的名ジャズ・ファン>だと思います

写真家 阿部克自 没後10周年記念写真展「ジャズの肖像 ポートレイチャーズ」(リコーイメージングスクエア銀座にて開催中)に於いて、12月16日、中平穂積さん(新宿DUG店主、ジャズ写真家)と行方均さん(音楽評論家/プロデューサー)による、写真家 阿部克自を語るトークイベントが開催された。


行方均(以下行方):今晩は行方均と申します。今日の昼はリー・モーガンの映画の公開もあってそのトークショーもやってきました。これから中平さんと阿部克自さんのお話をさせていただきたいと思います。今回の写真集の監修のお話を戴いて、改めて自分の中の記憶を遡ったんですが、ご存知の通り阿部さんというのは実に多才な方で、写真家といって済ましちゃいけない方なんです。私が阿部さんの名前を強く意識したのは70年代のFM放送。非常に軽妙な語り口で選曲も素晴らしく、放送を聞いてチェット・ベイカーを買いに行った記憶もあります。また変わったことをする人で、コルトレーンの命日には、恐山のイタコにコルトレーンの霊を呼び出させたものを放送したりとかしてたんです(笑)。私が初めてニューヨークに行ったのが1983年で、そこで会ったマイケル・カスクーナというプロデューサーが“K・ABEは元気か?”というので、当時ノーベル文学賞を穫るかも──と言われていた安部公房さんのことかと思いましたら、これがまったく噛み合わない。あ、阿部克自さんのことか!と。そうやって私の海外での人脈が増えるに連れ、阿部さんというのは日本で伝え聞いているより遥かに国際的なJazz人なんだなという思いを強くしました。その阿部さんが初めてニューヨークに行ったのは1960年だったみたいですね。

中平穂積(以下中平):僕は阿部さんが初めてニューヨークに行かれた頃のことはあまり伺ったことがないんですが、阿部さんは意外とお酒は飲まないし、ジャズ喫茶に来る人でもなく、DUGが3階までやっていた頃はジャズの関係者もよく集まっていたので、そこにはときどきいらしてました。ですから直接ジャズの話とか写真の話を伺ったことがなくて、でも、阿部さんの写真を見て、“どうしたらこんな奇麗な仕上げの写真ができるんだろう──”と思って、阿部さんに聞いたんだけど教えてくれなかった(笑)、“それは自分で勉強するもんだよ”って言われて。

行方:ジャズの名カメラマンが撮った写真は、偶然の一瞬を切り取ったようなもの、例えばブルーノートのフランシス・ウルフとか西海岸のウィリアム・クラクストンとかがそうなんだけど、阿部さんのは“一瞬”というより“永遠にこの人間を定着するんだ”といった感じなんです。

中平:阿部さんは基本的にデザイナーなんですよ。だから最初からデザインをして撮っている。

行方:写真でいうとプリヴィジュアライゼイション(完成映像のシュミレーション)。

中平:ムダなものは写してないし、この雑誌で使う場合はこういう形で見せよう──と最初からトリミングして撮っている。改めて写真を見るとレイアウトをあらかじめしている写真ですね。

行方:阿部さんはとても多才な人で、海軍兵学校から戦後は早稲田の理工に進んで──絵も写真も勉強したわけではないですよね。でも、阿部さんの描かれたイラストとか拝見すると天性の才能がある方だなと。そしてデザイナーの仕事を始められたときに、手元にきた写真に対し、“ろくなもんじゃねぇな、だったら俺が撮る!”といった順番で、プロのカメラマンにもなっていったということで。

中平:僕が最初に阿部さんに見せてもらったのは多分カウント・ベイシーだと思うんですね。

行方:横顔のやつ。

中平:阿部さんがすごく緻密な写真を撮られるのは知っていたので見ていたら、“中平さん、それ写真じゃないよ俺が描いたイラストだよ”って言われたことがある。それくらい写真だかイラストだかわからないくらい精密な絵も描くんです。

行方:写真を元にして点描画みたいに描かれたりしてますよね。そういった中で今回、写真集「ジャズの肖像 ポートレイチャーズ」としてまとめさせてもらったんですけど、阿部さんの写真は肖像画みたいな、その姿を永遠に定着するんだ──という意思が感じられるんです。そう思って阿部さんが残された膨大な写真を見せていただいたら、3つか4つに分類されていて。一つは「オン・ステージ」、あるいは楽器別だったりするんだけど、阿部克自さんが一番最初に大事に分類されていたもののタイトルが「ポートレイチャーズ」っていうんです、それこそ肖像画なんですね。ですから阿部さんは偶然ではなくて意識的に肖像画を撮っていたということで。私がジャズのカメラマンとして名前を存知あげているのは、最初に阿部克自さんで、次が中平さん。

中平:阿部さんはニューヨークにもいらしたし、ジャズが好きだったから撮られたんでしょうけど、僕はジャズ喫茶をやっていたわけで。もちろんジャズは好きだから、仮にニューポートに行って写真を撮ってきても、その頃はスイング・ジャーナル誌くらいしか雑誌はないから、そこで発表してもらうしかない。スイング・ジャーナルに行って、“アメリカに行ってきます”と言うと当時の社長さんが、“他の雑誌には出さないでくれよ”って必ず言ってくるんです。まぁその頃は他にはアサヒグラフとかジャズ批評くらいしかなかったかな、 “そうはいきませんよ”って言ってたんですけど(笑)。当時スイング・ジャーナルは世界で一番凄いジャズ雑誌で、その表紙に写真を使ってもらうと、ジミー・ギャルソン、コルトレーン、マイルスとか有名なミュージシャンはみんな知ってました。まぁギャラはフィルム代にもならないくらい、ほぼノーギャラに近かった。でもそれはお金じゃなくってね。それで僕は自分でジャズ・カレンダーを作ったりしてみなさんに見ていただけるようにし始めたんです。

行方:スイング・ジャーナルは戦後からずっとありましたから。60年頃からダウンビートと契約した日本語版ダウンビート誌というのを新興楽譜出版(現シンコーミュージック・エンタテイメント)が出してこれが数年間あった。阿部さんはそのデザイン・装丁に関わってらした。スイング・ジャーナル社の加藤社長には<一国一ジャズ誌>という自説がありましたからね(笑)。

中平:独占欲の強い方でしたから(笑)。でもあれくらい情報の多い、グラヴィアも奇麗な本は他になくて、海外のミュージシャンはみんな驚いてましたから。
阿部さんはスイング・ジャーナルに写真出してたかな…なかった気がするね。

行方:その辺は私もわからないんだけど、阿部さんは自由な方で、そうやって縛られるのはあまり好きではなかったから──。まぁ後年はjazzLife誌とかで連載をされてまして、最後の10年くらいは“ポートレイチャーズ”的ではない、スナップ的なものを掲載してコメントを寄せてらしたけど、やはり阿部さんのカメラマンとしての主たる特徴というのは、さっき中平さんも仰っていたように、まずデザイナー阿部克自がいて、そのウルサい親父のデザイナーの注文にカメラマン阿部克自が応えようとし、応えてる。

中平:当時、我々がデザイナー阿部さんに頼まれたとしても全部ボツだと思いますよ、仕上げだとか凄いキッチリしていて妥協は許さない。当時僕たちはジャズの写真ばかりじゃなくて、音楽関係を撮るカメラマンが集まって会をしてたんですよ。DUGの三階で月一回か、何ヶ月かに一度集まって。阿部さんが一番年長なので、会長をやられていて、その次は7つ下の僕で、他はもっとうんと若いんです。あるとき、阿部さんが集まった皆に“英語を喋れる人?”て聞いたんです、誰も喋れるわけはなくて。次に“アメリカに行ったことがある人?”、これも誰もいない。そうしたら阿部さんが“それじゃあジャズの写真なんか撮れるわけねぇよな”って言ったんです。そうしたら若いカメラマンが皆怒っちゃってパッと帰っちゃた。それ以来その会はボツ(笑)。

行方:それは困った若者たちだね。

中平:阿部さんが、なぜそうしたことを聞いたのかという話をする前に帰っちゃた。阿部さんと2人になって大笑いして、半分冗談なんだけど、阿部さんが言うとマジに聞こえて。

行方:非常にオープンでフランクな方で、日本語も英語を縦にしただけみたいな所もあって、ある種煙たがれた所もあったんじゃないかな。

この後、デューク・エリントン切手事件?(1986年アメリカで発行されたデューク・エリントンの記念切手に、阿部さん撮影の写真が無断で使用されたもの。後日わずか数100ドルの使用料で示談になったとか)のエピソードを挟んで、阿部さんの写真に共通する被写体との距離感の話になった。

行方:デューク・エリントンの写真も赤坂ミカドでの公演時、ステージに椅子を置かせてもらってエリントンと同じ高さから撮影したもの。阿部さんの写真には、“こういう写真を撮りたい”というイメージが初めにきちんとあって撮られたものが多いのだと思います。

中平:距離感が全然違います。例えばニューポート・ジャズ・フェスティバルで普通にカメラマンがカメラマン席から撮ったものと違って、阿部さんのはプライベートに近い写真、ほとんどポートレートですね。

行方:いろんな意味で、特等席で撮られたような。

中平:周りに誰もいない状況で撮られた写真が結構多いと思います。

中平:阿部さんとミュージシャンのフレンドシップがないと撮れない写真。

行方:あとは、jazz Lifeに晩年連載されていたようなスナップ的な写真も当初からたくさんあります。中にはキャロル・スローンがおっぱいポロリの写真とか。

中平:あれは有名ですよ(笑)。

行方:いかにミュージシャンがK .ABEに気を許していたか。阿部さんがキャロル当人に、皆に見せていいか?と聞いたら、彼女は“皆さんが喜ぶなら”って言ったそうでね(笑)。

この後、「阿部克自は酒を飲まない」という定説を打ち破るエピソードが明らかにされた。ご家族の証言によると、外には飲みには行かれないが、暗室にこもって朝まで仕事をした後、眠れないのでウィスキーをストレートで飲んで、2日に1本ボトルを空けていた──とのこと。中平氏も初耳だったようで、「暗室で飲んでこんな写真を仕上げるなんて──不思議な人ですね」と感心されていた。

行方:こういういい機会なので、あまり語られてなかったことも含め、阿部さんの再評価というか、もっともっと凄い人だというのを皆に知って欲しいですね。阿部さんっていう方は写真家以上、一番いい称号は<世界的名ジャズ・ファン>だと思います。もちろん写真は撮ります、デザインもします、DJもします──愛するままにジャズを記録し表現した。だからミュージシャンはこうやって皆気を許したと思うし。たしか阿部さんは1960年に初めてアメリカに行って、そこで半年暮らしたということですけど。

中平:ビザとか、外貨持ち出し制限(500ドル)とかいろいろどうやってたんでしょうね。

行方:いろんな意味でパイオニアですよね。

中平:僕がアメリカに行ったのが66年。当時秋吉敏子さんがニューヨークにいて、かなり苦労をなさっていて、その後74年にロスに移ってジャズ・オーケストラを率いて作られたのがアルバム『孤軍』。

行方:その『孤軍』のジャケット制作をRCAの川島(文丸)さんが阿部さんに依頼して、阿部さんは前年撮影した秋吉さんの写真を使って素晴らしいジャケットを作られた。阿部さんの代表作の一つですね。今回阿部さんの写真だけではなく、制作されたジャケットも何枚か展示しました。写真家阿部克自さんを知る上で重要なので。結構な数をおやりになっていて、ジャズだけじゃないですからね。藤 圭子さんのジャケットや、バンドのチューリップのロゴとかも作られていて。

阿部さんの武勇伝ということで、60年後半のサド・ジョーンズ&メル・ルイス・オーケストラの来日時のエピソードが、行方さん中平さんに加え来場されていた阿部さんの奥様からも紹介された。サド・ジョーンズらが羽田に到着したとき、なぜかプロモーターも居らず、スケジュールも、10数名のオーケストラの宿泊するホテルも決まっていない状況だったとか。困り果てたサド・ジョーンズは知己の阿部さんに連絡をとり、そこで阿部さんは自分の貯金を崩し数百万を用立てた。皆からは“貸しても返ってくるわけはないよ”と言われても自分が好きなミュージシャンだから──ということで貸した。そのお金は次に阿部さんが会ったときにサド・ジョーンズがきちんと返済したということだ。もちろん貸すことに賛同した阿部さんの奥様あってのこと──ということも語られた。

行方:来年没後10年と成りますが、阿部さんはジャズ。カメラマンの栄誉ある賞「ミルト・ヒントン・アワード」を受賞されてますね。

中平:ニューポート・ジャズ・フェスティバルでベーシストが5人集まったコンサートがあって、そのリーダーがミルト・ヒントンさんで、僕はそこで会ったときに賞の話は聞きました。

行方:ミルト・ヒントンは結構古いミュージシャンだけど、後にウイントン・マルサリスとかが引っ張り出してきたりして、ジャズの伝統をつなぐシンボルとして活躍されて。あの方自身もずっと写真も撮られていて写真集も出てます。

中平:そういったことでも阿部さんとは接点があったんでしょうね。で、今回のこういった阿部さんの写真展は東京だけでなく、大阪とか福岡とか地方でも開催して欲しいですね。

行方:中平さんも色々な所で写真展をやってらっしゃるし。

中平:そういうネットワークもありますけど、ともかく見たことのない写真ばかりなので、これは見ていただかないと。ジャズ・ファンって写真を見たいんですよ。僕ら、昔ジャズの雑誌を買ってた頃はまず写真が多いかどうかを見て買いましたからね。自分の好きなミュージシャンが載ってると中身はともかく買うんです。

行方:こういう写真展が地方に広がっていけば、それは素晴らしいですね。

中平:僕も今年、長崎、大阪、和歌山とか5カ所で写真展やりましたけど、結構たくさんの方が来てくださるんです、もちろんレコード・コンサートやフィルム・コンサートもやりますけど、そういうときに、僕らが撮っていない有名な写真だけ10点くらいお借りして展示させていただきたいですね。

この後質問コーナー、プレゼント・クイズなどが行われ、貴重な話を聞くことができたイベントは大きな拍手に送られ終了した。

「ジャズの肖像 ポートレイチャーズ写真展」はこの後以下のスケジュールで開催されます。

会期パートI  2018年1月14日(日)まで
  パートII 2018年1月17日(水)~2018年2月18日(日)
[トークイベント開催]
2018年1月19日(金)19:30〜
出演者:悠雅彦(音楽評論家)、行方均(音楽評論家/プロデューサー)
各回参加費:2,000円(税込)定員:30名
会場:リコーイメージングスクエア銀座 ギャラリーA.W.P
東京都中央区銀座5-7-2 三愛ドリームセンター8F
詳細:http://www.ricoh-imaging.co.jp/japan/community/squareginza

『ジャズの肖像 ポートレイチャーズ』 のご案内

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    B5判 / 168ページ / ¥ 4,074

    ジャズは、ここに生きている──
    世界で知られたジャズ・フォトグラファー阿部克自写真集

    ジャズ・ミュージシャンを撮影し続け、写真家、グラフィック・デザイナー、プロデューサーとしてジャズ・シーンに多大なる貢献を果たした阿部克自。2005年、日本人として初めてジャズ写真家の最高の栄誉「ミルト・ヒントン・アワード」を受賞。

    デューク・エリントン、マイルス・デイヴィス、セロニアス・モンク、ジョン・コルトレーン、ディジー・ガレスピー、サラ・ヴォーン、秋吉敏子、カウント・ベイシー、ベニー・グッドマン、ビル・エヴァンス、アート・ブレイキー、チェット・ベイカー、フランク・シナトラなど、多数のミュージシャンと親交が深かった阿部だからこそ撮れた、ミュージシャンが心を許した者のみに見せる素顔の魅力を捉えた貴重な写真を多数掲載。

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