阿部さんは肖像画家がキャンバスに描き込むように、
アーティストの個性を永遠に定着しようとした──

2018年1月19日(金)「阿部克自 ジャズの肖像 ポートレイチャーズ・トークイベント Part 2」が、悠 雅彦 氏(音楽評論家)をゲストに迎え、行方 均 氏(音楽評論家/プロデューサー)の司会によりリコーイメージングスクエア銀座 ギャラリーA.W.Pにて行われた。

行方均(以下行方):本日はいらしていただきまことにありがとうございます。今年は。素晴らしい作品をいっぱい残された阿部克自さんが亡くなって10年となります。阿部さんの撮られた作品はみなさんよくご存知だとは思いますが、それは阿部さんの一面で、他にも数々の面白い面を持った方でもいらっしゃいます。今日は阿部さんと70年代くらいからよく一緒にいらした音楽評論家の悠雅彦さんに来ていただきました。私も伺いたいことがたくさんあります。阿部さんは写真家っていってしまうと失礼なくらい写真家以上の方。デザイナー、
DJ、エッセイスト…と多彩にジャズへの愛を表現なさった方です。<日本が世界に誇るべき、名ジャズ・ファン>と私は呼ばせていただいてます。その世界に誇るべき〜という所を悠雅彦さんにお話していただこうかと思います。まず、『WhyNot』のお話から伺いましょう。これは阿部さんがジャケットを作り、中身を悠雅彦さんが1975年からお作りになっていたレコード・レーベル。『WhyNot』って作品は20枚くらいありますよね。

悠雅彦(以下悠):多分。ちゃんと数えてくればよかったんだけど、今日は細かいところは抜きにして来たもんですから(笑)。

行方:『WhyNot』は1975年当時、私たちジャズ・ファンにとっては非常にインパクトのあるジャズ・レーベルだったんです。その一つがジャケットで、20枚みんな一緒の黒/赤/緑をあしらったもの。デザイナーに阿部克自を起用しつつ写真無し、これを裏返すと大変立派な写真が載ってるんですけど、その写真は悠雅彦。まずどういうきっかけでレーベルを始められたのかから伺いたいのですが。

:僕が最初にアメリカに行ったのが1970年で、この頃はまだ人種差別運動がくすぶっていた時代なんです。そこに興味があったのでブラック関係のフェスティヴァルとかにはしょっちゅう出入りしてました。そこで目にして一番印象的だったのが、黒/赤/緑のシンボルマーク。緑はアフリカのグリーン、赤は黒人たちがアメリカで流した血の色、黒は黒人のブラック。それを何かレーベルに活用したい──とずっと思い続けて帰って来てそれを阿部さんに相談したんですが、最初あまりいい顔をされなかったんです。で、かくかくしかじか…と説明して納得してもらって、ああいうデザインを作ってもらったっていう経緯なんです。

行方:(ジャケットを見せながら)、悠雅彦さんのWhyNotレーベルはこの黒/赤/緑の3色の毛糸を編んだものの写真に、デザインで文字だけが違って20枚。ある意味レコード・コレクターの意欲をそそります。

:やっぱり阿部さんのアイデアですよね。

行方:75年に世に出たときは、見るからに立派なレーベルが出たな…って印象でした。

:阿部さんがいろいろアレンジして、ジャケットは全部阿部さんのアイデアですから。彼もいろいろ考えたんじゃないですか。単に赤/黒/緑を集めてやるんじゃなくて、何かそこに加えたくて毛糸を編んだんだと思います。その辺りは奥様に伺えば。

行方:あの毛糸は奥様が編まれたものですよね。で、一般的には当時阿部克自さんが一番重きを置かれてたのは写真家なんですが、デザインに阿部さんを登用しつつ写真は使っていないという点でもインパクトがありました。

:阿部さんと最初に知り合ったのは1968年、ちょうど今から50年前です。サド・ジョーンズ&メル・ルイス・オーケストラ(以下サド=メル)が日本に来たんですが、これが呼び屋が招聘したのではなくて。個人的に非常に興味のあった方が連れてきた。だからギャラも払えないし──という話を聞いた阿部さんがなんとか手助けできないかと、彼らに払うギャランティの一部を用立ててなんとか片がついたということで、新宿ピット・インで初コンサートをやったのは1968年7月11日だったかと思います、それから数年経った1974年、またこのオーケストラが来日したときにローランド・ハナというピアニストから阿部さんに“俺のレコードを作ってくれ”って連絡が入ったんです。それで彼は知り合いだった僕に“レコードを一枚作らないか?お金なら少し僕が出すよ”って電話をかけてきて。僕はそのピアニストは嫌いじゃないので、じゃ作ってみようかと作ったのが、ローランド・ハナとジョージ・ムラツというベーシストのデュエット・アルバム。これを当時の東宝レコードから出しまして、僕のプロデュースの第一作になったんです。これがなかったら、僕はWhyNotをやってなかったかもしれません。これで味を占めて(笑)。

行方:ローランド・ハナから連絡があったとき、すぐに悠さんに阿部さんが連絡したっていうのは、日頃からそういった話があったんですか?

:気心が合う部分があったのかもしれないですね。

行方:そのジャケットは阿部さんがお撮りになってるんですか?

:どうだったかなぁ〜たぶんそうだったと思いますよ。ほとんど彼の斡旋で作ったようなものですから。

行方:サド=メルが日本で途方に暮れていたのを、阿部さんが身銭を切って助けたという話は前回のトーク・イベント(2017年12月16日、行方均×中平穂積)でも話題になったんですが、阿部さんはジャズに関わることで暮らしてらしたんですが、持ち出しも多そうですよね。

:この話でいつも忘れられている部分があって、それを付け加えるんですけど、サド=メルを呼んだのはサド・ジョーンズの大ファンの女性の方で、ともかく日本で紹介したくてまったく当てもないのに呼んじゃったんです。その尻拭いを阿部さんがしたんですけど、こういったとてつもないジャズ・ファンがいなければ起こらなかったことだろう…面白い話だなぁと思うんです。

行方:その辺から悠さんと阿部さんの親交が始まったわけですね。お二人に共通することといえば、阿部さんも一旦ニューヨークに行くとかなり長期間滞在されるって話でしたけど、悠さんもそうじゃなかったでしたっけ。。

:僕はレコードを制作するために、やむを得ず長くいるって感じでしたけど。

行方:たしかにWhyNotの約20枚は2〜3年の間に集中して作られてます。

:1975年シカゴに行ったときに、シカゴのAACM設立10周年記念のジャズ・フェスティバルにちょうどぶつかったんです。そこでチコ・フリーマンとかいろんなミュージシャンに会ってえらく感心して、レコードを作ろうっていう話がトントン拍子に進んだんです。それが推進力の一つだったかもしれませんね。AACMはニューヨークのジャズとは違ったものをやるんだって、シカゴの連中が立ち上がって作った組織で、このあいだ亡くなったリチャード・エイブラムスっていうピアニストが主催者だったんです。そこからアート・アンサンブル・オブ・シカゴとかいろんなグループが出てきて。

行方:前衛的なジャズで、決してレコード・ビジネスにマッチしたものではないんだけど、そういうものが勃興していたときだからこそマイナー・レーベル的なものが求められていた時代だったというわけですね。その中で登場した硬派なレーベルWhyNotですが、なぜ「WhyNot」という名前にしたんですか?

:どうして?ってよく聞かれるんですけど、僕もよくわからない、WhyNot(これでいいよね?)なんですよ(笑)。

行方:答えがそのままレーベル名になっている(笑)。で、写真は悠さんがお撮りになってる。

:それは僕が向こうでレコード・プロデュースをして、“阿部さん今日こっちでレコーディングがあるからアメリカに来てよ”って言うわけにはいかないじゃないですか。だから当面のジャケットに使う写真は僕が撮ることになって、それを彼にアレンジしてもらったんです。

行方:WhyNotはジャケットの表にミュージシャンの写真を載せませんでしたね。写真家阿部克自によるカメラマン悠雅彦評はどうだったんですか?

:どうだったんでしょう。先ほどお話しましたように1968年サド=メルが日本に来たときに、たまたまの機会で僕は阿部さんと知り合ったんですよ。ああいうことがなかったらもっとずっと遅かったかもしれない。1967年にジョン・コルトレーンが亡くなって、彼は66年に日本公演をしてるんですが、その頃、私は、北村英治クインテットの専属シンガーをしておりまして……。で、コルトレーンのステージを観てからは、“これはもう歌なんか歌ってる場合じゃない──”と思ってる最中に、サド=メル事件が起きたんです。

行方:阿部克自、悠雅彦、共に多才な方ですからね。

:クラウン・レコードから歌謡曲のレコードも出してまして。

行方:それは当たらなかった。

:当たってたら、僕はここにいませんよ(笑)

行方:(笑)話は戻りますが、悠さんが撮った写真に阿部さんは特に何もおっしゃってなかった。

:特になかったですね。

行方:ジャケットの表は写真を使わずに文字だけ、阿部さんって自分のデザインに使う写真に対しては潔癖というのか、理想が高いというのか。だからデザイナー阿部克自が、ここに展示してあるような作品を写真家阿部克自に撮らせた──という気が私は非常にしてます。今回<ポートレイチャーズ=肖像画>というタイトルで写真集、写真展を行ってますが、こうした肖像画的な作品を撮るカメラマンって他にあまりいないんじゃないですかね。

:ちょっと記憶にありませんね、いないんじゃないかな。

行方:ジャズ自身が瞬間のパフォーミング・アートだという見方があって、その一瞬を狙うのがジャズ写真だ──という見方がありますが、阿部さんは肖像画家がキャンバスに描き込むようにしてアーティストの個性を永遠に定着しようとした──そんな風に写真を完成させているイメージが強いです。

:遊び心が旺盛だし。写真を見ていて、他の写真家と違うな…と思うんですけど、表情の捉え方が独特だと思うんですね、ソニー・ロリンズなんかでも、ここには笑顔を見せている写真もありますけど、阿部さんは、なんとかいい顔を見せて撮ろう──とかはしないでしょ。自分で考えるいいショットを瞬間的に捉えて写真に収めるという形でずっと撮ってきたんじゃないかと思うんです。

行方:現実はそうですね、でもできあがったものは瞬間的に撮ったというよりは狙いに狙った表情を見せてるように思うんですね。

:あんなにアーティストから信頼される写真家を僕は見たことがないです。

行方:つまりそういうことなんですよね。ミュージシャンが思わぬ顔を見せてるじゃないですか、MJQのジョン・ルイスが笑顔で歯を見せた写真とかも人間の幅が広がって見えますし、それが定着されてるんですよね。阿部さんの写真は一瞬のショットというより、それを超えたアーティストの内面までを定着させようと意識的に狙ってらっしゃったんだろうなぁと思うんです。ご自身が分類された大量の写真の真っ先に<ポートレイチャーズ>という名前の分類があるんです。この写真展に展示されているものは、その<ポートレイチャーズ>という、阿部克自さんが一番の主題としたと思われるもの。それ以外にもスナップ的なもの、オン・ステージとか楽器別とか分類はあるんですが、ここにある一連のものは阿部克自が一番求めていた作品群だと思うんです。

:この写真をずーっと拝見していて、最後に感想をって言われたら、本当にいい時代だったなぁと思いますね。阿部さんが今もし元気で活動していたとしても、こういう写真は撮れなかったと思いますよ。
行方:10年以上前の朝日新聞のインタビューで、“撮りたいミュージシャンがいない”って仰ってて、寂しいといえば寂しい、これだけのジャズの豊かな時代を生きた人間の実感みたいなものが伝わってきました。

:私も、そのミュージシャンのために何かしてあげたいというミュージシャンが、今いません。だから、この時代はこれで終ったんだなと思いました。

行方:阿部さんのキャリアを見ていると、どうもデザイナー・ファーストというところがあると思うんです。阿部さんは元々ギタリストとしてもジャズに関わっていた方なんだけど、チャーリー・クリスチャンを見てギタリストの道は諦めた。そこでギターを辞めてジャズとの関係がなくなるのが嫌で、今度はミュージシャンを撮り始めるた。ただ仕事的にはカメラマンよりデザイナーが先にあった。この阿部克自というデザイナーは非常に欲張りで、ちょっとやそっとで自分の意に沿う写真がないなら、満足させる写真を自分で撮ろうと思うに至った──というのがなんとなく私が思い浮かべるストーリー。こうやって見ても阿部さんの写真はロゴ一つ加えるとアルバム・ジャケットになりそうなのが多いんです。阿部さんはCTIとかアメリカのレーベルからも直接仕事を依頼されてますね。

:CTIとかの音楽に阿部さんが共鳴されていたかどうかは知らないんですけど…。

行方:阿部さんのお書きになった本とかを読むと、本音はモダン以前のジャズがお好きで。

:やはりチャーリー・クリスチャンですか。

行方:それからデューク・エリントンや、カウント・ベイシー、親しくされてたソニー・ロリンズもいますけれども…。時代でいえばスウィングの時代というのが阿部克自の中心の時代であったような気もします。でもあまりそういう話はしませんでしたか?

:しなかったですね。今思えば本当に恵まれてましたね。1970年頃からだと思いますけど、垂涎もののミュージシャンが毎月のように日本に来てましたから。アート・ブレイキー、セロニアス・モンク、フォレス・シルヴァー…もうお金がいくらあっても足りないくらい来てました。今は来てます?

行方:来てるといえば来てますけど、これはジャズに限ったことではないですが、スーパースターというような存在が価値としても数としても減っていて、時代が求めていないのかもしれないですね。

:僕自身、一番コミットメントして印象に残っているのはチャールス・ミンガスですね。1970年にアメリカに行ったとき、同じクラブに毎日のように彼が出ていて、僕は彼の音楽が大好きだったので毎晩のように聴きに行ってました。親しく話をするようになったら、ある日突然彼が“俺、日本に行きたいんだけど”って言うんですよ。で、亡くなりましたけど西陰さん(もんプロ)っていうプロモーターに相談して来日の手はずを整えてもらって、僕は役割を果たしたなと思いました、いい思い出です。

行方:“俺、日本に行きたいんだけど”ってミンガスにしては素直な発言ですね。そういう自己表現をする人とは。

:その辺りマックス・ローチとはずいぶん違いますね。彼はどちらかというと学者タイプ、ミンガスは子供みたいな人でした。

行方:で、話は最初に戻るんですが、WhyNotのデザインはなぜ阿部さんに頼んだんですか?

:誰かを使わなきゃならないっていったときに、僕にとっては阿部さんしかいなかったんで。阿部さんも困ったと思いますよ、僕が出した注文はただ一つ<赤/黒/緑をうまくミックスしてデザインしてください>。それがいかに無理な注文であるか分かった上で頼んだんですけど。その一つの答えとしてわざわざ毛糸の編み物を奥さんに頼んで作ってもらって、それを写真に撮ったというアイデアにはビックリしました。

行方:という辺りでお時間が来てしまいました。この後、前回と同じプレゼント・コーナーを行おうと思います。悠雅彦さん今日はありがとうございました。

:ありがとうございました

この後プレゼント・コーナーが行われた。

「ジャズの肖像 ポートレイチャーズ写真展」はこの後以下のスケジュールで開催されます。


会期:パートII 2018年2月18日(日)まで開催
会場:リコーイメージングスクエア銀座 ギャラリーA.W.P
東京都中央区銀座5-7-2 三愛ドリームセンター8F
詳細:http://www.ricoh-imaging.co.jp/japan/community/squareginza

『ジャズの肖像 ポートレイチャーズ』 のご案内

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    B5判 / 168ページ / ¥ 4,000

    ジャズは、ここに生きている──
    世界で知られたジャズ・フォトグラファー阿部克自写真集

    ジャズ・ミュージシャンを撮影し続け、写真家、グラフィック・デザイナー、プロデューサーとしてジャズ・シーンに多大なる貢献を果たした阿部克自。
    2005年、日本人として初めてジャズ写真家の最高の栄誉「ミルト・ヒントン・アワード」を受賞。

    デューク・エリントン、マイルス・デイヴィス、セロニアス・モンク、ジョン・コルトレーン、ディジー・ガレスピー、サラ・ヴォーン、秋吉敏子、カウント・ベイシー、ベニー・グッドマン、ビル・エヴァンス、アート・ブレイキー、チェット・ベイカー、フランク・シナトラなど、多数のミュージシャンと親交が深かった阿部だからこそ撮れた、ミュージシャンが心を許した者のみに見せる素顔の魅力を捉えた貴重な写真を多数掲載。

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