『MUSIC LIFE ビリー・ジョエル』発売記念イベント“Tribute to Billy Joel” が1月8日(土)に開催された。当日は第一部ビリーのステージ・フォトグラファーである阿久津知宏氏のトーク・セッション、第二部トリビュート・アーティスト “Busy Joel” のベスト・ヒット・ライヴという構成。司会進行は音楽評論家、プロデューサー、DJ、MCのマイク越谷さん。

“ワオッ! 過去15年で一番好きな写真だ” 僕の渾身の一枚にビリー・ジョエルが喜んだ

 

マイク越谷(以下マイク):阿久津さんはこの『MUSIC LIFE ビリー・ジョエル』にも登場されていますが、カメラマンの勉強はどこでされたんですか?

阿久津知宏(以下阿久津):いきなりな振りですね(笑)、私、特に写真の学校にも行ってないんです、もともとは広告代理店に勤めていて、撮影の立会いとかもあり、そのうち自分も作る側に回りたいな──と26歳の頃カメラマンの事務所のドアを叩きました。

 

この<思い切りの良さ>がその後の阿久津さんとビリー・ジョエルとの関係につながっていく。当初はアイドル雑誌の撮影から始まったキャリアだが、あまりの忙しさに面白かったはずの写真がつまらなくなり、改めて<好きなものを撮る>という原点に戻ったのがビリー・ジョエルだった。「ムーヴィング・アウト」を聴いたときに全身に電流が走った──というビリー初体験が、阿久津さんにビリーの事務所にカメラマンとしてのビリーを撮影したい──という手紙を出させる。

 

 

阿久津:親切な事務所で返信が来たんです。もちろん世界中でビリーを撮りたい人はものすごい数がいるわけで、“機会があれば頼むよ”という返事。で、もしかしたら別のスタッフが読んでくれるかも──とその後三回くらい手紙を出したんですけれど毎回同じ内容の返信。でも、その後当時ニューヨーク57番街にあった事務所にも押しかけたので、だんだん顔を覚えられて(笑)、なんとなくマネージャーの顔は分かった。93年にアルバム『リヴァー・オブ・ドリームス』を出して95年に来日公演ツアーがあった時に──これはイベント・プロモーターさんには叱られるんですけど──直接滞在しているホテルに突撃したんです。 “長年ビリーが好きで、ぜひ撮影させていただけませんか” とビリーのマネージャーに言ったところ面白がってくれて、上役のパブリシティ担当に紹介してくれました。彼も、“君の言ってることは面白いが、そういうカメラマンは世界中にごまんといるから、チャンスがあればお願いするよ”と。来日公演が終わって、ビリー一行は次のライヴ地アメリカ西海岸に向かった。でも、ここで諦めたら終わるな…と思い、25キロくらいの撮影機材を全部持ってサンディエゴ公演に乗り込んだんです。私の顔を見たマネージャーは“おまえ、なぜここにいるんだ!”と驚いたんですけど、そこで、“私は、一回撮らしてもらってダメだったら諦めるけれど、一度もチャンスをもらえないんだったら諦めきれない”と話したんです。このツアー・マネージャーは業界の大物でビリー以外にもマドンナやブルース・スプリングスティーン のマネージメントをしている人。彼に、“あなたがこの職業を始めた時に誰かが一回チャンスをくれたはずでしょう? 僕はそのチャンスをあなたから欲しいんだ”と。そうしたら向こうが根負けして、“分かった、一度撮らしてやるが、それがダメだったら二度と現れるな”と言ってくれたんです。

マイク:それでライヴを撮った。そうやって年上だろうがポジションが上だろうが下だろうが同じように頑張って言う──というのがアメリカの社会の有り様だから。

阿久津:手を挙げなかったら負けでしょ。

マイク:そう、ノーだと思っても自分の主張を掲げるというのはアメリカの社会ではごく普通じゃないですか。

阿久津:それで狙っていた表情が撮れたのでその写真を別の会場ダラスに持って行ってマネージャーに見せたたところ、あ、こんなに撮れるんだったら本人に会わせてやるよ──と。

マイク:何ショットも持って行ったんですか?

阿久津:いや、もう、これだな! という一枚を。それを持ったマネージャーにバックステージに連れて行かれてビリーに見せました。

 

その写真は、その後しばらくビリーのホームページのトップ画面に使われることになる。渾身の一枚を見たビリーは、“ワオッ! 過去15年で一番好きな写真だ”と喜んでくれた。当時のビリーは勢いに陰りが見え昔の活力が消えて来た頃、阿久津さんの一枚には、何かを睨みつけるような野心に富んだ表情が切り取られていた。“俺はまだこんな表情をするんだ…”。もっと撮りたいという阿久津さんに、“じゃあツアーに付いて来い!”と。

 

マイク:サンディエゴ、ダラス──。

阿久津:一週間に三回くらいライヴをやっていた頃、その後私が二ヶ月の間に飛行機で移動したのが四十八回。そうやってずっと一緒にいる感じで撮り始めました、ビリーは僕のことを軽めのストーカーと思ってるかもしれないけど(笑)。ビリーが信頼してくれてるな──っていう瞬間があります。

 

ツアーをやっていないときは大学や高校で講演を行うビリー。エンターテイメントに関することは何でも教えてあげられる──と、会場で生徒の質問も受けるが中にはゴシップ的な質問もあり、軽くいなすものの人間ネガティヴな感情になると顔が一瞬曇る。阿久津さんはそういう表情は撮りたくないのでカメラを置く。それを見たビリーが、こいつは大丈夫なのかもしれない──と思ってくれた。

 

マイク:そんな阿久津さんがビリーとエルトン・ジョンのツー・ショットを取り逃がした──とチラっと聞いたんですが。

阿久津:ジョイント・ツアーのバックステージでは互いの楽屋が反対側なので、ビリーとエルトンが一緒にいることってあまりないんです。で、あるとき二人が仲良く喋ってる場に遭遇したので撮ろうとカメラを構えたら、その瞬間マネージャーがもの凄い勢いで“カメラをどかせ! カメラを隠せ!”って言うので慌ててテーブルの下に置いたら、後ろからボブ・ディランが入って来た(笑)。仕方がないのでカメラを置いたまま部屋を出たんですが、部屋には一瞬だけビリーとエルトン、ディランがいて、私がいたんです(笑)。

マイク:ディランは撮られるのが嫌いだからね。アーティスト写真も少ないし、あっても決まってしかめっ面。

阿久津:ビリーのバックステージには普通だったら会えないような著名人が来るんですけど、常に不機嫌なのはディランとドン・ヘンリー。怖いんですよ(笑)。

マイク:にこやかなのは?

阿久津:ツアーメンバーのサックス、マイク・リベラから友人が来るので一緒に撮って欲しいと頼まれたのが、ブライアン・ウィルソン。最初はどこのお爺さんかな──と思いました。

マイク:「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」をビリーと一緒にやったサー・ポール・マッカートニーは?

阿久津:会いました、というか未知との遭遇みたいな感じで(笑)。

 

2008年8月ビリー・ジョエルがニューヨークのシェイ・スタジアムでライヴを行った。かって1965年8月ビートルズが当時史上最大規模の屋外公演を行った会場のラスト・ライヴ(取り壊しのため)。当日、ポール・マッカートニーの出演予定は入っていなかったのだが、ライヴが始まってポールから連絡があり急遽決定。しかし夜11時にJFK空港に着くため、そこからパトカーが先導しての会場移送。ビリーのラスト・ソング「ピアノ・マン」を撮ろうとステージの横で構えていた阿久津さんが、バックステージに来た大量のパトカーに驚きながら、自分の数メートル隣に見知った人影を見とめる。立っていたのはボトル・ウォーターを持ったポール・マッカートニーだった。ステージから降りたビリー・ジョエルはポールと一言二言言葉を交わすと一緒にステージに戻り「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」「レット・イット・ビー」を共演。バンドは当然のことながらリハーサルはしていなかったのだが、突然演奏を初めてもぴったりラストは合わせる。マイクさん曰くの<それがロックン・ロール>だった。

 

 

阿久津:これは有名ですけど、ビリーはリハで自分の曲をあまりやらずにストーンズやビートルズ、時にはマイケル・ジャクソンとかを演奏するんです。そうやってテンションを上げてライヴに臨む。

マイク:ビリーもロックンロール、リズム&ブルース、ドウー・ワップといったルーツの音楽が染み付いてるから。ここでちょっと付け加えた話をすると、実はビリーが14〜5歳の頃シャドー・モートンというプロデューサーの作品の演奏に起用されていたらしいんです。1964年のシャングリラズのヒット「リメンバー〜渚のおもいで」(全米5位)、「黒いブーツでぶっとばせ(リーダー・オブ・ザ・パック)」(全米1位)。

阿久津:マイクさんに当時のシングル盤を見せられて、そのことは、私、今日初めて知りました。

マイク:先日発売されたアルバム『ジャパニーズ・シングル・コレクション-グレイテスト・ヒッツ-』の解説でも少し触れられています。で、ビリーの最近の状況についてはいかがですか?

阿久津:マジソン・スクエア・ガーデンで月一回のライヴをやる契約が、新コロナ禍でこの一年半お休みだったのが再開したんですけれども──、1月から再度感染拡大となって、再開がいつになるのかはちょっと分からない状況です。

マイク:再開されたら、もちろん。

阿久津:行って撮りたいですね。日本にも来てくれるかな〜と思っていたんですけどね、ビリーは日本のステーキが大好きで何軒か行きつけの店があるくらい。それで私の顔を見るたびに、“あ、ステーキ食べたい”ってポツリと言うんです(笑)

マイク:これから新コロナ禍が治まったら、そういうフレンドリーな感じで、マジソン・ライヴの再開や、久々の来日公演観たいよね。一曲目は「ストレンジャー」で(笑)。では、今日はどうもありがとうございました、阿久津知宏さんでした。

阿久津:ありがとうございました。

マイク:マイク越谷でした。一旦休憩を挟んでBusy Joelのステージです。

 

第二部はビリー・ジョエルのヒット曲オンパレードのBusy Joelのステージが展開された。初期ビリーを思わせるコースケがセンター・マイクでパワフルに、時にセンシティヴにビリーの世界を再現した(「ストレンジャー」の口笛も絶品!)。

 

 

終演後は阿久津さんのミニ・サイン会も行われた。

書籍のご案内

  • MUSIC LIFE ビリー・ジョエル〈シンコー・ミュージック・ムック〉
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  • MUSIC LIFE ビリー・ジョエル〈シンコー・ミュージック・ムック〉

    A5判 / 144ページ / ¥ 1,980

    ソロ・デビュー50周年記念!
    黎明期から現在まで、全キャリアを総括

    ソロ歌手として初めて発表したアルバム、『コールド・スプリング・ハーバー』のリリースから50年! 2CD+DVDの最新ベスト盤『ジャパニーズ・シングル・コレクション』もリリースされるビリー・ジョエル。本書は全アルバムの詳細なレビューに加え、関係者へのロング・インタビュー、発掘記事、そして貴重なビリーのインタビューも一挙掲載。記念すべきアニバーサリーの年に、改めてビリーの曲/歌詞の世界をマニアックに深堀りします。

    【CONTENTS】
    ARCHIVES
    対談:ビリー・ジョエル VS 原田真二(1978)
    初来日取材で見せた「素顔のまま」のビリー(1978:一色真由美)
    インタヴュー(1979)
    インタヴュー(1980)
    担当ディレクターによるツアー密着記(1981:小野志朗)
    インタヴュー&イベント・レポート(1993:落合 隆)
    インタヴュー(1993:鈴木道子)

    ステージフォトグラファー、阿久津知宏が語るビリーとの交流
    レヴュー:『ジャパニーズ・シングル・コレクション』(石井達也)
    全アルバム・レヴュー(ソリアーノ・タナカ/荒野政寿)
    鈴木道子が選ぶ珠玉の10曲

    歴代担当ディレクターによる証言
    小野志朗
    喜久野俊和
    大坂 映

    小倉エージが振り返る1978年の現地取材
    1987年夏、旧ソビエト連邦ツアーの功績(五十嵐 正)
    アメリカ社会とビリー・ジョエル(五十嵐 正)
    ビートルズとビリー・ジョエル(藤本国彦)
    エルトン・ジョンとビリー・ジョエル(石井達也)
    ジャズとビリー・ジョエル(柳樂光隆)
    使用したシンセサイザーの変遷(クリテツ[あらかじめ決められた恋人たちへ])
    日本の音楽シーンとビリー・ジョエル(荒野政寿)
    インタヴュー:KANが語るビリー・ジョエルの魅力

    元バンド・メンバーによる証言
    リッチー・カナータ
    ラッセル・ジャヴァース

    厳選、カヴァー曲セレクション(中田利樹/荒野政寿)
    ベン・シドランが語る「ニューヨークの想い」秘話
    ソリアーノ・タナカと振り返るオリジナル・アルバムの魅力

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