4月27日(日)ヒューリックホール東京にて、MUSIC LIFE CLUB Presents THE QUEEN DAY 10th ANNIVERSARY SPECIAL Ⅱとして、フレディ・マーキュリーの元付き人、ピーター・フリーストーン(フィービーさん)の貴重なトークと、ミラン・デヴィン&バンドによるクイーン・ナンバーの演奏を組み合わせたイベント「An Evening with Mr.Peter Freestone featuring MILAN DEVINNE & BAND」が開催された。
このイベントの終わりには、皆さんにより深くフレディのことを知っていただければ──ピーター・フリーストーン
〈第一部〉
第一部はフィービーさんがイベントの概要を語る映像からスタート。続いてミラン・デヴィン&バンドによるシンプルなアレンジの「アンダー・プレッシャー」。明快に歌い上げるミランさんのヴォーカルと、必要最低限な音数のバンドサウンドで再現する世界は、クイーン楽曲の持つメロディの美しさを再認識するパフォーマンス。そこに進行役の石角隆行氏(クイーン研究家)に紹介されたフィービーさんが大きな体を杖で支えながら笑顔で登場。和やかな雰囲気でこれから始まる物語に期待が集まる。場内も大きな拍手で迎える。通訳は川原真理子さん。


“このイベントの終わりには、ここに集まっていただいた皆さんにより深くフレディのことを知っていただければ──”とのフィービーさんのコメント通り、スクリーンに映し出される数々の映像にマッチする楽曲と、ゆっくりと遠く思い出すように語られるフレディのエピソードに、時に笑い、拍手をし、涙腺が緩み、フィービーさんが言う〈映画で描かれたフレディだけがフレディではない、心から笑っているハッピーなフレディの姿〉が思い浮かんだ。 楽曲は、「愛という名の欲望」「ブレイク・フリー(自由への旅立ち)」「RADIO GA GA」「地獄へ道づれ」「アイ・ウォント・イット・オール」「ボヘミアン・ラプソディ」「輝ける日々」と続く。
スクリーンにはおなじみの着物姿で歌うフレディが映し出され、日本でのエピソードに。フィービーさんは“皆さんの方がご存知だと思いますが、フレディは日本が大好き、この国のほぼ全てのものが好きでした。着物は芸術作品だと言って、他にも木版画、根付とかも。ただ刺身と寿司は嫌いでした(笑)それだけです嫌いだったのは。日本は彼の心の中の大きな部分を占める国だったと思います”とコメント。
さらに“もう一曲できますか?”と尋ねると、そこには法被姿のミランさんが。“日本では是非やりたい曲があります、皆さんだけのために練習してきました”と「手をとりあって」を披露。サビの日本語部分からは会場全体が一つになっての大コーラスに。
続いてミランさんからの“もう一曲できますか? 皆さん聴きたいですか?”に会場も大拍手で応える。フィービーさんは、“フレディは一番好きなクイーンの曲を決して明かしませんでした、マスコミが“他の曲は嫌いなのか”って騒ぐからね。これからやる曲はフレディが本当に好きな曲でした”と紹介したのが「愛にすべてを」。ミランさんの絶唱と、続く客席とのハイ・テンションなコール&レスポンスの余韻を残して第一部は終了。
〈第二部〉
第二部は石角氏の司会で、ファンから集まった200通を越す質問にフィービーさんが答えるQ&Aをメインに進行。途中から38年ぶりの再会となったガーデンロッジの日本庭園を造園した高原竜太朗さんも交えてのトークに。フレディの人となりのエピソードを始めいくつかの新事実も明らかになった。
・ガーデンロッジに居るフレディも、ステージ上のフレディもどちらもフレディ。ステージも彼のホームだった。
・フレディはシャイな人で、私が知っている12年間自分の方から自己紹介をしたことは一度もなかった。
・近寄りがたいイメージがあったかもしれないが、それは話そうとする人が勝手にそう思い込んだからだと思う。
・ファンのことは本当に大切にしていました。ファンがいなければガーデンロッジも、その中にあるものもなかったはず。
・サインや写真撮影には快く応じていた。(ただし時や場所をわきまえてのものに対して)
・和食器は実際に三種使っていた、土鍋も料理を盛る器として、花瓶も花を飾って実用としていた
・家の中はそこら中日本。着物も木版画も定期的に飾り替えていた。
・着物は芸術的作品、フィービーさんは黒い着物(下方は別の色)を貰った。
・札幌でのツアー打ち上げがビール園で行われ、フィービーさんはビール飲み合戦で2位に。クイーンは必ずツアー打ち上げはクルーへの感謝を込めて全員参加で行っていた。


◎高原さんも交えて
・瓦をフレディが注文した茶色で作っていたが、日本旅行から帰ったフレディが京都桂離宮で見た瓦と違うということでやり直しになった。
・大きな庭石はクレーンで運んだ。イメージ通りのものを見つけるのが大変だった。
・高原さんはフィービーさんが淹れてくれる3時の休憩の英国紅茶が楽しみだった(フレディはコーヒーは飲まなかったので必然的に紅茶に)。
・東洋人ということで差別的な扱いがまだあった時代に、フレディとフィービーさんからはそういう接し方は全くされなかった。
・滝の側にある電線を切ってしまい家中停電になったが、フレディは〈事故なんだからしょうがない〉と気にしなかった。
・フレディとは会話、サインなどは厳禁だったが、庭園完成後ガーデンロッジを去る日にメアリーさん経由でフレディのサイン入りのポートレートを貰った(実はフレディの方もプロの高原さんに色々注文するのを怖がっていた節も──とフィービーさん)。
・「池の鯉全滅事件」は、池を作った英国人庭師のミスだと思われていたが、実は池掃除をしようと鯉を別の所に移したメアリーさんが酸素ポンプのスイッチを入れ忘れたためだった。
新事実が明らかになったところで高原さんは退場。さらにフィービーさんはいくつかの質問に答えた。
〈やってよかったことは?〉の質問に〈フレディ・マーキュリーのパーソナルアシスタントであったこと〉と答えたフィービーさんは、12年間契約書もサインもなしでアシスタントを続けた。“もちろん仕事だったから私の口座には毎月振り込みがありました。ただ仕事の幅や内容が多すぎて契約書にどう表記していいかわからなかったから”と笑う。
“フレディと共に人生を生きてきた私の役目は、フレディの人生をいかに楽にするかということ、それ一点だけ。ですからありとあらゆることをやりました、12年間フレディのために尽くすことができた。そうしてフレディの人生を楽にすることで同時に私の人生も楽になり、仕事で仕えているという以外にも本当に素晴らしい友人でした──”と述懐。場内は暖かく大きな拍手に包まれた。
フィービーさんは最後に、“みなさんにあたたかくむかえていただき、かんしゃでいっぱいです”と日本語でメッセージを。
さらに、“ここに集まってくださったみなさんの気持ちが伝わってきて泣きそうです、ひたすら感謝です、ありがとうございます”と続けた。(場内大拍手)
この後、本日登場したピーター・フリーストーン(フィービーさん)、ミラン・デヴィン&バンド、高原竜太朗さん、石角隆行さん、川原真理子さん(通訳)がステージに登場、写真撮影が行われた。

写真後列左より:ルカーシュ・ヴラベツ、ミラン・デヴィン、高原竜太朗、石角隆行、デインシュ・マリニカ、ミシャル・ウィンター、前列:ピーター・フリーストーン、川原真理子
「An Evening with Mr.Peter Freestone featuring MILAN DEVINNE & BAND」
2025年4月27日(日)16:00開演 ヒューリックホール東京
〈出演〉
ピーター・フリーストーン PETER FREESTONE
ミラン・デヴィン & バンド MILAN DEVINNE & BAND
〈バンドメンバー〉
ミラン・デヴィン(Vocal&Guitar)、ミシャル・ウィンター Michal Winter(Bass)、ルカーシュ・ヴラベツ Lukáš Vrabec(Keyboards)、デインシュ・マリニカ Daneš Marinica(Drums)
〈ゲスト〉
高原竜太朗(フラワーアーティスト)
〈通訳〉
川原真理子
〈構成進行〉
石角隆行(クイーン研究家)
☆本公演の収益の一部はマーキュリー・フェニックス・トラスト(The Mercury Phoenix Trust)に寄付いたします。
書籍のご案内
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追憶のフレディ・マーキュリー
四六判 / 472ページ / ¥ 2,750
“フレディ愛”に満ちあふれた回顧録。
「2009年エディション」の完全新訳で登場!1979年後半からその最期のときまでの約12年間、フレディ・マーキュリーのパーソナル・アシスタントとして、影に日向にフレディを支え続けたピーター・フリーストーンによる“フレディ愛”に満ちあふれた回顧録。“2009年エディション”が完全新訳にて登場!
「どんな人も他人のことを100%知ることはできない。だから、絶対的な真実など私には書けないと承知している。これから語られるフレディの人生は私の目を通して見たものだ。男としての彼、天才としての彼、その両方が手を携えた結果が何だったのかを綴っていきたいと思う」(本文より)
※本書は、2001年に株式会社DHCより刊行された『フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ』の原書の「2009年エディション」を完全新訳したものです。