MR.BIG 写真集発売記念スペシャル・トーク・イベントが、「MR.BIG The BIG Finale! Forever In Our Hearts」最終日(日本武道館公演)の行なわれた翌日、渋谷タワーレコードにて開催された。登壇者は写真集を撮影したウイリアム・ヘイムス氏、BURRN!広瀬編集長、編集担当 幅 由美子(BURRN!編集部)さん。長きにわたるバンドと本書制作チームとの歴史が、様々なエピソードを交えて語られた。

「このバンドいいバンドだな、この4人でバンド組めばいいのに」(by Eric Martin)


ウイリアム・ヘイムス(以下ウイリアム):どんなアーティスト、エアロスミス、キッス、ポイズン、モトリー・クルーでも、ある時期すごく親しく仕事をする時期がある。MR.BIGのファースト・アルバム『MR.BIG』(’89年)に関しては僕は関わってないんだけど、そのアルバムが日本ですごく評判が良かったから、当時のレコード会社から、これはもっと行けるんじゃないかと「すぐフォトセッションをして、取材をして日本で売り込む!」と当時ハリウッドにあった僕のスタジオでバンドを撮影して、写真を見せたりしていたら、それをバンドが気に入ってくれてセカンド・アルバム『Lean Into It』(’91年)のバックカヴァーに使ってくれた。それがバンドとしての最初のフォトセッション。
僕のスタイルを1989年にバンドが気に入ってくれて、セカンド・アルバムは日本ではもっと売れた。だから当時 “MR.BIG IN JAPAN”って言われていて、昨日のライヴでもそうでしたが、彼らは日本に特別な思いを持っていて、その2枚目から彼らとは仕事をさせてもらった。その後日本で売れたから89年からは毎年のように写真を撮ってました。写真集はこのあいだの大阪でのライヴの時(2月22日)にメンバーに渡しました。

広瀬編集長(以下広瀬):まず大阪に行って、メンバーに直接渡そうと。そこにサインが入った。
幅 由美子(以下幅):全員にサインを書いてもらいました。実物を手にしてその重みで、「おぉ!! 凄いものを作ったね」って。
広瀬:この重みにはマネージャーのティムさんも「おぉ!!」って。
ウイリアム:そこで、ちゃんと本人たちがサインしてる証拠の映像があるので、それを見てもらいましょう。僕が書いたわけじゃないからね。
広瀬:本物だよって。

「The BIG Finale!」大阪のライヴ会場「大阪城ホール」の広い楽屋スペースに大テーブルがあり、メンバーがやってきては次々とサインをしていく映像が上映された。

ウイリアム:(映像を見ながら)MR.BIGの人たちは、今、◎◎さんって、さん付けで呼び合ってる。「ティムさん」とか「ビリーさん」。大阪でやってよかったのは楽屋が広かったこと。武道館はちょっと狭いからね。でも、こうやって証拠映像が残ってると安心しますよね。
(画面ではサインを終えたエリック・マーティンが写真集を両手で持って“ロックンロール・バイブル、MR.BIG BIBLE” と何度も繰り返す姿が)
エリックは話し出すと長いね(笑)。まだこの大阪ではそんなに感傷的じゃなかったけど、昨日の武道館はけっこうしんみりしてましたよ。
広瀬:武道館が最後というのもね。

大きな写真集を見やすくする工夫

ウイリアム:この写真集はバンドのオフィシャルとしても許可をもらっているので。バンド公認の写真集ですね。
広瀬:写真を選んでレイアウトをして──というのはかなり大変な作業だったんですよね、編集担当の幅さんとしては。
:私というよりはレイアウト担当のデザイナーの古川さんが大変で、写真を観て選びまくって。
ウイリアム:自分の写真集は、自分でこれがいいなと写真を選んで集めるよりも、幅さん、古川さんという女性の目で見ていいなと思ったものを選んでもらったんです。僕が勝手に “これがいいぞ” って言ったものじゃなく、みんなで “これはいいよね” って集めた、共同作業でチームでやった写真集です。
広瀬:作業の最後の工程で、実物大の色校正紙を並べて、“やっぱりこの大きさで見るのはいいな” っていう感激はありましたね。このサイズで見開きにして。しかも見開きにした時に真ん中が見にくくならないように工夫して。

:普通は本の背表紙にページがくっつけられてしまって、開こうとすると山なりになって真ん中が見えない。それを背表紙の間に少し隙間ができるように開けるようになっているので、中央のページを開いてもちゃんと見られるようになっています。
広瀬:これは見る人のためにそうしているんですけど、印刷会社の方から「何度も開くとページがバラっと取れる可能性がゼロではない、その場合クレーム対象になるから、この作りは止めたほうがいいのでは」と言われたんですが。
:開かないページを無理やり開こうとしてバラける可能性の方が高い。
広瀬
:この方が絶対にバラけないんですよ。見れないのを無理やりこじ開けようとするからバラける本を僕も色々持ってます、普通に背表紙に付けてあるから。でもこの本は背表紙に余裕を持たせているから開くことができる。
:ページを開いた状態でも飾っていただくことができる。
広瀬:それができるんです。いいものを作るという信念で。いいものを作れば必ず売れるという世の中ではないですが、これはいいものを作った自信があるので、もう一生モノなので、20,000円は高くないです。手に入れるというのは本当に大事で、売れ残った本は取って置かれずに破棄されますから。
ウイリアム:だから保存版と毎日観る版と2冊買って(笑)。
:やっぱり若い頃の美しい写真を眺めたいじゃないですか。
ウイリアム:この頃はちゃんとメイクしてるんですよ、ヘア・メイクもついて。スタイリストはいなかったから自分たちで服を持ってきてたんだけど、後半の再結成した頃はスタイリストもつけてましたね。
広瀬:こういう写真ってウイリアムさんの色使いが綺麗だから、他のカメラマンも真似しましたよね。
ウイリアム:背景はキャンバスで、色を付けないとただのグレイかこげ茶みたいな色になるんだけど、色が映えるようなライティングがあって。(会場内に)みなさん、フィルムで写真を撮ったことってあります? 今はiPhoneとかで撮るけど、僕が使っていたブローニー版(60mm × 60mm)はカメラの後ろにフィルムを入れるパックがあって1回で12枚しか撮れないんです。だからアシスタントがフィルムを装填したパックを5~6個並べて、撮る度に抜いて入れて撮影してました。35mmのフィルムは1回で36枚しか撮れない、それだとライヴ撮影ではあっという間だから3台のカメラを持って、当時はズーム・レンズもオートフォーカスもないから、3台それぞれに望遠、標準、広角のレンズを付けて撮影して、36枚撮ると鬼のようにフィルムを巻き戻ししてポケットに入れて新しいフィルムを装填して──、という作業だった。幅さんは『BURRN!』でも写真を撮ってるから、昨日のMR.BIG(武道館最終公演)では6,000枚撮ったって自慢してます(笑)。
:連写の嵐です(笑)。
ウイリアム:36枚のフィルムで6,000枚撮ると、背中にカゴを背負って撮ったフィルムを投げ込まないと(笑)。だから昔はカメラマンとしては技があったんですよ。
広瀬:スタジオ撮影でもそうですよ、今は連写が利くので割と早い時間で撮影できる、だいたいミュージシャンって待つのが嫌いだから、〈早いといい〉というのがあって。
ウイリアム:ってくれるのはありがたい」って言われましたよ。たらたらと長くやってるとミュージシャンは飽きちゃうから。しかも僕の場合はマネージメントとかレコード会社からの依頼で撮ることも多くて、いくつかの雑誌の表紙用とか、パンフレットを作るとか、ツアーブックを作るとかでパターンをいっぱい撮らなくちゃならない。だいたい少な目にみて5パターン。バンドで5パターン、ギターで5パターン、ビリー・シーンだけ、ポール・ギルバートだけ、ビリーとポールでとか……、エリック・マーティンだけ、パット・トーピーだけとかヴァリエーションをいっぱい撮らなきゃいけないんで大変なことは大変でした。

広瀬:日本のバンドの撮影に立ち会ってると、パターンを変えるだけでも結構大変。
ウイリアム:しかも、例えば他の音楽雑誌の表紙を頼まれたりすると背景の色も全部変えなきゃいけないからね。だから逆に言うと同じ年に一回しかスタジオに来てなくても何ページか使えるだけの分量は撮れてる。
広瀬:それでもウイリアムさんはちゃんと考えて撮ってくれるからありがたい、考えない人も結構いるので。
:レコード会社から供給されるもので、「何パターンか送ったよ」と言われても、ちょっとした身体の向きの違いだけだったりすることもよくありますね。

山あり谷ありのバンドのドラマ

ウイリアム:MR.BIGはバンドの中でのドラマもあったじゃないですか。まず一番最初はポールが抜けて、リッチー・コッツェンが入った(1999年)、でもリッチーも抜けてその後一度解散をしてる(2002年)。それで再結成をしたら(2009年)今度はパットの発病が告知された(2014年、後2018年逝去)。色々山あり谷ありで、スタジオで元気に撮ることもあったけど、みんなをバラバラに撮ることもあったよね。幅さんも一緒に行った。
:2014年『…The Stories We Could Tell』の取材をしにアメリカに飛んだんですけど、私が日本を離れたその日に「パット・トーピーがパーキンソン病にかかっている」と報道があって、最初はエリックがプライヴェート・パーティに出ていたテキサス州サン・アントニオに行って取材。
ウイリアム:その後東海岸コネチカット州ニューヘイヴンで、ザ ・ワイナリー・ドッグスのツアーをやっていたビリー・シーンをつかまえて、まず二人を撮り終えてロサンゼルスに戻って。
:その間に二人のインタビューもしていたんですけど、「パットの病状というのがかなり厳しいので覚悟するように──」と聞かされていて。特にビリーからは、「本当にどうなるか分からないし、会うのも覚悟して行けよ」と言われて、話しているうちに泣いてしまって。ロスに飛ぶ前、パットはインタビューに出てこれるかどうかもわからなかったけど、ポールと一緒なら取材を受けてもいい──となって、同じスタジオに出てきてくれて、インタビューをしたんですけれど、その時覚悟をして行ったとはいえ、会ってハグをしたら体が震えていて、今までのパットと違って体も痩せてしまって。インタビュー自体はポールも一緒だったので、アルバム『…The Stories We Could Tell』もちゃんと作れてよかったとお話をしてくれたんですけど。
ウイリアム:ポールが側にいてくれて助かった──って言ってて、その後ちょっと良くなって。
:アメリカ取材の時はまだ治療も始まってないような段階でした。
ウイリアム:日本で『Live From The Living Room』をやった時のリハーサル・スタジオの前で撮った写真(2011年)、この時も普通のコンサートは叩けないと。
広瀬:その時はまだパットの病気は明らかにされていなかった。
:『What If…』が出た2010年12月の後、2011年1月に来日して観客を入れてのスタジオ・ライヴをやります──という話だったんです。私はリハのある日に取材をする予定だったんですけど、それが急遽飛んでしまった。当時はパットがエレクトリックのショーをやるはずが腰が痛くて叩けないっていう話でした。だから急遽アコースティックのショーになって、その変換、アレンジを変えたり弦楽器を呼んだりというのがてんやわんやで取材なんかしてる場合じゃなかった。その時はパットがパーキンソン病だというのは何も分かってなかったんです。後から思えば、あああれがそうだったのか──と。

撮影にまつわる色々なエピソード

ウイリアム:サン・アントニオとかニューヘイヴンとかって地名が挙がってますけど、僕はMR.BIGをインドネシアまで撮りにいったことがある。あれは『Raw Like Sushi 100』の時かな。
:2011年の4月の来日ツアー初日の大阪城ホール公演が日本公演100回目だったんです。その模様も入れたボックス・セット『Raw Like Sushi 100』を出すというので、『BURRN!』では表紙巻頭取材をしましょうとなったんですけど、表紙写真がない。それでウイリアムさんにインドネシアに飛んでいただきました。
ウイリアム:現地に行って、さぁ写真を撮ろうかといったらバンドの衣装・楽器が届いてない。普段着しか着てない、これでは表紙にならない。それでもう一回来ますと、僕はロスに帰って、翌日メタリカの取材をして、翌日ロスに戻りその翌日日本経由でインドネシアに行って撮ったんですよね。あれだけキツイことはなかった(笑)。貴重な経験だったんだけど、今思うと何がなんだか分からなかった(笑)。で、僕が撮ったMR.BIGのライヴはほとんどが日本なんですね。アメリカでもいくつか撮ってるけど、日本公演に付いていったのが一番多い。いろんな地方にも行ったし、幅さんは僕が撮らないという時は「私が撮ります」ってカメラを始めたっていうくらいの強者で。
広瀬:ウイリアムさんがツアーの途中で帰るって聞いて。
:2014年のツアーで別冊を作ろうと思ったんです、ウイリアムさんはオフィシャル・カメラマンだからずっと付いてらっしゃると思って当てにしていたら、「前半しかいないよ」って言われて。それで急遽後半は私が全部撮るしかなくなって。
ウイリアム:凄いでしょ、カメラを始める動機が(笑)。
:MR.BIGのおかげで写真を撮り始めたので。
ウイリアム:デジタルだから枚数にしたら僕よりも撮ってる(笑)。
:だからツアー前半でウイリアムさんの横でひたすら練習を重ね、後半はなんとか自分で撮りました──というところからなんです。
ウイリアム:でも『BURRN!』さんはバンドに愛されてるから、全曲撮れるし、インタビューも優先でできるし。
広瀬:それはやっぱりウイリアムさんが全曲撮れるのは大きい。今はライヴの頭3曲っていうのが普通だからKISSだって火を吹くとか血を出すとか飛ぶとかは一切撮れないのが普通。MR.BIGだってウイリアムさんは信頼されていてマネージメントにOKもらえるから、昨日の武道館もそうですけど、最後にメンバーが挨拶をする時にウイリアムさんがステージの上から撮る、あれができるのは特別な人だけ。


ウイリアム:あ、昔はね、特別なカメラマンしかできなかったけど、時代は変わって今はドラム・テクがiPhoneでピョッと撮ったやつをFACEBOOKに毎日のように載せてるバンドがいますよね、MR.◯◯◯っていうのがね(笑)。ヨーロッパの公演は毎日載ってましたよ。今回はエリックから「早くその写真をくれよ、サイトに出したいから」って言われてますけどね。昨日、僕は最後の写真撮影用に待機してたんだけど、ビリーの話が長くて居場所がなかった。あんまり立って待ってるのもなんだから一度引っ込んで、そろそろ終わるかな──と行くとまだビリーが話していて(笑)。
:感動のスピーチでエリックも泣いて、ちょっとグン!と胸に来ました。
広瀬:エリック泣いてましたね。最後エリックはMR.BIGとしてというか、武道館……見納めだな──という感じで。

メンバーにまつわる色々なエピソード

ウイリアム:みなさんの中でリハーサルをご覧になった方もいると思うんだけど、その前に彼らもリハーサルをしていて、その時にエリックが出てきて武道館のど真ん中で周りをグルッと見渡して「あぁ、これで武道館も最後かな……」みたいな感じで。その時の写真もあります。
:(写真を見て)その時に私が撮ったウイリアムさんとエリックです。
ウイリアム:改めてしみじみと武道館をもう一度見ていた。
:万感胸に迫る──という感じでした。
広瀬:そして席に置いてあるリッチー・コッツェンの来日チラシを見つけて、「リッチー・コッツェン、なんでここにいないんだよ~!!」って感じで。
ウイリアム:武道館の感激はどこへ行ったんだろう(笑)。

:2023年のライヴではやらなかった「プライス・ユー・ガッタ・ペイ」も今回は、二人羽織のリハーサルもサウンドチェックの時やってました。ビリーがハーモニカを吹いて、後ろからエリックがベースを弾いて。やっぱり最後はこれやるんだ──って感激したんですけど。2年前、MR.BIG特集の『炎 Vol.5』でエリックに超ロング・インタビューをやった時に。
広瀬:8時間だったっけ? 
:8時間半(笑)。MR.BIGのヒストリーを全部エリックに語ってもらった時に、この二人羽織の話になって。ビリーはずっとストラップを替えずにライヴが終わったら、自分の父親が使っていたアフターシェイヴ・ローションと同じ香りのものを振りかけて汗の匂いを消している──と。その匂いを好きな人なんていないぐらいの匂いで──という話がビリーに伝わって、それでもうやらない!ということになったのかな……と、『炎』を出したのはヤバかったかな?と思ってたんですけど(笑)。
ウイリアム:8時間喋ったら絶対にヤバイ話は出るよね。ツアーでマイクロ・バスに乗ってるとうるさいよ、エリックは(笑)。

広瀬:ずっと喋ってますからね。
ウイリアム:エリックはコンビニが好きで、コンサートが終わってからホテルに帰るときに必ずコンビニに寄る。何を買ってるかは見せてくれないけどね。彼は部屋に入って食事とかも行かない日も多い、必ず出てくるのはパットとビリーだった。パットとは何度か焼肉に行ったかな。それで昨日は「世界の山ちゃん」(独自のスパイスで手羽先を味付けをしてブームに)はどうしたのかな?
広瀬:「世界の山ちゃん」が9時にはケータリングに来るって書いてありましたね。その時間居たんだけど来てなかったような──。
ウイリアム:俺もちょっといいな……と思ったんだけど(笑)。ビリーはニューヨーク州のバッファローって所の出なんだよね。みなさん知ってるかなバッファロー・ウイングって手羽先をタバスコ味で味付けしたのがあって、バッファローは手羽先の王国なんだよ。バッファローってそこから来てるから手羽先にはうるさいビリーさんが「山ちゃんは最高!」って言ってる。名古屋の人は自信を持った方がいいよ(笑)。
広瀬:昨日は開演前、楽屋でケータリングの中エリックがずっと喋ってて伊藤政則さんが「今日エリックが声が出なかったら、広瀬と幅のせいだ!って俺はラジオで言うぞ」って。だから本番が始まって、「声、出てる!」(笑)。
:最後のライヴだから──ってホロっとくるより、「声、出てよかった」って(笑)。
広瀬:最後まで歌いきった !!
:そんな感じでした私ら。
広瀬:本当によく喋るからね。
ウイリアム:ポールに写真集どうだった?って聞いたら、「まだ見てない。家に帰ってじっくり観る」って。
広瀬:マネージャーのティムが「すごくいい本だ」って言ってましたね。
ウイリアム:それでアメリカでもこの本を売ろうかっていう話も出てる。アメリカでもイギリスでもいいんだけど──それは楽しいじゃないですか。
広瀬:だからウイリアムさんは先を見越して、最初の序文も日本語と英語で書いてある。
:ウイリアムさんといえば〈Man of Two Lands〉ですから。
広瀬:『BURRN!』でも同タイトルの連載コラムで。
 

MR.BIG The BIG Finale! Forever In Our Hearts

ウイリアム:みなさんどうでした昨日のコンサート? よかったよね、やればできるなって思った(笑)。でも、知らない曲ってなかった? あんまり普段ない、こういうセットリストはどうでした? 
広瀬:1曲目は意外でしたね。
ウイリアム:「ミスター・ゴーン」。それと一番最後の「アイ・ラヴ・ユー・ジャパン」もちょっと意外だったと思いません?
広瀬:「アイ・ラヴ・ユー・ジャパン」を知ってる人は、おおこの曲だ!って思ったと思うんですけど、あれはMAKITAのドリルのために作った曲で『BIG, BIGGER,  BIGGEST! The Best of MR.BIG』に入ってた。だから持ってない人もいるだろうし、あらかじめ告知しておけば──というとこですよね。
ウイリアム:最後に「アイ・ラヴ・ユー・ジャパン」を持ってきたんだったら、みんなにちゃんと知ってもらいたいよね。メッセージ性もあるし。

広瀬:あらかじめ言っといてくれればYouTubeとかで聴いたかもしれないし。今、あの商品は多分手に入らないですよね。だから新たにそういうのを入れたコンピュレーション盤とか日本発売だけとかでもあればよかったですね。
ウイリアム:あとはメドレーが面白かったね、あれはエリックさんが休めるから、うまくやってるなって。
:一石二鳥です。
広瀬:あれ、よかったですよインスト・メドレー、いい曲がいっぱいあって。なかなか色んな曲ってできないじゃないですか。そういうのをああいう形でやれるのもいいなぁって、いいアイデアだと思いました。
ウイリアム:そういうスペシャルな部分もあったから。今回が本当の最後だから、やっぱり特別にもうちょっとやってくれても──。
広瀬:だから、もう1回〈奇跡のアンコール公演〉とか言ってやってもいいんじゃないかと(笑)
ウイリアム:いやぁだから、それはノーコメントですね。だから気分が向いたらぼちぼちと。みんな一人ずつ日本に旅行に来て、あっ!みんないるから。
広瀬:偶然だね、みんないるからやろうか──って。
ウイリアム:あぁそういえば、リッチー・コッツェンの入ってたMR.BIGの解散コンサート(2002年)の時に、ポールさんは日本に住んでいたんだよね。それで色々と「ポールさん日本に住んでるんだったら最後に出たら──って」って話をしたんだけど、「NO!」。あの時はダメだったね。
:あの時はレーサーXのツアーで来てたんじゃなかったかな……?
広瀬:住んでたんじゃなくて、偶然日本に居て。
ウイリアム:あぁそうか、住んでたんじゃなくて。
広瀬:日本には色んなタイミングで長期居ましたけど、あの時はたまたまなんで。
:その気があればスケジュール調整して出れただろうけど、ポールにその気がなかったから、「韓国で仕事が入ったから」って。
ウイリアム:大阪のリハーサルの時、好きな日本の料理として「河豚鍋」を挙げてましたけど、実は僕、ポールと河豚食べに行ったことがあるんですよ。後、彼の「鍋パーティ」に招待されて、蟹とかシーフードが入ったのを作ってたよ。あの人、食べ物には冒険するんだよね。ロスで焼き鳥屋の美味しいところを教えてくれって言うから教えたり、食べ物系は色々やってましたよ。
:日本に住んでた時は駒込の美味しい焼き鳥屋を教えてくれたことがあるんですけど遂に行かず終いでした。
ウイリアム:ポールさんはお酒飲めないからね。なんとかビールを飲める程度になったくらい。
:でも日本酒の……。
ウイリアム:「菊水」ってギター持ってた。彼が今住んでいるのはオレゴン州のポートランドなんだけど、撮影取材に行く時に「菊水」の一升瓶を持っていくんですよ、でも奥さんが飲んでるらしいんだけど(笑)。
広瀬:なんで「菊水」のギターなんでしょうね。
ウイリアム:訊いたことはないけど──、でも最近あのギター使わないよね。
広瀬:「越乃寒梅」の社長さんが大のメタル・ファンで、「なんで “菊水” なんだ? “越乃寒梅” じゃないのか!」って言ってました(笑)。

「このバンドいいバンドだな、この4人でバンド組めばいいのに」

〈スクリーンには93年頃の写真が映し出された〉
広瀬:これはいつ頃の写真ですか?
ウイリアム:僕のスタジオがハリウッドからカルバーシティっていうところに移った時の写真、グランジが始まってる頃だから、L.A.メタルとはちょっと違うようにしようかなって撮ったけど、まだなんかみんな髪の毛がヘアメタルっぽいよね。
広瀬:ビリーがそれまでとは変わりましたね。エリックも結構……ポールもだいぶ変わったし。パットは髪型関係なく常にシュッとしていて。
ウイリアム:パットはすごい紳士ですよ。ただ政治の話をすると熱くなる人。ポールは頑固、あんまり人の話を聞いてくれない。エリックは親しみやすいから、みなさん応援できる部分じゃないかな。
広瀬:再結成した後は、バックステージでも常に仲良さそうな雰囲気がして。昔よりバンドの結びつきを感じました。

 

ウイリアム:『BURRN!』の表紙で赤いバックで撮った写真、これは再結成したばっかりで、笑顔で、やっぱりコレだよなってみんな嬉しそうだった。撮っててその嬉しさが伝わってきた。
広瀬:僕がロスで取材した時のもの。それまで僕はこの4人体制のMR.BIGを海外で取材する機会はなかったんですよ、リッチー・コッツェンの時はあるけど。2023年のMR.BIGの日本公演最後のライヴが終わった時に、バックステージでかな、エリックが、「このバンドいいバンドだな、この4人でバンド組めばいいのに」って言ってた。僕はもうジーンと来ました。ソロだった時代のそれぞれの取材をしてた時期が長くて、僕はビリーをよくやってたし、幅さんはポールやエリックが多かったでしょ、その時は到底もう一度やるような感じはしなかったから、よくやったですよね。
ウイリアム:この赤いバックで撮った後に、全員楽器を持って撮ったんだけど、これも “バンドだよね” っていうのが出てる写真。
広瀬:だからここから、パットの病気がなければ、本当にいいバンドとしてずっとね。
:2002年のリッチーがいる時のバンドで解散をした〈解散ライヴ〉、本当に最後のライヴの最後に帰って行く時にエリックとビリーが一瞬ギュッとハグしたのって、みなさんご覧になってますよね。ライヴ・ビデオにもなってるかな。私はそれがすごく印象に残ってたし、その後エリックがソロとかTMGとかで活動してたけど、ずっと “なんで解散しちゃったんだろう” って言ってた……。
広瀬:僕は、あの頑なポールがやったことに感動しましたよ。最初解散状態になった時も、真っ先にポールが「辞める」って言ったのがきっかけだったし。ロサンゼルスでビリーが「なんでポールは一緒にやらないんだ?」って僕に訊いたことがあったんですけど、僕に言われても──というのがあった。それがこの面子でやるんだっていうのが本当に嬉しかったですね。
:ポールがまだL.A.に住んでたからできたことでもあって。
ウイリアム:その時は全員L.A.にいて、エリックだけが一人サンフランシスコからレンタカーで来てたけど。
:ポールのソロ・ライヴでリッチー・コッツェンが前座で、そこでパットが叩いていたのでビリーも見に来たら──あれ、全員揃ってんじゃんって感じで、そこで何曲かやった。エリックはいなかったけど、〈MR.BIGっていいバンドだったな〉ってポールが思ったっていう。
広瀬:2023年もそうだし今回もフェアウェルをどう言う気持ちでやったのか……、やっぱりパットがいない編成でいつまでやるのか──という思いが彼らの中でどうあるのか訊きたいところではあったんですけども。いずれにしろすごい良かったのはニック(・ディヴァージリオ)ですね。昨日のステージでも言ってましたけど、ニックというドラマーがいたからこそ、素晴らしい最後を飾ることが出来た。彼は本当に素晴らしい仕事をした。2023年もそうだしアルバムでもそうだし、今回のツアーでも。だから僕は大阪のバックステージでニックから「自分をメンバーとして扱ってくれて、写真集でもそうだし、インタビューもして写真も撮ってくれてありがとう」って言われたんですけど、いや、あなたはバンドのメンバーで、あなたがいたからこのツアーができたんだ、って。最後になるのは悲しいですけど、最後に良い人と出会えた、一緒にできたのはよかったかな。
:その前の2014年、2017年のツアーで頑張ってくれたマット・スターも、頑張ってはいたんですけどもエリックとかは、彼の音は好きじゃなかったって言ってるし、マット・スターのままだと、ちょっと……。
広瀬:こうではなかったですね。
ウイリアム:マットが選ばれて最初にレコーディングした『Defying Gravity』では、叩けないけどパットがマットに「こうして叩け」って教えて。
:パットはもう叩けない状態だったので、ドラム監修みたいな形でマットに手取り足取りという感じでやったらしいんですけど、完全には満足いく状態じゃなかったみたい。
広瀬:そこへ行くとニックはパットのニュアンスをだいぶ再現していたし。
:やっぱりコーラス力ですね、ニックがすごいのが。
広瀬:MR.BIGはそこが大事なんだよね。
:強力な要素なので。
ウイリアム:写真集はちゃんとマットにもあげますからね。
広瀬:リッチーにも。
ウイリアム:リッチーは6月に来るからね。
広瀬:エリックはリッチー・コッツェン時代の曲も好きだから、やりたがってて、ソロではMR.BIGの曲をやるというライヴでリッチー時代の曲もやったんだよね。
:12月にソロ・ライヴで来日した時は、2024年の夏でMR.BIGは本当におしまいだというはずだったので、「BIG NIGHT」というライヴでリッチー時代の曲とか、MR.BIGが2025年の「Finale!」では絶対やらないであろう、ニューアルバム『TEN』からの「ザ・フレーム」とかをやった。
広瀬:「ザ・フレーム」はエリックが孤独になっちゃった──という悲しい歌詞。
:この写真のフレームの中に僕はもういない、という……。
広瀬:涙なくしては読めない歌詞で。
:その曲も一回やったけど満足がいかなかったからもう一度やり直して満足してました。
広瀬:「シャイン」もやってくれてよかったですね。
:「シャイン」とか「スーパー・ファンタスティック」とかなんでMR.BIGのライヴでやらないのか僕はわからないよ──ってずっと言ってましたけどそこはまぁ難しい。
広瀬:しょうがないですよ。で、そろそろ時間なのでウイリアムさんからプレゼントがあるんですね。
ウイリアム:1等から3等まであるんだけど──。

最後は会場に集まっていただいた皆さんとのジャンケン大会となり、グリーティング・カードやプリントなど貴重なアイテムがプレゼントされ、続いてウイリアムさんのサイン会が行なわれた。

 

MR.BIG写真集

  • MR.BIG写真集
    購入する
  • MR.BIG写真集

    B4変型判 / 256ページ / ¥ 22,000

    MR.BIGのデビューからフェアウェル・ツアーに至るまでの思い出を封じ込めた『MR.BIG写真集』(BY WILLIAM HAMES)。B4変型判大迫力の豪華愛蔵版で登場!!

    1989年のデビューからアルバム・リリースやツアーの度にバンドに寄り添って撮影を続けてきたのは、バンドからの信頼も篤い世界的フォトグラファーのウイリアム・ヘイムス氏。MR.BIGのあらゆる時代の貴重な瞬間の数々を鮮やかに切り取った美麗フォトを全295点も収載、ファン必携の永久保存版です。フルカラー256ページをB4変型判の大迫力でお楽しみいただける豪華愛蔵版。

    1989「キラキラした輝きがまぶしいデビュー当時!」
    1990「日本では早くも大人気、勢いに乗る初期の彼ら!」
    1999「リッチー・コッツェン在籍時の写真も勿論あります!」
    2023「フェアウェル・ツアーの武道館までバッチリ網羅!」

関連書籍

特集・イベントレポート