8月28日dues新宿に於いて「昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979」の出版記念トークイベントが、監修馬飼野元宏さん、鈴木啓之さん(アーカイヴァー)、真鍋新一さん(音楽ライター)を迎えて行われた。当日はターンテーブルが用意され貴重なアナログ盤音源を聞きながらの進行となった。全二部の構成で、第一部はゲストとして草野浩二氏が登場。
買って聞いていただければ、決して懐メロではない現役音楽として楽しめるものになっているかと。
馬飼野元宏:草野さんは60年代から東芝のレコーディング ・ディレクターをされていて、この本(「昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979」)にも登場していただきカバー・ポップスから女性歌謡のお話とかを伺いました。
鈴木啓之:今日お越しの皆さんはご存知かと思いますが、草野さんは坂本九さんとダニー飯田とパラダイス・キングの「悲しき60才(ムスターファ)」を初めてディレクションされて、これが発売されたのが1960年8月。ですから丁度今年で55年になるわけです。
草野浩二:当時入った所は東京芝浦電気レコード事業部。これが10月に独立して東芝音楽工業になって。それで人員が足りなかったんでしょうね、新卒で入ってまだ右も左もわからないのに、先輩に2ヶ月間ついただけで、「お前も何か作れ」と言われて作ったのがこの坂本九とパラキンの「悲しき60才(ムスターファ)」。何故かこれが売れてしまってそれ以来55年間やってきました。
鈴木:最初は先輩について見習いから。
草野:先輩っていっても演歌の人でした。当時はレコード会社の専属作家がいたんですけど、東芝は新しい会社だから、会社ができた時歌手に付いて移籍してきた演歌系の作家がいたくらい。僕自身学生時代はハワイアン好きで、ポップス好きだったし、兄はミュージック・ライフ(ポップス専門音楽誌)をやってたし。だから何か作るにしても僕はポップス系しかできないから、兄貴に相談して海外のカバー・ポップスを始めたんです。まぁ偉い作家の先生やディレクターがいらっしゃる、コロムビアやビクターといった古くからあるレコード会社とは違って前例がないだけに、自由に好きなことができたんですね。第一ディレクターになるのにも、他社だと営業部や宣伝部を何年か経験した中から選ばれるんですけど、僕は新卒で入って2ヶ月見習いをしたところでバッター・ボックスに立たされたわけです(笑)。
鈴木:やはりポップスということではお兄さんの草野昌一さんの存在が大きかったわけですね。
草野:そうですね、ミュージック・ライフの編集部に行くと各社から送られてくる新譜のテスト盤が揃っていて、それを聴くことができたんです。それをバ~ッと聞きながら、「これは弘田三枝子にいいぞ、これはスリー・ファンキーズでやろう」とか選ぶんです。少し経つと他の会社の邦楽のディレクターも、自社にいても他社の音源が聞けないから四谷にあった編集部に集まってきて曲探しをする。そうするとそこには訳詞家の漣健児(さざなみけんじ:草野昌一氏のペンネーム)やみナみカズみ(安井かずみ氏のペンネーム)がいて、曲も作家も選べるわけです。
そういったディレクターたちのサロン的な中から「ルイジアナ・ママ」「ビキニスタイルのお嬢さん」など和製ポップスの名曲が生まれ、同時に競作盤も別の作家の歌詞で発売されるなど、新しい音楽のブームが生まれていった。
真鍋新一:これは聞いた話なんですけど、オリジナルを歌ったジーン・ピットニーが「ルイジアナ・ママ」を聞いた時に、自分の曲だって気がつかなかったと。
草野:「ルイジアナ・ママ」はアメリカではB面だったんです、これは兄貴も言ってたんだけど、向こうのシングルはB面の方が日本人向けの曲があるんです。A面の黒っぽい感じはまだ日本じゃ受け入れられなくて。日本人はマイナー調のメロディが好きですから。
鈴木:ここで草野さんの作られたアルバムをかけたいんですけど、最初の頃はアルバムというのはシングル盤の寄せ集めだったんですか?
草野:最初に作ったのは『九ちゃんとパラキン』。これは発売になったシングル4枚のAB面を全部入れたんですけど、それだけじゃつまらないので曲と曲の間にナレーションを入れました。
鈴木:これは大映が作った「悲しき60才」という映画のサントラ盤的な物ですね。
草野:そういう感じで作りました。1曲目に僕が最初に作った「悲しき60才(ムスターファ)」が入ってます。この曲もミュージック・ライフの編集部で兄貴と探し出したんですけど、その時はまだ漣健児は誕生していなくて、訳詞を誰に頼むか困った。そこで、フジテレビで放送が始まっていた『ザ・ヒットパレード』という音楽番組のディレクター、すぎやまこういちさん(後にゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズ等の作曲家に)に相談に行ったんです。そこで紹介されたのがクレージー・キャッツの番組の台本を書いていた青島幸男さん(作詞家、後に都知事)でした。訳詞はOKしていただいたものの、この曲元々のタイトルが「Ya Mustafa」といって歌詞はアラビア語で歌われてたから内容がわからない。トルコ大使館に意味を聞きにいくわけにもいかないし……って言ってる内に時間切れで、青島さんも歌詞の意味を知らないまま書くことになった。そこでなんとかでっち上げようと、当時ザ・ピーナッツの「悲しき16才」が流行ってたから、タイトルは「悲しき60才」にしよう!となって、そこから全体の歌詞ができて行ったんです。だから原語で何を歌っているかは、未だにわからないんですよ。
鈴木:超異訳の始まりですね。
草野:青島さんはその後も、詞や曲を売り込んできて、それが後にクレージー・キャッツの「スーダラ節」とか一連の作品につながっていきます。
馬飼野:ちなみに草野さんがご担当された歌手は、坂本九さん、パラダイス・キング、弘田三枝子さん、森山加代子さん、ハナ肇とクレージー・キャッツ、スリー・ファンキーズそれにドリフターズもありますよね。
草野:後は斉藤チヤ子、ベニ・シスターズとかも。
馬飼野:それに渚ゆう子、欧陽菲菲、ゴールデン・ハーフ、安西マリア。すごいですよ、ほぼ日本歌謡史というか。
草野:いやいや、55年もやってますから(笑)。
ここで、弘田三枝子がスタンダードを歌ったアルバムを聴きながら、何故東芝音工に60年代後半~70年代初頭にかけて女性歌手が集まってきたのかという話題に。
草野:弘田三枝子が最初来た時は驚きました。ピアニストがオーディションに連れてきて「虹の彼方に」と「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」をスタジオで歌ったんです。これが「どうしてこの子をビクターやコロムビアは落としたんだろう」って思うくらい上手かった。その場で「是非やらせて下さい」って言いました。偶然その時東芝の洋楽でヘレン・シャピロというのがデビューするっていうので、そのシングル「子供じゃないの」とカップリングの「悲しき片思い」を、こっちも弘田三枝子で同じ曲のカバーでやろうと。
鈴木:そのカバー・ポップスの時代から次の女性シンガーの時代へと草野さんの活躍が続くのですが。
草野:当時東芝にはゴールデン・カップスとかワイルド・ワンズとかそこそこGS(グループ・サウンズ)はいましたけど、他社に比べて弱かった。GSの時代に乗り遅れたので、じゃあその次をということで皆で女の子をいっぱい集めたんです。だからGSの時代が終わった後には、奥村チヨ、小川知子、黛ジュン、岡崎友紀とか女の子がいっぱいいたんです。
この後、奥村チヨの全曲オリジナルで構成したアルバムや、ドリフターズが「会津磐梯山」などの民謡を歌ったアルバムを聞きながら話は続いた。
草野:ドリフターズのアレンジは最初の「いい湯だな(ビバノン・ロック)」だけがクレージー・キャッツをやった萩原哲晶さんで、それ以外は川口真さん。
真鍋:ドラムが石川晶さん、ベースが江藤勳さんですね。ドリフターズのレコーディングのメンバーは決まってたんですか?
草野:アレンジが川口さんで、リズム隊は大体いつもそんな感じでやってました。
鈴木:先輩にクレージー・キャッツがいて、ドリフターズは何やっても敵わないので、オリジナルではなくカバーをやるという話を聞きましたが。
草野:そうなんです。同じ渡辺プロで、東芝レコードで競っても絶対勝てないと思って。あちらは青島幸男、萩原哲晶というすごい座付き作家がいるわけだから、ドリフで新しいことをやってもしょうがないので全部カバーでやろうと。だから民謡とか俗曲とかの歌詞を変えてやりました。「ドリフのズンドコ節」が一番売れてレコード大賞の大衆賞をいただきました。
鈴木:僕らはドリフの「8時だよ!全員集合」を見ていた世代です。そこに草野さんがやられたゴールデン・ハーフも毎週のように出てました。彼女たちはちょっと遅れてきたカバー・ポップスの担い手ですね。
草野:後にキャンディーズがオリジナルを歌って出てくるんですけど、ゴールデン・ハーフは最初スリー・キャッツ「黄色いサクランボ」のカバーでデビューしたので、その後も全部カバーでやろうと。
真鍋:バックのサウンドがドリフターズと似てるように思うんですけど。
草野:これもアレンジが川口さんだから、似たようなメンバーが来るんですよ。
真鍋:だから自然と同じようなサウンドになってくるんですね。
鈴木:草野さんに是非お聞きしたいのが、筒美京平先生のお話なんですが、処女作の「黄色いレモン」は各社で出されてますが、東芝では望月浩さんが歌われて草野さんが担当されて。
草野:筒美京平さんは青山学院で橋本淳さんの後輩。淳さんがすぎやま先生の所に出入りしてた関係で京平さんも来るようになったんです。当時彼はポリドールの洋楽のディレクターで、ジョニー・ティロットソンの「涙くんさよなら」とかをやってたんですけど、ある時、「これからは作曲家としてやっていきたい」と「黄色いレモン」を書くんです。これを淳さんが売り込んだら、皆が「じゃあやろう!」ということで、藤浩一(子門真人)版とか他何人かの競作状態になった。でも本名でやるとポリドールにバレちゃうから、最初のクレジットはすぎやまこういち作曲で出たんです。今はもう直ってますけど。これが作曲家 筒美京平のデビュー作です。
鈴木:今日は貴重なお話をたくさんありがとうございました
ここで草野氏は退席。休憩を挟んだ後の第二部では、テーマ別に解説を交えながら、馬飼野、鈴木、真鍋さんが持ち込まれた大量のアナログ盤の中から、普段はなかなか聞くことのできない楽曲を次々にかける形で進行した。
馬飼野:では最後にお二人の最近のお仕事を。
鈴木:私が昔から集めてました販促物、例えば宣伝用フライヤー、レコードの予約票、ノベルティ・グッズなどの紙関係から女性アイドルの物800点以上をアーカイヴした『アイドルコレクション80’s』が9月1日に出ます。
真鍋:僕は8月28日、今日発売になったんですけど、「ビートルズ・ストーリーvol.3 ’63」という、ビートルズの活動の中からファーストとセカンド・アルバムを発表した1963年の活動だけに絞った本に寄稿してます。全曲解説から、歌謡曲も範疇に含めたビートルズ・カバー、レア音源の紹介とかも載ってます。
馬飼野:僕からは今回作りました「昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979」についてということで。この本は非常にシンプルなタイトルですが中身はすごく濃密なものになってます。ただここで色々と書かれてあるのはあくまで我々が見た歌謡曲の視点です、ですから皆さんがこれを持って中古レコード屋さんに行かれると、そこではまた別のご自分の歌謡曲のヒストリーができあがると思います。裾野は広いので、皆さんそれぞれが調べて、買って聞いていただければ、決して懐メロではない現役音楽として楽しめるものになっているかと。今日聞いていただいた曲の中でも、今かけてもおかしくない曲がいくつもあります。そうやって楽しんでいただければ非常に光栄だと思っております。今日はどうもありがとうございました。
昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979
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昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979
A5判 / 336ページ / ¥ 2,640
「あまちゃん」では80年代アイドルに注目が集まったが、それに限らずまだまだ終わらない昭和歌謡再評価の波。
各種雑誌で特集が組まれたり、関連CD再発も多数行なわれている。再発情報だけでも俯瞰して全体を把握することは難しいので、ひとまとめにした資料が必要とされている現在。マニアの間ではレコード会社や制作者別の特徴によって作品が分類されたりもしており、本書ではそこに注目、昭和歌謡の中でもポップス的なものに焦点を絞り、独自の分析を加える。
これまであまりされてこなかった、あくまでも音楽的な観点から、多くの作品に改めて光を当てた。酒井政利氏、草野浩二氏ら関係者へのインタビューも交えて「LPの時代」を新たに総括する、画期的な一冊だ。【CONTENTS】
[PART 1 ロカビリーからエレキブームまで]
ロカビリー・ブーム
カヴァー・ポップスと東芝音工
三人娘とポップス
渡辺プロのジャパニーズ・ポップス
日本のシャンソン
ラテン・ブームとテイチク
孤高のポリドール都会派ムード歌謡
ビクターの都会派ムード歌謡~フランク永井と吉田正
キングの欧州系歌謡とカンツォーネ
青春歌謡とビクター
クラウンの青春歌謡
エレキ・ブームと東芝~和製ポップスの夜明け[PART 2 グループ・サウンズの黄金期]
グループ・サウンズ狂乱の3年間
CBSコロムビアとブルー・コメッツの登場
フィリップスのGS
東芝のGS
タイガース登場
東芝vsコロムビア女性歌謡
60年代女性歌謡
ビクター艶歌ブルースの女王・青江三奈
CBS・ソニーと寺山修司
歌う俳優 PART 1 60年代篇
お色気歌謡&情念歌謡&やさぐれ歌謡
セルジオ・メンデスとボサノヴァ・ブーム
RCAの演歌新時代
ラテン・ムードコーラス
アフター・ロカビリー[PART 3 筒美京平の活躍]
平山三紀と筒美京平 都会派ポップスの隆盛
CBS・ソニーのベテラン女性歌手再生
ディスカバー・ジャパンとワーナー叙情派歌謡
ソニーvsビクター PART 1 アイドル登場
ベンチャーズ歌謡と東芝女性歌手
もと夫婦
ちあきなおみと由紀さおり~歌謡曲の再構築
70年代初頭の男性アイドルたち
70年代の沢田研二
アフターGS
筒美系男性アイドル~郷ひろみと野口五郎
RCAの和製ソウル[PART 4 歌謡曲黄金時代]
ソニーvsビクター PART 2 花の中3トリオ
女性アイドル PART 1
キャンディーズ
異国の女の子
セクシー歌謡
フォーク歌謡
キッズ・ポップス
70年代のGSたち
70年代ジャニーズと男性アイドル
ディスコ歌謡
全日本歌謡選手権と再デビュー歌手
平尾昌晃と少女たち
女性演歌と喪失歌謡
ソニーvsビクター PART 3 フォークとディスコ
キャニオン・NAVレコード
ピンク・レディー革命
女性アイドル PART 2
ジョービズ系実力派の活躍
歌う俳優 PART 2 70年代篇
宇崎竜童系女性シンガー
ソニーの女性アダルト・ポップス