長谷部宏の写真展「MUSIC LIFE PHOTO EXHIBITION~長谷部宏の写真で綴る洋楽ロックの肖像~」

日本人で初めてビートルズを撮影したカメラマンとして名高い、長谷部宏の写真展「MUSIC LIFE PHOTO EXHIBITION~長谷部宏の写真で綴る洋楽ロックの肖像~」が、現在新宿ビームス ジャパン Bギャラリーで行われている。今回その記念として長谷部が写真を撮り続けていた音楽雑誌「ミュージックライフ」の元編集長東郷かおる子氏をゲストに迎え、トークショーが行われた。
ショーの後、ミュージックライフとは縁の深いミュージシャンの本田恭章氏より花束が贈呈された。

長谷部さんて、「こいつ誰だか知らないけどさ」っていうのが多いんです(笑)

ビートルズとの思い出

長谷部宏の写真展「MUSIC LIFE PHOTO EXHIBITION~長谷部宏の写真で綴る洋楽ロックの肖像~」 東郷:まず、長谷部さんと言えば日本人で一番最初にビートルズを撮ったカメラマンとして有名なんですけど、その当時の編集長は星加ルミ子さん。ビートルズの写真撮影を依頼されたときはパリにいらしたんですね。
長谷部:僕はそもそも映画雑誌のカメラマンだったんだけど、テレビが出てきて映画がダメになっちゃった。それでちょっと充電しようとパリに行っていた。そのときにシンコーミュージックの先代社長、草野昌一さんと偶然カフェで会ったんだ。そこで連絡先を知らせておいたら半年くらいしていきなり電報が来て、ミュージックライフがビートルズを取材できることになったからロンドンに行ってくれって。
東郷:で、彼ら主演の映画「ハード・デイズ・ナイト」をパリで観に行った。
長谷部:映画館に入ったら皆がキャーキャー言っちゃって何にも聞こえない(笑)。だけど、どれがジョンで、どれがポールだかは見当ついた。でもこんな凄い人気のある奴らって撮りにくいんじゃなかなぁって思ってたけど、ロンドンに行ったら、要するに彼らは日本人なんか見たこともないから、星加さんの着物を珍しがって全然お高くとまってなかったね。
東郷:メンバーにはいい印象を持ったわけね。で、無事に取材が終わって星加さんが東京に戻ってきたときに日本中のマスコミが大騒ぎになっちゃったわけですよ。「日本人がビートルズに会った!」って、逆に星加ルミ子さんの取材になって(笑)。そしていよいよ66年にビートルズが来日するわけですが。
長谷部:彼らが泊まってるホテルの1階下に部屋をとって、いつ取材okになってもいいようにずっと待機して。
東郷:メンバーも外出できなくて非常に不満に思ってたらしいし。
長谷部:ジョン・レノンとかは絵を描いていて時間つぶしをしてたんだろうけど、それにも飽きちゃって。そういう時間にマネージャーが僕たちを呼んでくれたんだろうね。
東郷:そのときに撮ったのが、ジョンがシェーのポーズをしてる写真。
長谷部:星加さんが一生懸命「シェー」なんて教えてるから、「みっともないからそんなのやめろよ」って言ったら、ジョンもポールも面白がってやってましたね。
東郷:ビートルズの武道館コンサートはアリーナには観客を入れてなかったでしょ。コンサートの写真はどうやって撮ったの?
長谷部:写真は基本的にはダメだった。だけど、僕は雑誌の写真撮ってるんだから、「ダメですかそうですか」とはいかないからカメラに大きな紙を巻き付け、隙あらば撮ろうと思って入った。たまたま女の子が立上がったら、そこにガードマンがサアッーと集まったんだよ、僕の周りが手薄になったから、今だ!って数枚撮ったんですよ(笑)。
東郷:写真に関してはうるさかったんでしょうね。当時その写真をミュージックライフで見て、高校生の私は涙を流さんばかりに感動してました(笑)。長谷部さんはビートルズが解散した後もポール・マッカートニーの取材はかなりしてるんですよね。
長谷部:ウイングス時代に日本公演が決まって、その直前75年のオーストラリア・ツアーを取材に行った。奥さんのリンダ・マッカートニーに僕の写真集「小さな世界の大きな巨人たち」を見せたら、彼女もカメラマンだから、「あたしもこういうの出そうと思ってたのに、先に出されちゃったわ」って悔しがってたけど。でもすぐ仲良くなって、発売前のフィルムをくれたりしたな。
東郷:長谷部さんを撮ったリンダの写真もあるし、リンダとはカメラマンとしての眼を通して写真談義とかもしたみたいで、リンダの撮ったカレンダーは毎年サイン入りで長谷部さんのところに届いたんだよね。
長谷部:オーストラリアで、動物園へ行ってコアラを見るから一緒に行かないかって誘われたんだ。で、約束した場所に行ったけど、いつまで待っても来ないんだよ。そしたら丁度日本から入国拒否の知らせが入ったときで、なんだかもめてたね。それでもコアラを見に行ったんだけど、リンダが「日本に行かれなくなっちゃった、日本の政府って嫌いだわ」って。「KOHが持ってるレンズを買おうと思ったのに」って言うから、そのレンズを外してあげたんだよ。
東郷:私、すごく覚えてるんですけど、ポールはビートルズ以来の来日だったから、ミュージックライフは星加さんとポールの対談っていうのを企画してたんですよ。それが無しになって、ものすごく残念だったって記憶がありますね。

60年代後半から70年代の海外取材

東郷: 60年代後半から70年代、長谷部さんがミュージックライフ専属カメラマンになって、星加さんと随分ロンドンとかへ行って取材をしてるんですよね。で、以前写真を整理してたら、長谷部さんとジミ・ヘンドリックスが並んで写ってる写真があってびっくりしたんですけど。
長谷部:あれはロンドンであった授賞式(※音楽紙NME主催)で、星加さんが「そこに行けばいろんなミュージシャンやシンガーが集まってきて取材できるから」って言うから行ったんだ。僕はジミ・ヘンなんて全然知らないから、星加さんが「この人は有名なんだよ」って言っても、それがどうしたのって感じで。でも「一緒に撮ってあげるから」って星加さんがシャッター押してくれた。すごく大きな黒人の人で、感じは柔らかくて、二言三言なんか言ってたけど忘れちゃったな。
東郷:長谷部さんて、「こいつ誰だか知らないけどさ」っていうのが多いんです(笑)。

レッド・ツエッペリンは狼藉者!?

東郷:70年代の話に移るんですが、私が長谷部さんと来日バンドの取材で最初に地方行脚して廻ったのが、なんとレッド・ツエッペリンなんですよ。
長谷部:こいつら本当に狼藉者で(笑)、一緒にバスに乗ってると、日本の女の子は誰でもどうにでもなると思ってるから、道を歩いてる子を見て「あの子がいいから、バスを停めろ!」って言うわけ。そんなことばっかり。でも、ミュージシャンとしてはちゃんとやってた。
東郷:そりゃあ、そうでしょ(笑)。でも、レッド・ツエッペリンの初来日って、当時、日本のロック・ファンにとって黒船だったんですよ。その前に流行ってたポップスの世界に、爆弾を落としたみたいになっちゃって。ホントにびっくりしました。コンサートの写真も撮ったのよね。
長谷部:まずね、ロバート・プラントが出てきて、「ハロー!」って叫ぶ声が武道館の天井にこだまして、凄いインパクトがあった。
東郷:当時は普通1時間くらいのコンサートだったのが、ツエッペリンはいきなり3時間半でしたからね。もう観てる方もくたくたなんですよ。でも、彼らは凄い体力があって。で、前の方に大学の運動部員が雇われたようなガードマンがいるんですけど、それが始まる前から客と殴り合いをしてるんです。で、演奏が始まった瞬間に、ウオーッと客が舞台の方へ押し寄せて押し合いへし合いの大ゲンカ。あれは何だったんでしょうね。
長谷部:僕なんか前で撮ってるとクシャクシャにされちゃうのね。だからしょうがないんでカメラで近くの奴らをぶん殴って。少し隙間ができたとこで、写真を撮って。若かったんだよ、僕も(笑)。
東郷:ファンは7~8割が若い男性ファンで、血気盛んでしょ。興奮してるから少々殴られても痛くないっていうのが当時のコンサートでね。ツエッペリンも中々取材できなくて、ジミー・ペイジを追いかけて一緒に九州か大阪か行きましたよね。
長谷部:人気投票1位の楯を作ってね、ツエッペリンはジミー・ペイジ以外は撮れたんだけど、彼は写真大嫌いだから中々撮れないんだよ。
東郷:ホテルの部屋がわかったので、電話をしたら、ジミー本人が出たんですよ。慌てちゃってしどろもどろで「音楽雑誌のミュー~」って言ったら、その途端にガチャって切られちゃった。その後も部屋に行ってノックしたら扉は開いたけど、「先ほど電話した~」っと言い終わらないうちに扉をバタンと閉められて。
長谷部:最終的にはホテルのロビーで待ち構えて撮ったけど。
東郷:5時間くらい待って。でも「1位おめでとうございます」って人気投票の楯をあげたらやけに喜んじゃって。最初から写真撮らせろってんだ、って思いましたけど(笑)。
この後、洋楽ロック史を語るときに重要な伝説のコンサート取材として71年に後楽園球場(屋外)でのグランド・ファンク・レイルロードの雷雨の中での模様が語られた。

長谷部宏の写真展「MUSIC LIFE PHOTO EXHIBITION~長谷部宏の写真で綴る洋楽ロックの肖像~」

ミック・ジャガーのツバキを浴びて?

東郷:長谷部さんは。ローリング・ストーンズも来日前に(‘73年=この公演は中止になった)ジャマイカで撮影してますね。アルバム『山羊の頭のスープ』のレコーディング中で。
長谷部:マネージャーからミックだけはスタジオの中では撮るなって言われてた。肝心なヤツが撮れないんじゃ~と思いながら、他のメンバーを撮ってて、気がついたらミックが側にいて、本番の演奏が始まっちゃったんだよ。
東郷:どういう状況かというと、ミュージシャンが入るブースに長谷部さんがいたら、ミックが入って来て、扉を閉めてレコーディングが始まっちゃった…という場面を想像してくださいね。
長谷部:ミックが歌ってる所から1m半くらい離れて座って見てたんだよ。ミックはステージと同じ動きで、ぐにゃぐにゃしながら歌って(笑)。まったく僕のことを無視。だからこっちも空気のように側にいた。
東郷:そのとき録音してたのが「スター・スター」だったんですって。
長谷部:ツバキは飛んでくるし、たまんねえなぁって思ったけど、貴重な経験ではあったんだよね。レコーディング中に写真を撮りに行ったのは、ローリング・ストーンズと、ビートルズとウォーカー・ブラザーズかな。
東郷:昔は海外に行ってミュージシャンを取材して写真を撮るなんてことは少なかったんですね、日本の音楽産業自体が成熟していなかったし、取材システムもできてなかった。そういう時代の移り目の中でミュージックライフはいろいろな新しいスターを発掘していったわけですけど、その中でクイーンっていうのはいろいろ思い出がありますね。

フレディ・マーキュリーのプロ意識

長谷部宏の写真展「MUSIC LIFE PHOTO EXHIBITION~長谷部宏の写真で綴る洋楽ロックの肖像~」 長谷部:クイーンは来日する度に別冊を出したんだよね。べったりくっついてないと一冊分の写真って撮れないから、向こうにしてみればしょっちゅう写真撮られるのってイヤなのはわかるけど…。でも、結構協力はしてくれた。
東郷:本人たちも日本で予想外にウケてるっていうのがわかってからは、協力してくれるようになりました。私も編集者として長くやってきた中で、クイーンはお互い、もういい!ってくらい一番取材したミュージシャンじゃないかと思います。何回目の来日だったか、フレディのインタビューだけ取れないときがあって福岡まで行ったんです。で、ようやくインタビューが取れて、話してみるといい人だったんですよ、フレディって。
長谷部:なかなか約束しないんだけど、約束したらちゃんとやってくれるんだ。僕がひとつ、よく覚えているのは、彼らのアルバムの写真を僕が撮ることになって。
東郷:『ライヴ・キラーズ』のジャケットね。
長谷部:どんな写真を撮ろうかって、バックステージでみんなで相談したんだ。そういうとき、フレディって声出さないんだよ。声を控えて、みんなの言うことがOKならOK、NOならNOのサインを出して。どうしても喋らなきゃならないときは蚊の鳴くような声で話す。で、ロジャー・テイラーに「彼はどこか悪いのか」って聞いたら、「コンサートの前はいつもこうなんだ」って。だからヴォーカリストが声を大切にするのは、すごいものだなぁって思った。プロに徹してるなって。
東郷:一度取材OKになると、すごいサービス精神もあって、すごく歓待してくれた人だったんですよ。で、その後すぐ出て来たのがキッスね

キッスの素顔?

東郷:たしか来日のときに飛行場まで行って。彼らが降りてくるのを長谷部さんは撮った。
長谷部:覚えてないなぁ
東郷:当時まだ誰も素顔はわからなかったんですよ。撮っちゃいけないことになっていて。でも飛行機から降りてくるときぐらい、普通メイクしてないはずでしょ。で、すごく待たされて一番最後に降りてきたら、ちゃんとメイクしてたんですよ。もう飛行機の中でやってくる、それくらい徹底してたわね。
長谷部:キッスは素顔でも会ったけど、撮るとまずいなって思ってた。イメージダウンになるし。
東郷:素顔はどうでした?
長谷部:ひどいんじゃない(笑)。
東郷:ポール・スタンレーはほとんど変わらないなと思いました。一番、エエ~っと思ったのがエース・フレイリーだったんです(笑)。ジーン・シモンズなんかサービス精神旺盛だったわよね。
長谷部:旺盛っていうか、何枚撮っても舌出して同じような写真で(笑)。
東郷:こちらはいろいろなシチュエイションの写真が欲しいんですよ。できたら食事してるところとか、コンサートのリハーサルとか。でもメイクしてるから、いっつも同じ写真ばっかり。舞妓さんと写ってる写真がありますけどあれなんかまだいい方で、他は写真っていうと毎回同じパターンで却って困った思い出がありますね。当時ミュージックライフの3大バンドと言われたのがクイーン、キッス、エアロスミス。エアロスミスはもっと雑多な感じしましたね。
長谷部:あんまり覚えてないけど、ステージはよかったよね。
東郷:カッコ良かった。
長谷部:レコード聴いても良さがわかんなかったけど、ステージを見ると素晴らしかった。
東郷:リアル・ロックンロールって感じで、クイーンやキッスに比べてわりと日本人が一番馴染みの薄いロックだったかも。初来日のとき群馬県の前橋でコンサートをやったんですよ。東京でやる前に日本の観客の反応とか知るためにね。このとき、たしか全員電車移動で、楽器とかも全部自分たちで持って。私たちも付いていって、一緒に荷物持ってあげたんです。この3組のバンドの人気がちょっと落ち着いてきたところで、出てきたのがジャパンとチープ・トリック。

チープ・トリックとジャパン

長谷部:チープ・トリックは初来日のとき羽田まで撮りに行った。タラップを降りてくるのを撮ってたら、リック・ニールセンが「どこのカメラマンなんだ?」って聞くから「ミュージックライフ」って答えると、彼はちゃんとミュージックライフを知ってたね。そのとき以来、僕が側にいて写真を撮ってないと、彼は気が済まない。でも僕もチープ・トリックばっかり撮ってるわけにはいかないから、あるとき「明日は来ないから」って言ったら、「too bad」って。
東郷:長谷部さんは不思議にミュージシャンに慕われるタイプの人なんですよ。ロビン・ザンダーとかは長谷部さんのことを“DADDY KOH“って呼んでましたから。長谷部さんはミュージシャンに媚びないから却って心を開いてくれる。そういうところがすごくありました。だけど、ジャパンのデヴィッド・シルヴィアンは結構苦労しましたね。
長谷部:苦労って言うほどの苦労じゃないけどね。何か面白そうなのが出て来たから撮りに行こうってロンドンに行ったんだよね。向こうのカメラマンが世話してくれて、彼のスタジオでジャパンの写真を初めて撮った。で、結構撮りつくしたからロンドンの街中に行こうって言ったら「ダメダメ、街中に行ったら彼ら石ぶつけられちゃうから」って(笑)、しょうがなくスタジオのすぐ下で撮ったんだよね。
東郷:彼らの音楽も時流に乗ったものじゃなかった。でも、私はそこが気に入ってたんですけどね。そうやってイギリスでは非常に冷遇されてたのが、いきなり日本人が二人来て、写真を撮らせてくれっていうので、そのときはよく撮らせてくれたんですよ。その後、来日するんですけど、普通ミュージックライフは神社とか寺とか和風の場所で撮ることが多かったんですけど、デヴィッド・シルヴィアンはそういうのを嫌がって。
長谷部:ま、その意図もわかんないことはないんだよな。
東郷:金閣寺の前で撮ろうっていうと、「嫌だ」って言うんですよ。
長谷部:それで九州まで行って、何にもない原っぱで写真を撮った。

プロフェッショナル・カメラマン長谷部宏

東郷:取材は、まず長谷部さんが撮りやすいようにセッティングをするのが大変でしたけど、それでいい写真が撮れればうれしかったです。でも、80年代も後半になってくると取材もだんだんやりにくくなってきて。コンサートの後に写真を撮るといってもパターン化した取材になって。
長谷部:そうだね、取材っていったら30分時間をくれて、20分がインタビュー、残り10分が写真。でもインタビュアーが20分でまとめられないと写真を撮る時間がゼロになる。こっちは撮らなきゃ仕事になんないから、そうなってくるとけんか腰なんだよな。次の連中が廊下で待ってる…っていう状況の中でちゃんと撮らなきゃならない。でも、そういう状況でも撮れるっていう自信は、僕持ってたから。
東郷:そこは本当にプロなんですよ。例えばデュラン・デュランがすごい人気が出た後、二回目の来日のときの武道館ではステージに上がる前に「3分あげるから写真をとれ」って言うんです。ミュージックライフは表紙にしたいわけで、表紙にする写真を3分で撮るなんて無理と思いますよね、でも長谷部さんはちゃんと撮るんですよ。それは本当にすごいと思いますね。連続シャッターでダダダダって撮ってくれて、そこから選んで表紙にしてきたんです。
長谷部さんと一緒にやった70年代から80年代、洋楽特にロックにとってはいい時代でしたね。今は想像もできないでしょうけど、当時キッスとか言えばその辺を歩いているおじさんに聞いても、「なんかこう顔を塗ったロックバンドだろ」って言ってくれるような時代だったんです。洋楽ロックのシェアもずいぶん高くて、ヒット曲もいっぱいあった。だから長谷部さんの写真は、その洋楽の黄金時代の歴史を物語っている写真じゃないかと思います、お帰りになる前にもう一度そういうこともふまえながら見て楽しんでいただければと思います。
この後、何人かの質問に長谷部が答える形で、1時間半に及ぶトークショーは終了した。「MUSIC LIFE PHOTO EXHIBITION~長谷部宏の写真で綴る洋楽ロックの肖像~」はビームス ジャパン 6階 Bギャラリーで2月11日(祝)まで開催される。

「ロックンロール・フォトグラフィティ 長谷部宏の仕事」のご案内

ロックンロール・フォトグラフィティ 長谷部宏の仕事

A5変型判/352ページ/本体 1,800+税

来日したマリリン・モンローを撮るなど映画の世界を出発点としつつ、ビートルズやストーンズの60年代から、キッス、クイーンの70年代、ボン・ジョヴィやワム!の80年代、そしてオアシス、ブラーの90年代まで、長年ロックの世界で数々のアーティストを撮影し続けた写真家・長谷部 宏。彼の写真と回想インタビューを軸に「日本における洋楽」の歴史をも浮き彫りにしていく本書は、見応え読み応え共に充分のフォト・バイオグラフィである。著者は元ミュージック・ライフ編集部員で、長谷部と共に多くの現場に足を運んだ赤尾美香。

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