BURRN!は自分たちがメタルをやってると思っているか否かが掲載の基準ですね

BURRN!JAPAN Vol.10制作秘話」と題されたトークイベントが、2月5日(月)阿佐ヶ谷ロフトAにて開催された。当日はBURRN!JAPAN制作陣として広瀬和生(BURRN!編集長)、増田勇一氏、土屋京輔氏が司会進行を努め、ゲストに島紀史氏、Silexから3名 (MASHA氏、hibiki氏、ピート・クラッセン氏)が招かれた3時間近くに及ぶ長時間イベントとなった。

広瀬和生(以下広瀬):BURRN!編集長 広瀬和生です。お集りいただきありがとうございます。今日は「BURRN!JAPAN Vol.10制作秘話」ということで、まずはそのお話からしていこうかと。

増田勇一(以下増田):増田勇一ですよろしくお願いいたします、そして。

土屋京輔(以下土屋):土屋京輔ですよろしくお願いいたします。

広瀬:今回は高崎 晃さんのデビュー40周年ということで、「BURRN!の表紙はLOUDNESSでしたが、BURRN!JAPANは高崎さん1人。こちらはLAZY(1977年デビュー)仕様の衣装です。

増田:フライングVだし、白い背景の高崎さんって新鮮ですね。

広瀬:インタビューもLAZYの話が多くて。

土屋:(場内に)リアルタイムでLAZYを知ってる人います?(5〜6名挙手)

増田:テレビの「ベスト30歌謡曲」とか「銀座NOW」「レッツゴー・ヤング」(当時の歌謡曲/ヴァラエティ番組)とかに出てましたよね。

広瀬:今回、他のミュージシャンの取材で秘話はありますか?、もちろんLAZYでも。

増田:高崎さんに今後のヴィジョンの話を聞いたときに、“いつお好み焼き屋をオープンするかが問題だ”って仰ってました(笑)。周りの方からよく持ちかけられる話らしくて、ご自身も真剣に考えてるらしいんです。自分でもよく作られてるとかで、ギター以外に自信があるのはお好み焼きくらい…だと。

広瀬:ドラムも上手いですけどね(笑)。で、この「BURRN!JAPAN Vol.10」ですが、土屋さんは今回も原稿が遅れて、増田さんが全部入った段階でも信じられないくらい残してました。

土屋:いや本当に僕自分でもびっくりしましたもの。

広瀬:よく本になりましたね。

土屋:これ、どうやったら終るんだろうなって──毎回言ってるんですけど。

広瀬:土屋さんは元祖関西メタル辺りの取材をしていただいて。

土屋:その辺は今日のゲストhibikiくん(Silex)に語らせると面白いと思います。

広瀬:そうなんですか?

土屋:hibikiくん若いのにNOVELA(1979〜1986年)大好きなんです。そこにつながる山水館(1974〜1978年)もScheherazade(1977〜1979年)も今年2018年ライヴをやる計画なんです。この号にScheherazadeの平山さんのインタビューが掲載されています。平山さんはご病気で表舞台にずっと立ってなかったのが昨年10月何年ぶりかでステージに立たれて。

広瀬:BURRN!JAPANが復活してから、関西系の方々から山水館とかScheherazadeの話は出てきてますよね。それらのバンドがあってのEARTHSHAKERとか。

増田:そうですね、前号、前々号のEARTHSHAKERとか44 MAGNAMとかの取材でもScheherazadeの名前がすごく出てきて。もうこれは本家が動くんだから取材をやらないわけにはいかないでしょうと。

広瀬:関西のメタルの人脈ってすごく入り組んでて。土屋さんがTERRA ROSAのリーダー 岡垣さんを取材されてますけど、それと別に初期TERRA ROSAにも在籍したDEAD ENDの足立祐二さんを取材して、それぞれ別々にかなり突っ込んだ所まで聞いています。

増田:でも、同じことを言っててもだいぶニュアンスが違って。

広瀬:この本を作ってると、「今度あの人やらなきゃ」って人が結構出てきますね。

土屋:有力なバンドは以前から密接につながりを持っていた──というのが今回の岡垣さんのインタビューや、足立祐二さんのインタビューから見えてくるものがあります。

増田:誰がメジャー・デビューが早かったっていう先輩後輩はあるにしても、すごく色んなことが大阪Bahama(ライヴハウスの老舗2006年閉店)界隈で起きていたのがよくわかります。

広瀬:東京だと「REACTIONとかも聞きたいところですけど、バンドが存在してないですからね、CD再発とかあればいいんだけど。あと、“CRAZY”COOL-JOE(DEAD END)さんとかにも出てきて欲しいですね。

増田:COOLさん…連絡してみましょうか、ずっと音沙汰がないからかなり古い所まで遡れば連絡先わかるかも。最近、動き聞かないですよね。

広瀬:足立祐二さんみたいに色んなことやったりしてないですよね。

増田:たまにセッション・イベントに出るくらいで。

土屋:COOL-JOEさんに去年会ったときに、“DEAD ENDやりましょうよ”って言ったら、“お前、それMORRIEに言えよ”って。今回も足立さんのインタビューでも、“MORRIEに会うことがあったら、<YOU(足立祐二)がDEAD ENDやる気になってるみたいだ>って言っといて”で締まってるんですけど。でもあの人たち普段連絡を取ることがないので。

増田:え、伝書鳩?

土屋:たまたまね。それでわざわざ連絡したりはしないんですけど。でも別に仲が悪いわけじゃないんですよ。ま、お役に立てれば。

広瀬:足立さんのソロは?

土屋:これ言っていいのかな、そんな遠くない時期に出ると思います。曲はいっぱいあるって言ってたので。

増田:という所で、今日のゲストを。

広瀬:そう、今日はゲストにたくさん来ていただいてるので。それではみなさん全員ステージの方にお願いします。

ここで第一部のゲストSilex (MASHA、hibiki、ピート・クラッセン)が広瀬編集長と土屋氏の間に入り、サイド・ステージには第二部ゲストの島紀史氏と増田氏が座り、全員の乾杯の後Silexとのトークが始まった。



写真左よりSilex (MASHA氏、ピート・クラッセン氏、hibiki氏)、広瀬編集長

広瀬:Silexのアルバム『ARISE』が出ました。

hibiki:昨年の12月に発売になりました。

広瀬:凄くいいアルバムで、僕はつい最近買いました。12月に出たときにTwitterで騒がれてたので、amazonで買おうと思ったら1〜2ヶ月待ちになっていて、それをhibikiくんにメールしてもつい先日まで無視されて(笑)。

hibiki:すいません、見れてなくて。この話あと2年くらい言われますね(笑)。

広瀬:hibikiくんも1曲書いていて。

hibiki:はい、でも『ARISE』はこの2人(MASHA、ピート・クラッセン)の色が濃く出てますから。

土屋:MASHAさん、『ARISE』はどういった内容の作品なんですか?

MASHA:ギターが弾きまくっていて、メロディアスな楽曲ばかりの作品です。

hibiki:彼が今まで聴いてきたハードロック、ヘヴィメタルのエッセンスが凝縮されて、かなり濃くなって曲に現れてるんですよ。その彼がイメージしたものを完璧に表現してくれる、(ピートに向かい)このガイジンがいるので。

ピート:この顔で分からないかもしれないけど一応(笑)。

広瀬:日本語喋れるの?

ピート:うん、まぁまぁまぁ…。たくさん噛んじゃうけど、そのときは勘弁してくださいね。

土屋:噛んでないし(笑)。

hibiki:このガイジンはピート・クラッセンっていって、今までも数々のハードロック、ヘヴィメタルのバンドで歌ってきた人で。

ピート:バンドとかCMの曲とか、ビデオ・ゲームの曲とかも歌ってます。

広瀬:こういうヴォーカルはどこにいたのかな…と思ってた。

土屋:たまにテレビとかにも出てたものね。

ピート:クイズ番組とか情報番組にちょこちょこと。

広瀬:この世界に入ったきっかけは?

ピート:12〜13年前カナダに居たとき日本のヘヴィメタルにハマったんです。もちろんXから入ってSEX MACHINEGUNSとかSABER TIGERとかを聴いて、日本に行きたいなと思いました。

広瀬:そのころ日本語は喋れたの?

ピート:いや、もう全然。ただメタル好きの日本人と知りあって、お互い世界のメタル音源をシェアし合って。

土屋:それで、今回のBURRN! JAPAN VOL.10.ではhibikiさんが掲載されてるんですけど、hibikiさんを取り上げようという話は前から出ていて。

増田:編集会議は、いつも広瀬、土屋、増田の3人でやってます。

土屋:僕は前から彼を知ってたんで、“まだでしょ、まだダメです”って勝手に言ってたんですけど、広瀬さんがhibiki、hibikiって、なぜか毎回。

広瀬:hibiki載せましょうって。

土屋:で、今回の編集会議のときにまた広瀬さんが“hibiki”って。もちろん素晴らしいミュージシャンだし出てもおかしくないんですけど,。で、広瀬さんに率直に聞いたんです、“なんでそんなにhibiki推すんですか?”って。そしたら。

広瀬:いや、可愛いから。(場内大爆笑)

土屋:“僕、hibikiくん好きなんだよね”って言い出して。どうしようかと思いましたね。

広瀬:女性のタイプだとこの顔じゃないんだけど、男の子だとhibikiくんみたいな顔がタイプなんです。

土屋:真顔でそんなことを言ってたから、僕と増田さんは結構凍り付いてました。(場内大爆笑)

広瀬:で、まだあまり話してないMASHAさんですが、MASHAさんはどういう流れでバンドを始められたんですか?

MASHA:イングヴェイ・マルムスティーンとかそのスピード感が好きで、
ヘビメタのギターにどっぷりハマてしまって。田舎が高知県なんですけど、Concerto MoonさんとANTHEMさんとBLINDMANさんがよくライヴに来てくれてたんです。で、高知県の音楽番組でライヴが流れてたんですよ、キャラバンサライってライヴハウスがやってる番組。僕は地元で活動してたんですけど、ジャパニーズ・メタルが好きになって、ジャパメタはやはり大阪だと言う情報を得て大阪に引っ越したんです。そこでも自分でハードロックのバンドを率いてたんですが、そこでhibikiと知り合いまして。

広瀬:その頃hibikiくんは?

hibiki:LIGHT BRINGERで『Midnight Circus』(2010年)が出た辺り。でも最初に会ったときのことは覚えてないんです。

MASHA:僕は一方的に知ってまして、僕が当時やってたCRYING MACHINEってバンドの杉森っていう男から、“hibikiってヤバいベーシストがいる“って聞かされていて。

広瀬:それでこのバンドを組むようになったきっかけは・

MASHA:CRYING MACHINEが2015年に突然解散して。

土屋:期待の若手バンドって言われてたんですけど。

MASHA:僕らが解散を決めたのと、時を同じくしてLIGHT BRINGERも活動休止になって。

hibiki:その頃僕は既にMardelasをやり始めていて、当初から曲を再現するのにギタリストが2人必要ということで、一人は及川樹京がメインでいたのでもう一人を探してたら、MASHAという男が大阪から東京に来るという情報が入って。そこでMardelasでちょっと弾いてと電話で話したんです。それでしばらくはMardelasで行動を共にしてたんですけど、彼も、自分の音楽をもう一度やると決意してたので、僕は彼の曲がいいのは知ってたから、もう一度戦う為に僕ができることがあったら協力したい…と思ったんです。それで彼とやり始めてそこにドラムのYosukeも合流して。

MASHA:2015年の9月かな、Mardelasでのラスト・ライヴの頃、hibikiとYosukeと僕で、僕がそれまで作ってきて表現する機会がなかった曲を一緒にスタジオでやり始めて。

ピート:一年くらいヴォーカルなしでやっていたようで、すみません遅れてしまって(笑)。

MASHA:待ってましたよ(笑)。彼とは翌年共通の友人を介して。

ピート:僕がやってたバンドが解散したばかりのときに、クラシック・ロック・ジャムのプロデューサーさんから、“MASHAっていういいギターがいるから”という話を聞いて。で、僕は日本に来たばかりの頃、ロック・バーとかに行ってそこでいろんな日本のバンドのCDを貰って聞いてたんです。でもあまりピンとくるものがなくて、実はCRYING MACHINEのCDも貰ったまま3年くらい聴かずにいたんですけど、MASHA?CRYING MACHINE?って名前で思い出してCDを聴きました。素晴らしいCDでした。で、すぐにメールをしたんです。

広瀬:hibikiくんはMardelasを辞めたのはSilexと関係があるの?

hibiki:なんで辞めたんですかね、ケンカしたわけでもないんですけど、去年の上半期とか参加してた4つのバンドが全部動いてて──もういいわ…みたいな。実際Mardelasを脱退したのは去年2017年の5月なんですけど、メンバーとその話をしたのは2016年の10月か11月くらいで。僕よりMardelasに合ってる人間がいる──というか、自分が活かされてる感じが特になくて。

広瀬:Mardelasは及川くんとマリナ(蛇石マリナ)さんが半々で曲を書いてるバンドだから。

hibiki:軸がはっきりしてましたから。でも僕はソングライターになりたいわけじゃなくて、ベーシストですから。

広瀬:でもLIGHT BRINGERのメジャーでの2枚目『Scenes of Infinity』はhibikiくんが全部の曲を書いていて、あれは好きですよ。

hibiki:ありがとうございます、僕も大好きなんですあのアルバム。でも、僕はこういう所にこういう曲が必要だから──そういう仕事ができる自分がやるみたいなスタンスで、曲をクリエイトしたいしたいって感じじゃないんです。で、その次のアルバムはキーボードのMaoくんがたくさんいい曲を作ってきたので、これは自分がやるよりも彼の色を出した方がいいバンドの音になるはずだ──と思って僕の機能は止まったんです。当時は曲が書けないから──ってコメントしてましたけど、僕の中でチームとしてその先のヴィジョンがイメージできなかったというのが真相です。

広瀬:SABER TIGERは?

hibiki:僕がベーシストとして力を提供できる所には最大限のことをします──ということで。

増田:で、そろそろ時間が来ているので、今後Silexはどんな戦い方をしていくのか──ということを。

土屋:Silexは近々にスケジュールが決まってますから。

MASHA:直近ですと2月17日の渋谷REXから先ほどのMardelasとTEARS OF TRAGEDY、Silexの3バンドの「春の魔界都市めぐりツアー」が始まります(4月14日名古屋ell.FITS ALL、15日大阪Bigtwin Dinner SHOVEL)。

hibiki:実は札幌と仙台にも行くんですよ4月20日、21日と。で、その後も…。

土屋:2月17日の渋谷はほぼ完売状態らしいので、もし東京でその後ライヴがあるのなら。

hibiki:じゃ、せっかく振っていただいたので、5月12日渋谷ルイードK2でSilex初のワンマン・ライヴをやります!(場内大拍手)ありがとうございます。でもワンマンをやるに当たって、僕らSilexに足りないものが一つだけあります──それは、曲が足りないんです。まだファースト・アルバムを出しただけなので、今みんなで頑張って曲を書いてます。どんなものが出てくるのかも含めて観に来ていただきたいです、よろしくお願いします。正式には2月17日の渋谷REXで発表します。

広瀬:『ARISE』、いいアルバムなので。ではここで少し休憩を入れて二部に行きたいと思います。

休憩後、まずは3人での「BURRN!JAPAN Vol.10制作秘話」の続きを。

土屋:第二部ですが、ゲストをお呼びする前にまだ触れてない「BURRN!JAPAN Vol.10制作秘話」を少し。ZIGGYの森重さんのページが凄いんですよ。

増田:前々号で森重さん、前号で戸城さんのインタビューが載って居て、今回はそれを巡る話なんですが、<森重樹一=ZIGGYという成り立ちになっていながらも、ZIGGYはバンドとして機能している>というとても面白い状態にあるというのを浮き彫りにしたいと思って、大阪のライヴに行って写真もインタビューも取った記事なんです。CHARGEEEEEEと一緒のものをタイトル写真にしたのはインパクトもありますけど、森重一人じゃないって所を強調したいのもあり、この1987年L.A.みたいな写真も楽屋で撮っただけなんですね。で、何が凄いっていって、森重のヒョウ柄の衣装、この大阪のおばちゃんくらいしか着ないような服を、彼は1984年から持っていた。

広瀬:物持ちがいい。

増田:正式にはZIGGY以前の衣装なんですよ。タランチュラっていう彼が昔やっていたバンドの頃に買っていた衣装で、それが今でも着られるというのもなんなんですけど、その頃から着たい物が変わってないというのも凄いなって思うんですよ。

広瀬:ブレないですね。前にも言いましたけど、渋谷で歩いていたとき、前から森重樹一みたいな人が歩いてるな…と思って、あとで聞いたら本人だったと
いう。だから森重さんみたいな人は森重さんしかいないなと。

増田:たまに森重樹一にしか見えない森重樹一が自転車こいでたりとかジョギングしてたりとか、そういう所に出くわすことがありますからね。ノーメイクでも金髪の森重樹一をやってます。

この後、ラウド・ロック、ハード・ロック、アート・ロック、メタル…などの名称/カテゴライズの話題になり、BURRN!掲載アーティストの基準に話が及んだ。

広瀬:BURRN!の場合は自分をメタルだと思っているか否かが掲載するときの基準ですね。自分たちがメタルをやってると思っているかどうか。

増田:メタル・ファンに読まれたいかどうか。

広瀬:そうそう。だから“俺たちはメタルじゃないぜ”って言ってる人たちを無理矢理引っ張り込んでもしょうがないし。でも日本のレコード会社の人たちってヘヴィメタルをよく知らない人たちが多くて、アーティストはBURRN!も読んでるし、自分たちもメタルだと思ってるんだけど、レコード会社が、“BURRN!って何?”とか“ヘビメタでしょ、関係ない”っていうのが凄く多いんです。これはBURRN!本誌の話なんですけど、なぜあるバンドがなぜBURRN!に載ってないかというと、レコード会社がバンドをメタルと思ってなくて、BURRN!なんかに載らなくても結構!と思ってるから。実際そういう人たちを引っぱり出すのは難しいんですよ。90年代以降そういう風潮がどんどん増えていって。

増田:というわけで、次回は『BURRN!を取り巻く業界事情』を。(場内大爆笑&拍手)

広瀬:まぁ、その辺は『BURRN! JAPAN』を作って、増田さんと土屋さんが広くアーティストと接してその本音を知っていて、<この人たちがここに載ってもおかしくない>という線引きをしてくれるのでありがたいですよ。あと、今回のBURRN!JAPANでは、瞬火(陰陽座)のインタビューって実はすごく貴重ですよ。

土屋:当初レコード会社からの話では取材が出ないということでしたから、音楽専門誌では『BURRN! JAPAN』だけですよインタビューが載ったの。

広瀬:その辺りは土屋さんがアーティストの本音を知っていてくれるからで、彼としても、なぜこの作品をやるのかを語りたかったって『BURRN! JAPAN』誌面で言ってましたもの。

土屋:ま、この瞬火という男は凄いなと。

広瀬:すべてを計算して生きてるって感じですよね。彼のインタビューは喋ったことを全部そのまま載せても、全部意味が通ってるという数少ない人だと思います。

土屋:今回12ページですけど、インタビューはもっとあります。

広瀬:どこを削ってどこを載せるかを考えるのは大変なんですよね。

増田:そういう意味では今回島さんもたっぷり語ってましたけど

広瀬:うまい流れで島くんを呼ぼうとしてますね。

増田:では、みなさんどうぞ。

ゲスト全員が入場し、今度は島紀史氏が真ん中に座り、Silexの3人がサイド・ステージに移り二部が開始された。

写真左より土屋京輔氏、島紀史氏、広瀬編集長、増田勇一氏

 

広瀬:バンド名のConcerto Moonって、ブラックモアズ・ナイトの「〜〜〜Moon」から取ったんでしょ。

:取ってませんよ、後付けで言うとそうなんですけど、当時、リッチー・ブラックモアはディープ・パープルを辞めた後「Rainbow Moon」にするって言ってましたね。アマチュアの頃、僕恥ずかしい名前のバンドやってまして、STARGAZERとか、これを当時BURRN!にも載ってた大阪のライヴハウスBahamaのおねえにも“なんて恥ずかしいバンド名をつけるんだ!”って怒られました(笑)。“売れる気ないんだろう”って。当時は単語の意味も調べてなんて素晴らしい…って思ってたんですけど。で、〜〜〜Moonっていうのは自分が好きそうな音楽から遠いかなって思ったので、〜〜〜Moonで語呂の良さそうなのを、大阪でやってたバンドCRYSTAL CLEARの末期ぐらいからずっと考えてて。それで東京に来て尾崎さん(尾崎隆雄)とバンドをやることになって、バンド名どうするかってときに、“何か考えてる?”って言われたので、Concerto Moonって言ったら通った。だから語呂だけだったんですよ最初は。で、後々尾崎さんと話して、“リッチー・ブラックモアが「Rainbow Moon」にしたいと思ってた”って聞いたから、パクったと思われるな──って(笑)。

広瀬:思ってたから敢えて聞かなかった(笑)。

:パクったと思われるなぁ──とずっと思ってたので、今、パクったんじゃないんだと20年振りに言い訳ができて(笑)。Moonってリッチーのおばあさんの名前なんですよね。

広瀬:おばあさん好きだね、リッチーは。

:Deep Purpleもおばあさんの好きな曲の題名だし。ばあちゃん子なんですよ。僕もばあちゃん子なんです、いいでしょ(笑)。

広瀬:(笑)、今回BURRN! JAPANの島くんのインタビューで、僕が初めて知って驚いたのは、両手のバネ指で苦しんでた──という話。この間ガールズメタルCYNTIAのギタリストのYUIちゃんが腕の故障で休養して治療するっていう話を聞いたときに、島くんがこの間のBURRN! JAPANでインタビューをしたらこういうことを言ってた“って言ったらYUIちゃんが、“え〜〜島さんそうなんですか!全然気がつかなかった“って。僕も「FROM FATHER TO SON」のツアーのときは異常に苦しんでいたのは知ってて、その後も長年それで苦しんでた…というのを聞いて──。

:もの凄くひどい状態というのは、あのツアーのときぐらいでした。でもその後『RAIN FOREST』のレコーディングに入るまでは、ライヴの休みがなくて、月に1〜2本は必ずライヴがあった状態で動いていたので、あのときは本当にしんどかったですね。だからその後治療を受けたり、ライヴの始まる前に自分を見失わない量だけお酒を飲んだんです。これは治療をしてくれた先生が、<緊張もほぐれるし、身体も暖かくなるし力の入り過ぎの負担も少なくなるから、お酒が飲める体質ならちょっと飲んでやるのもいいと思いますよ>と言ってくれたので。でもその頃、ギター雑誌のアンケートで、<ライヴの前にお酒を飲みますか>という設問に、飲みますと答えたのは僕だけで(笑)。“お酒飲んでライヴするくらいならギタリスト辞める”とか答えた人もいて、僕だけ凄い不真面目な感じで(笑)。

広瀬:だけどリッチー飲んでるからね。

:飲んでますよね。

増田:MASHAくんはライヴの前にお酒飲みますか?

MASHA:飲んでやったことあるんですよ。ねhibikiさん。

hibiki:曲が止まるんです。

MASHA:僕は演奏ができなくなっちゃたんです。

hibiki:ハイボール一杯でそうなっちゃったんでびっくりしましたね。

増田:それはリラックスしようと思って飲んだ?

MASHA:リラックスできるかなと思ったら、一番やっちゃいけない所でミスをしてしまって。

hibiki:僕は反対に飲めば飲むほど、普段出ないフレーズが出てくるタイプなんですね。

:僕は自分を見失わない量の所にちゃんと線を引きますよ。

広瀬:尾崎さんが辞める前の最後のツアーで、Concerto Moon がSABER TIGERと一緒に札幌でやったときは下山くんと二人でメチャメチャ飲んでたよね。

:先にConcerto Moonなので僕はもうベロベロな状態でステージに上がって、下山さんは出番が後だったから1時間は醒ます時間があって。

広瀬:下山くんとよく話すのが、鹿鳴館でのConcerto MoonとSABER TIGERの対バンがあって、鹿鳴館に行ったら、看板に大きな文字でConcerto Moon!下に小さくSABER TIGERとあって。(場内大爆笑)

:皆さん冷静に考えてください、鹿鳴館ですよ、そんなに大きな文字で書けるスペースなんてありますか?(場内大爆笑)

広瀬:下山武徳 談(笑)。

土屋:僕もその日、鹿鳴館にいて、バンドの文字のサイズは覚えてないんですが(笑)、島紀史という人が僕に凄く冷たかったなぁ…というのは覚えてます。

:だから最近冷たいこと、いじわるを言うんだよね、同じ歳のくせに。

広瀬:ところで、なんでヴォーカル(久世敦史)は辞めたの?

:しかたないですよね。

広瀬:誤解のないように言っておいた方がいいいと思うんですけど、彼が“辞める”って言ったんですよね。

:そうですよ。長い話し合いを経て。久世は久世でいろいろ悩んだろうし、こっちはこっちでメンバーの思いも──久世さん天然で気づいてないことも──ね。それで、落としどころがなんとかないものかと探したけど、そうしたら結局はどちらかが我慢するしかない。メンバーの名誉のために言っておくと、その相容れない部分は結構我慢してるし、久世は久世で我慢してる。で、お互いが“もう無理だ”と思うタイミングが同じくらいだったんですよ。だから俺がクビにしたわけじゃないんです、その方がみんな面白いのかもしれないけど。こういう場合なんて言えばいいんですか?

広瀬:ポール・ロジャースみたいなヴォーカルが欲しかった、フィル・ライノットとトリオがやりたかったって(どちらもリッチー・ブラックモアの発言)。

:僕のことは、トリオのバンドがやりたかったんだって──って言ってもらえれば(笑)、でもConcerto Moonはトリオにならないですよ。ウソですよ。みなさん。

広瀬:で、久世くんってアルバムは何枚参加したんです?

:4枚、7年ですからね。

広瀬:井上くん(前任ヴォーカル井上貴史)は何年?

:井上は11年いましたからね。

広瀬:井上くんが辞めた理由も今回「BURRN! JAPAN」で島くん語ってます。

:あそこまでは詳しく言ってなかったですね。

広瀬:お母さんが病気で…というのは僕は全然知らなかった。

:あれは本当に色々話し合いましたよ。このインタビューに出たことが本当で。最初はそこまで深刻じゃなかったのがどんどん深刻になって、これは無理だね──ということになって。

広瀬:そういうタイミングだったんだ。

:だから井上とはなんの問題もなかったし。揉め事とかも一切なかったし。

広瀬:それで、今回のインタビューで、僕が出来が悪いな…って思ってたアルバムは島くんも反省してたっていうのが。

:反省してますよ。別に投げやりになったわけでも捨て鉢になったわけでもなく。当時のマネージャーに、“いつも同じメロディで──”って言われても、“
同じ人間が作ってるんだから…“と思ってて。だからその中でも、アルバム毎に何か違う要素を入れようとは考えてはいました。でも一番いじってはいけない所をいじっちゃったな──というのがあるから『RISE FROM ASHES』というアルバムに対しては反省点が多い。多いどころかあれで反省したんです。本来自分が書いていた通りのメロディでレコーディングをしていたらそんな印象も薄かったと思うんです。ギターは良かったと思うんですけど──。今はヴォーカルについてはオープンな気持ちでいますよ、こんな声でないと…というのはあまり考えてなくて、今までみたいに野太い男らしい声に対するこだわりは、今は持ってないです。どちらかというともっとハイ・ノートの出せるような人材を。だから、自分のバンドとか音楽をカッコいいと思ってくれた人たちにとって、馴染みのあるような物になるのではないかと。これはインタビューでも言ったんですけど、自分の中でハイ・トーンやハイ・ノートの人たちとはやりたくない──という時期もあるです。もっとマンリーな男らしい声をしてる人とやりたいって強く思っていたから。でも根本に立ち返るとハイ・トーンやハイ・ノートの声で歌うヴォーカリストが見つけられたら、自分が作っているメロディが聴いてくれる人に伝わりやすい物になるのではないか──と、今は思っています。

土屋:だから新しいヴォーカリストが入って、さぁ何が作れるか──という所ですね。

:そこで先祖帰りをして『FROM FATHER TO SON』を作ろう…みたいなテンションで作っても絶対無理なので。

広瀬:僕は好きですけど、あのアルバム。

:じゃ、曲はそのままで新しいヴォーカリストが歌い直しとか。

広瀬:それはダメでしょう。

:それはダメと、曲も書けと。

ここから話題が今回のBURRN!本誌の巻頭を飾るジューダス・プリーストに移り、島さんの<僕はジューダス・プリーストになりたかったんです>というジューダス愛が切々と語られた。

写真左より土屋京輔氏、島紀史氏、広瀬編集長、増田勇一氏、Silex (MASHA氏、ピート・クラッセン氏、hibiki氏)

広瀬:これからヴォーカリストを探す島くんですが、森川之雄(ANTHEM)さんみたいな人がいたら理想的だけどね。

:そうですよね、今、“マンリーな声を求めているわけではない”と言いましたけど、森川さんみたいのなら、それはマンリーでいいでしょう。(場内大拍手)

広瀬:森川派だもんね。

:森川派ですね。

広瀬:だから中間英明がギターを弾いていて、森川さんが歌ってた時期(1990年頃)。

:BURRN! JAPANの表紙(NO.6)のときですよね。観た方もいらっしゃるかも知れませんが、あれはカッコよかった。強力なギターとバンドと強力なヴォーカルでしょ。当たり前のように曲はカッコいいし。

広瀬:『ANTHEM WAYS』で島くんは中間さんのギター・ソロを踏襲してソロを弾いてたよね。“中間くんが上手くなったみたいだ”って──これは梶山 章が言ってた。

:じゃよかった、俺が言ったんじゃないから。

広瀬:そういえばマンドレイクルートで働いてた頃って、島くんは梶山 章さんとよく一緒に。

:だってもう朝までず〜っと一緒にギター弾かしてもらったりしましたから。

広瀬:梶山さんに言われたもん、“広瀬さん、島に厳し過ぎる。下山くんには甘過ぎる”って。

:梶山さんが正しい(笑)。一緒にギター弾いたのはいい経験になってるんです。生音で、何のアンプもエフェクターもない状態で、あんな人と向き合ってギターを弾いてるんですよ。で、“ここって難しくないか?”って梶山さんが言うんですけど、全然難しそうに弾いてない。ちゃんと弾けてるようにしか思わなかったけど、ああいうギターの上手い人が突き詰めてやってるとここでは満足できないんだ──ということを日々見せられました。だからマーシャルのアンプやファズボックスのエフェクターの力を借りなくても、ああいうトーンでギターが弾けるんだというのを毎日見てて、自分のギターに対して厳しく取り組もうという気持ちはその頃飛躍的に伸びてハードルが一気に上がりました。ピッキングがくねくねしてて気持ち悪いって言われましたけど(笑)。このくねくねは梶山さんの家で見た、スーパー・ギター・トリオのビデオが元ですよ。アル・ディメオラとパコ・デルシア、ジョン・マクラフリンで。

広瀬:梶山さんはディメオラが好きだよね。

:そう、で、僕はジョン・マクラフリンの音とかフレーズがカッコいいと思ったんです。そこからジョン・マクラフリンを掘り下げて…。そこで弦にフラットにピックを当てないと良い音がしないんだ──と思ったんですね。だから僕のピッキングがくねくねしてるというのは、次の弦にフラットにピックを当てよう当てようって思い込んでただけなんです。だからマクラフリンがどうやっているのか──の勘違いからスタートしてるんです。たまにはいいことを言うでしょ。

広瀬:なんか今初めていいことを言ったね。(場内拍手)

:5月にライヴがありますけど、今までミュージシャン続けてきてこんなに時間があったことがないくらい、今、ちょっと時間があるんです。だから僕がずっと好きなリッチー・ブッラクモアとかを掘り下げて、もの凄くシリアスにコピーしてるんですよ。次に人前に出るときはギター・プレイヤーとして一段上がっている状態になっときたいなと思って。この機会に『Fireball』は全部弾けるようにしようと。あとはマクラフリン的なものとかももっと煮詰めて。

土屋:そんな姿が5月の。

:東名阪だけになってしまいましたけど、5月11日名古屋 ell,SIZE、13日大阪 西九条BRAND NEW、26日東京渋谷REXで。これでヴォーカル久世が脱退します。でも焦るつもりもありませんし、今は色んな人の音源聴いてます。非常に素晴らしければ女性のヴォーカリストもいいです。

増田:え〜宴も闌ですけれど、そろそろお時間もいい感じなので、ここで今日の出演者の皆様からプレゼントを。

広瀬:いろいろご用意しましたので、クイズで当てた方にプレゼントとか?

増田:クイズ?(笑)いや、欲しい方と提供者でじゃんけんして。

この後ゲスト、司会陣からそれぞれ貴重なアイテムの数々が入場者にプレゼントされた。

増田:気がつけば、もう3時間(笑)。ではゲストの皆さまから最後にそれぞれご挨拶を。まずSilexから。

MASHA:今日は楽しく拝見させていただきました。

広瀬:拝見じゃないから(笑)。

MASHA:また機会がありましたら、僕もいっぱいお喋りさせていただきたいと思います、宜しくお願いいたします。(場内拍手)

ピート:また是非参加させていただきたいと思います、ありがとうございました。YEAH! HEAVY METAL COME ON!(場内拍手)

hibiki:今回は楽しかったです。僕の赤裸裸な所まで誌面で出していただいてますし、素直な気持ちを語っていますので、あ、ベース・プレイもそうですから、ライヴ聴きにきてくださいね。ありがとうございました。(場内拍手)

:沈んでるんじゃないかと心配される向きもありましたので、こうやって楽しい感じで喋らせていただいて。5月のライヴはきちんと締めくくりに相応しいものにしますので。その後に続くものは、できればその頃までに皆さんにお知らせできるように、焦らず無理せず慎重に、でも迅速に動けるように頑張っていきますので、皆さん宜しくお願いいたします。(場内拍手)

増田:というわけで、ゲストのSirexのみなさん、島さんありがとうございました。

土屋:ありがとうございました。

広瀬:ありがとうございました。(場内大拍手)

ゲストの方々が退場後、残ったBURRN! JAPAN編集チームからこれからの話が。

増田:BURRN! JAPANの次号、11号目はプランが進みつつあるんですよね。

広瀬:そうです!5月に出ますよ。

増田:お!本当ですか?

広瀬:土屋さんが頑張れば(笑)。

土屋:ま、今回の編集後記にもう書いちゃってますからね。

広瀬:書いてますよ、もう。それができるのが編集長の特権です。

土屋:ま、僕がちゃんと仕事すれば。

増田:増田くんがさぼってもね。ま、でも土屋さんたくさん書かないと。

広瀬:巻頭もね。

土屋:まだ明かせませんけど、もう既に話は。

広瀬:はい、というわけで、今日は本当にありがとうございました。又、宜しくお願いします。(場内大拍手)


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  • BURRN! JAPAN Vol.10〈シンコー・ミュージック・ムック〉
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  • BURRN! JAPAN Vol.10〈シンコー・ミュージック・ムック〉

    A4判 / 160ページ / ¥ 1,320

    国内HM/HRバンドに特化した別冊、復活第4弾登場!

    【CONTENTS】
    <EXCLUSIVE COVER STORY & LIVE REPORT>
    高崎 晃
    ★LAZY ライヴ・リポート
    ★LOUDNESS ライヴ・リポート
    ★井上俊次
    ★影山ヒロノブ

    <EXCLUSIVE INTERVIEWS>
    瞬火(陰陽座)
    KAMIJO(Versailles)
    森重樹一(ZIGGY)
    Masato(coldrain)
    安井義博(OUTRAGE)
    NEMO(SURVIVE)
    稲本剛章(IN FOR THE KILL)
    hibiki(Silex/SABER TIGER)
    島 紀史(CONCERTO MOON)
    足立祐二(DEAD END)
    BAN(44MAGNUM)
    平山照継(SCHEHERAZADE)
    高橋ヨシロウ(山水館/ACTION)

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