日本で生まれ、日本で育ち、1974年に渡米。以後、ロック/メタル界の名立たるアーティスト達を撮り続けてきたフォトグラファーのウイリアム・ヘイムス氏がこれまでの軌跡を明かした初の自伝「ウイリアム・ヘイムス自伝 Man of Two Lands」の発売記念トーク・ショウが4月12日(金)タワーレコード渋谷店5F イベントスペースにて開催された。聴き手はBURRN! 広瀬和生編集長。

僕の写真の仕事にはクライアントがいます。レコード会社、雑誌社、マネージメント、アーティスト…そういう人たちに満足してもらえるものを作るんです──ウイリアム・ヘイムス


ウイリアム・ヘイムスさんが日本に帰って来られるということで、広瀬編集長が自伝を書きませんか?というオファーを出したところから話は始まった。

 

広瀬和生(以下 広瀬):まず自伝と言われた時、どんな風に思われました?

ウイリアム・ヘイムス(以下 ウイリアム):自分の経験とかだけだと多分みなさんに楽しんでいただけないんじゃないかと不安があったので、特別に最初の20ページはポラロイド写真のみを載せたんです。僕の家に30何年間ずっとしまっておいたもので、たまに引っ張り出してはニヤニヤ笑いながら見ていたものです。

広瀬:これ、本当に希少なんです。今は撮った写真をパソコンの画面でアーティストに見せたりしますが、当時は撮影の際、ポラロイド写真を撮って、〈こういう風に撮影します〉というのをアーティストに見せて安心してもらって撮影する──という流れでした。そういう流れをご存知ない方も多いと思いますが。

ウイリアム:僕のやったライティングを見せるというのももちろん、本人たちの衣装のチェックというのもあったんです。衣装のアレがいいコレがいいということや、メイクやヘアーの具合はどうだ? というのもあった。僕の写真はライティングに+したトータルなイメージを映すものなので。

広瀬:特にウイリアムさんがライティングやバックドロップ(撮影用背景紙)の使い方を、色々考えて悩んでやっていらしたのはこの本を読んで分かったんですけど、僕が一緒に仕事をした90年代にはもうスタイルが出来上がっていたんですよね。

ウイリアム:そうですね、ロサンゼルスのLAメタルのバンドはデビューの頃から撮っているので、その時に撮った感じが気に入ってもらえたから今も続いてる──何度も何度も同じバンドが僕のスタジオに来たんですよ。最初サンフランシスコにスタジオを持っていた頃はロケーションでの撮影が多かった。本にも書いてあるけど、1985年BON JOVIをフィラデルフィアで撮った時は、伊藤さんのアドバイスでシームレスペーパー(皺になりにくい背景紙)をわざわざ雪の降る中をカメラ屋に買いに行って、車の窓から紙の筒を突き出して走りました。けれど、86年にロスに行く前、友達のスタジオを借りることができた時にバックドロップを使い始め、スタジオをシェアーしてから、さらに工夫して色々なパターンを作ることができた。それはスタジオを持っていなかったらできなかったことです。

広瀬:スタジオがあるというのが非常に重要だった。

ウイリアム:ロスのスタジオはハリウッドの真ん中にあって、近いところにインディーズのレコード会社が入っていた建物、キャピトル・レコードとかがあってロケーションが凄くよかった。さらにはデビューするバンドの連中が住んでいるアパートもあって、サンセット通りには彼らを支える女の子たちもたくさんいた。それで、撮影する度に撮るポラロイドに、スタジオのアシスタント達がバンドにサインをさせてそれを壁に飾ったんですよ。それがどんどん増えて行って、特にデビューしたての若いバンドは自分たちもその壁にサイン入りのポラロイドを飾って欲しいとなって──まぁ雰囲気としていいかなと。

広瀬:ステイタスになりますよね。ポラロイドもこうやって並ぶと壮観ですね(前述の本書前半のページ)。

ウイリアム:みなさん、楽しんでいただけました?

(場内大拍手)

広瀬:歴史的に凄い価値のあるポラなので、今回の自伝では1ページに2枚でしっかり見せるレイアウトで、サインもちゃんと読めるようにしました。

 

取材エピソードの数々

 

広瀬:90年代僕が編集長になってからは毎月のように海外取材に行っていて、ウイリアムさんとはニューヨークやオーストラリア、カナダとかにも行きましたね。今振り返ると僕達は記事も写真もしっかり仕事をしていて、破茶滅茶なエピソードはそんなにないんですけど、ウイリアムさんとは美味しいものを食べていっぱい飲んで次の日二日酔い──というのが懐かしいですね。

ウイリアム:仕事しましたよね。

広瀬:仕事しました。

ウイリアム:だから打ち上げについ力が入って。

広瀬:そうそう。取材が終わって、今日は1日空いてるから昼間から飲みましょうかって(笑)。

ウイリアム:当時イングヴェイ(・マルムスティーン)の家にも行きましたよね。

広瀬:一緒に行ったこともあるし、別々の時もあるし、相当行きましたね。

ウイリアム:この本にも書きましたけど、表紙のカットを撮る時になぜかイングヴェイが同じポーズで動かないので、これは何枚も撮っては無駄だな…とサングラスの奥を覗いたら、寝てた(笑)。撮っている最中に寝る人は初めてでした。

広瀬:あの時ですよね、イングヴェイが銃を持ってきて構えて “これで撮るといい”って。なんだこいつは!?って思いました。

ウイリアム:拳銃持っていましたよね。あと、何か隠しているのを見せてもらったことはあったけど、ロレックスでした。片手に二個つけていましたね(笑)。僕もたまたまロレックスの安いやつをしていたら、イングヴェイが“俺のやつとお前のはちょっと違う、俺の方が高い”と目で語るんです。あとはフェラーリかな、三度目の奥さんはベントレーに乗っていました、でも家の中に入ったら天井から雨漏りしてましたよ(笑)。

広瀬:僕が行った時、イングヴェイの自宅でもトイレの水洗が故障していた。

ウイリアム:新品のワインセラーがあったけど、中が空っぽだったので尋ねたら、“中は入れてない、禁酒中だから”って。不思議な人ですね。

 

この後もイングヴェイに関しては前妻アンバーさんや、強烈な個性のマネージャーのジム・ルイスのエピソードが披露され、“みなさん記事にならないような裏話を期待されてると思うので──”と、POISONの裏話(ウイリアムさんのスタジオでの出来事)が披露された。

 

ウイリアム:僕のスタジオは2階にあって、控え室やオフィスには冷房があったんですけどスタジオにはなかった。POISONのメンバーがヘア&メイクをしたんだけれど暑いから汗をかく。メンバーから“ウイリアム、エアコンのあるスタジオ借りて、もう一回やろうぜ”と言われて、別のスタジオをレンタルして撮り直しました。

広瀬:一度、取材じゃなくてウイリアムさんのスタジオに行ったらKISSの撮影をしていて。ノーメイクの頃です。

ウイリアム:彼らが再度メイクをするまでにドラムが3人くらい替わったかな。“ウイリアム、メイクするぞ!”ってジーンから電話がかかってきて、これは言いにくいんですけど、僕のスタジオで久しぶりにメイクしたジーンとポールを撮ったのが雑誌の表紙で、それが「METAL GEAR」に行っちゃった。

広瀬:しょうがないですよ(笑)。さっきの話ですけど、僕がウイリアムさんのスタジオに行った時、僕が持っていた「BURRN!」の表紙に「エクスクルーシヴ・インタビュー・ウィズ・GAMMA RAY」と書いてあるのを見て、ジーンとポールが“エクスクルーシヴってわざわざ言うか?”って、ちょっと呆れてたんですね。そうしたら、エリック・シンガーが、“いや、日本じゃGAMMA RAYはビッグなんだ”ってフォローしてくれて。いい人だなこの人はって思いました(笑)。

ウイリアム:KISSの日本ツアーに同行したときに、ポールの誕生日に贈り物をしたいからとジーンから頼まれて一番高いニコンのカメラと望遠レンズを買ってきた。その話をエリックに話したら、“そうなんだよポールとジーンは誕生日になると車を贈ったりして──、でも僕にはファックス・マシンだけだった”と。その時ジーンからお駄賃をもらったと話したら“ジーンからお金を貰った奴はお前しかいないだろうな”と言われました。

 

さらに本書でも触れられたものも含め撮影エピソードの数々が披露された。

 

●Mötley Crüeの裏ジャケットを撮るために、急遽超高価なハッセルブラッドの魚眼レンズをレンタルで使い、撮った写真にはメンバーも満足してくれた。

●デヴィッド・カヴァディールの屋敷はサンフランシスコから車で3時間くらいのネバダ州にある。4階建の1階には屋内プールが、他の階には映画を観るシアターがある(ここでデヴィッドは広瀬編集長とワインを飲みながら、自身のビデオ・クリップに合わせて歌っていたとか)。

●ジーン・シモンズは自宅のショーケースの中に自身の様々なグッズというグッズを大量に保管している。KISSのグッズはそれこそ赤ちゃんから人生の最後まであって、日本でKissってカメラ(Canon)を見かけたジーンは “これ、俺たち許可は出していない”って言っていた。

●大物アーティストになると、撮影する側が何も言わなくとも自分がどう写るかをよくわかっている人が多い。例えばオジー・オズボーンは、普段は地味で質素で面白みがないけれど、スイッチが入ると突然変わったポーズを取ってくれたりする。

●MR.BIGはともかく沢山撮った。ポール・ギルバートがヤング・ギターの企画で、所蔵している自身の100本のギターで同じフレーズを弾くという動画を作る──というものがあって、衣装を100回変えて、100本ギターを持ち替え、100回同じフレーズを弾くということをやったんだけれども、上手すぎて100回弾いても全部正確に同じで1本のギターにしか聴こえなかった。録音したエンジニアは“俺、何のためにやったんだ!?”と(笑)。

 

Q&Aコーナー

この後はQ&Aのコーナーになったが、その中でウイリアムさんは自分の仕事についての見解を話された。

 

ウイリアム:僕の写真の仕事にはクライアントがいるんです。レコード会社、雑誌社、マネージメント、アーティスト…、そういう僕に仕事を依頼してくれた人のために、満足してもらえるものを作る。よく若いカメラマンが撮ったバンドが後で売れていって…という話があるけど、僕はそういう〈これから芽が出る人〉を探しているわけじゃない。でもそういう人たちのために、無名のバンドの写真を廉価で撮る〈カラー36枚1本、モノクロ36枚1本でいくら──というパッケージディール〉というのをやっています。売れるといいね、レコードが出せるといいねって結構いろんなバンドを撮りました。

広瀬:ウイリアムさんの素晴らしいところは、1回のバンドの撮影で、クライアント(レコード会社、プロダクション、マガジンETC)それぞれの使い勝手がいいように、ちゃんと分かった上で商業写真として撮り分けてくれるところ。それがアートじゃなくて、商業写真ということなんです。

:MLやBURRN!で撮った写真で、使ってなかった写真を発掘してデジタル化してデジタル写真集とか作って欲しい

広瀬:シンコーミュージックは実際にそれをやろうとしていますし、一部実際にやっています。

ウイリアム:僕がレコード会社から頼まれて撮った写真も、担当の人が辞めたりレーベルが変わったりで、行き先がわからなくなって捨てられたのもあるんじゃないかな。

広瀬:捨てられていると思いますよ。

:マイケル・シェンカーの撮影エピソードは?

ウイリアム:マイケル・シェンカー、ウリ・ジョン・ロート、ジョー・サトリアーニの3人がグラスゴーでやったG3のコンサートでヤング・ギターの表紙で撮るからって言っていたのに、ライヴ開始になってもマイケルがステージに出てこない。楽屋ではマイケルが“俺は昨日、撮影があるからとここに来たのに誰もいなかった!”と拗ねているから、一生恩にきます──とか言葉を尽くして出てもらいました。

Q:デジタル撮影とフィルム撮影の違いについて

ウイリアム:ライヴの時フィルム撮影で困るのは、1本36枚しか撮れないこと。撮り終えたらフィルムを巻き戻して入れ替えなきゃいけない。だからカメラを3台持って望遠とか広角のレンズを付けておく。ラストに全員がステージに揃うこともあるので、1台は絶対36枚のフィルムが撮れる状態にしておかなきゃならない。デジタルはそういうことを気にしないで撮れるからね。それにフィルムは現像するから、その手順の中でラボ(現像所)に3回行くことになるし。今のデジタル・カメラは、皆同じようなのを使っているから、誰が撮っても似たような上がりになってるんじゃないかな──、それに写っていれば後からPCでいくらでも加工ができるし。だからシャッター・チャンスとかそういう問題じゃないという気がする…僕はなんでも一番カッコいいのを撮ろうとファインダーを覗いていたから、それが一番大きな違いなんじゃないかなと思う。それが悪いとは言いませんよ。だってPhotoshopがあれば色んなことができるし。ただ、コンピュータの画面で見るより本で見た方が楽しくないですか? やっぱりそういう楽しみがあって。

広瀬:そうなんですよ、やっぱり紙に残るということなんです。だから今回、自伝を出しませんかって言ってよかったなって思っています。本は売れると、いつまでも買えるので。では、この後はサイン会となります、今日はありがとうございました。

ウイリアム:ありがとうございました。

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    ウイリアム・ヘイムス自伝 Man Of Two Lands

    A5判 / 176ページ / ¥ 1,980

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    日本で生まれ、日本で育ち、1974年に渡米。以後、ロック/メタル界の名立たるアーティスト達を撮り続けてきたフォトグラファーのウイリアム・ヘイムス氏がこれまでの軌跡を明かす初の自伝。数多のバンドのオフィシャル写真を手掛けてきた氏のスタジオには撮影を希望するアーティスト達が次々に詰め掛け、ポラロイド写真に直筆サインを残していった。今回、その貴重なサイン入りポラロイド写真40枚を初公開! 他にも撮影時の知られざるエピソードと共に、80年代のメタル全盛期を中心に一時代を築いたヘイムス氏の写真を多数掲載。BURRN!読者層に響くこと間違いなしの1冊。

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