2018年8月8日紀伊國屋書店新宿本店にて、ANTHEMのリーダーである柴田直人の「柴田直人 自伝」刊行記念トーク&サイン会が行なわれた。司会進行は本書を編集した広瀬和生(BURRN!編集長)が担当。

ANTHEMは今後も日本をベースに
徹底的に精力的に活動していこうと思っています!

── では柴田直人さんにご登場いただきましょう(場内大拍手)

柴田直人(以下柴田):どうも今晩は。

── すみません、直前まで控え室で雑談してて。

柴田:突然呼ばれましたね(笑)。よろしくお願いします。

── まず、この自伝を書こうと思った心境、きっかけを伺いたいんですが。もちろん還暦っていうのもあると思いますが。

柴田:一年くらい前、数人の方から、“来年は記念すべき年なので、本を書いたらどうですか”といった話はいただいてたんですけど、還暦とかで何かをするというのがとても日本的な感じがしてイヤで。ま、バンド単位ではアニヴァーサリーはやってるんですが自分のこととなると──。で、そういうことを避けてたんですが、今年2月に映像作品の記念ライヴをやった名古屋の翌日、目が醒めた時に下りてきたというか──、まったく理由はないんですけど、“生誕60年のライブ企画とか本の企画とかやった方がいいのかな”と、突然思ったんです。そうなった時に、どうせなら相当昔から危ない話をお酒を飲みながらし続けた広瀬さんに監修してもらうのがいいと思った次第です。

── ま、出すんだったら僕だろうな…と思いました(笑)。

柴田:ありがとうございます。

── この本お読みになった方は分かると思いますけど、よくあるアーティスト本とはまったく違う一冊になっていて、柴田さんらしいシリアスさと、ちょっとお茶目なところもありつつ、ホロッとさせるところもあって、担当編集者が言うのも何ですが、凄くいい本だと思います。出来上がった本を手にして、ご自分でも感慨深いものがあるんじゃないですか?

柴田:ゲラ校正をしてる時はそうでもなかったんですけど、完成した見本が家に届いた時は、“あ、こんなになるんだ”っていう感じでした。ちょっと恥ずかしい感じ(笑)。作品としてのCDと比べると、出来上がったページを捲ると全部自分のことなので、音を作る時とは違う感じでした

── そうですよね、作品ではなく「自分」ですから。作品はクリエイトした物だから、自分の分身ではあっても自分そのものとは違う。

柴田:そうですね、出来事の全部を書くことはできないですけど、僕の中ではウソは全く書いてないつもりなので──ひょっとしてここに登場する人が「それはこうだったよ」って言うのは、それはその人にとっての真実なんだと思うんです。これは広瀬さんとよく話すことなんですけど、人の記憶って本当に曖昧で、忘れたいこととか、こうあって欲しいことは平気で変わったりするから、僕は何回も思い返して、例えば大内(大内“MAD”貴雅/第1期〜第7期のドラマー)に連絡したり、当てになる清水(昭男/第6期〜現在のギタリスト)に連絡して。

── 清水君がいない時期のことが多く書かれますけど(笑)。

柴田:いない所も清水に聞いたりして(笑)。どうだった?って聞いたら、「いやぁ、その時僕まだちっちゃかったんで…」って。となると、田丸(勇/現ドラマー)なんか用事もないわけで(笑)。でも当時のスタッフとか妹に話を聞いたりしながら書きました。

── 本は著者と編集者との共同作業なので、最初の原稿がそのまま本になるわけではないんですよ。実際、最初の原稿では足りない部分もあったので、「レコーディングの時に清水君がやらかした話があるじゃないですか」とか「大内さんのエピソードってもっとあるんじゃないですか?」って色々と話をして、書き足してもらったり。だから最初はこのページ数は全然なかったんですよ。

柴田:2/3弱くらいですかね。

── そうですね。だからいろんなところを柴田さんが書き足したり、細かく書き直したりして、かなり手間暇かけて作った物なんです。だから大勢の人達に読んでほしい。この中に登場する人達…例えばSHARAさん(石原“SHARA”愼一郎/EARTHSHAKERのギタリスト)にも読んで欲しいですよね。

柴田:(笑)

── あのSLY(二井原実、石原慎一郎、寺沢功一、樋口宗考)結成秘話のくだりとか…。

柴田:僕と樋口君が、いかに合わないか──というやつね。

── BURRN! JAPANのインタビューでそういう表現があったんですけど、インタビュアーに訊くと、実はあれでもかなりマイルドになってるっていう話で…。

柴田:ということは、相当「合ってなかった」ってことなんですよね(苦笑)。

── 相当「合ってなかった」って思われてますね。

柴田:でもね、樋口君とは一度も言い争いもしたことがないし。とにかく「一緒にやらないか」って言ってもらって、「申し訳ないです。できません」って言っただけなんですよ。1992年のANTHEM解散コンサートの時、僕は着替えてすぐに楽屋から出たかったんですけど、樋口君に呼び止められてずーっと話してたから、楽屋を出るのが遅くなったほどなんです。それくらい熱心に「セッションしよう」って、あの時に誘ってくれた。同じ歳なんで何かシンパシーがあったのか。だからさっきの記憶の話じゃないですけど、僕がニイちゃん(二井原実)とかSHARAに電話をしてSLYに加入できない理由を説明した頃のこと、SHARAの中で何か意図してではなく記憶のすり替わりがあったのかな──と思ったりはしてるんですけど。だって2回セッションしただけだから合うも合わないもないですよ。

── 他の三人は柴田さんと一緒にバンドをやる気満々だったんじゃないですか? だからそれがなくなったのが残念過ぎて──とか。この本に書かれているような、後にLOUDNESSに入った時(95年第4期LOUDNESS)の隅田さん(隅田和男/LOUDNESSマネージメント)のような策略(笑)みたいなのがあれば、SLYに入ってたんですよ、きっと。

柴田:あははは。確かにSLYにはああいうマネージャーはいなかったですから。今度ばったり会ったらSHARAに聞いてみます。

── LOUDNESSの取材に行ったらそこに柴田さんの「電撃加入」を告知したチラシがあったっていうのは──出たばかりのBURRN!9月号に柴田さんと高崎さん(高崎 晃/LOUDNESS)の対談が載ってますけど、そこでも高崎さんが「あった、あった」って言ってましたね。

柴田:そうなんですよ、本当に。今もLOUDNESSのマネージャーをやってますけど、隅田は元々ANTHEMに洋也(福田洋也/第2期〜第4期のギタリスト)がいた頃のギター・テックで。その隅田の作戦っていうんですかね、あの頃は正直言ってLOUDNESSは高崎 晃一人しかいないバンドだったので…あ、MASAKI(山田雅樹/LOUDNESS第三期〜第四期のヴォーカリスト)はいましたけど、バンドの体を成していなかったので、あのくらい強引にやらないと活動に持っていけなかったと思うんですけどね。ま、後でSHARAに「俺とはやらへんけどタッカンとはやるんやな」って言われましたけど(笑)。

── 言いますよね、それは(笑)。

柴田:でも、もの凄く爽やかな顔で笑いながら言ってくれたから助かりました(笑)。

数々の「運命の出会い」

── 話は遡って、大学時代のことですけど、ANTHEMをやる前にも音楽を辞めようと思ってたというのは…。

柴田:BLACK HOLEは本当に短い間集中してやったので、一度ANTHEMを解散した時と同じような、「もう、ここまで」っていう心境だったんです。大学はあまり行ってなかったので、これは大学に戻ってちゃんと卒業しないといけないなというのもありましたから。あと、時々田舎に帰った時に一言、二言、親父が言うのが効くんですよ。「こういうことは最後までやらなければ駄目だ」とか、あまり説教がましいことは言わないんですけど、男同士なのでちょこちょこっと話す内容がやっぱり凄く効くので。口出さないでずっと見守ってくれた分、あの時点では「大学に戻って卒業して家を継ぐ」って事なのかなと思ってたんですよ。

── それを望まれてた感じですか?

柴田:親からは一言もそんなこと言われてないんですけど。僕が家業を継ぐって言ったら、「それは困る」とは言われなかったとは思うので。「それはいいんだ」って言われたらちょっと悲しいですけど(笑)、北海道に戻って家業を継ぐ──ってあの頃言っていたら喜んだんじゃないでしょうかね。そこは本にも書いてありますけど、タイの物凄く弱いキックボクサーみたいな大内にまんまと連れて行かれるわけですけど。

── タイの物凄く弱いキックボクサーって表現は、繰り返し書いてますね(笑)。

柴田:本当にそう思ったんですよ(笑)。昔の大内の写真を皆さんもどこかで見つけて欲しいんですけど、本当に「タイの弱いキックボクサー」みたいな感じだったんです。

── でもこの自伝で一番グッと来るのは、その大内さんの家を訪ねてるとこですよね。

柴田:まぁそんなつもりで書いたわけじゃないんですけど、本当に『HUNTING TIME』を作る前のリハーサルの時は、大内の事で大内はもちろん僕も悩んでたので、書こうと思うとああいう風に熱が入って。やっぱり大内がいたことで出来たことがキングレコード時代のANTHEMにはたくさんありましたから。でも、こういう事を書かれるとイヤなのかな──と思って、大内にあの原稿の辺りを送ったんです。そうしたらLINEで「泣いた」って書いてきて。「今も泣いてる」「あともう一回読んで泣く」とか、とにかくあいつは泣きたいんですよ(笑)。で、あんまり“泣く”“泣く”って書いてくるから、時々既読スルーしてたんですけど(笑)。

── この間、7月7日クラブ・チッタでの『ANTHEM-Gypsy Ways 30th Anniversary Special-WORST HABITS DIE HARD』の後に大内さんに会って、この本の「第二章 運命の出会い」って貴方のことだからって言いましたよ。この章立ての題は僕が付けてるので。

柴田:喜んでたでしょ。あいつとても嬉しがってくれたので。本に自分が載る事と、あの辺の事を詳しく書いてくれたっていうのを僕も感謝されて。あまり大内とベタベタすると田丸が遠くの壁の蔭から見てたりするんで(笑)、まぁこの辺にしなきゃって思うんですけどね(笑)。

── 僕も普段飲んで話す時に、大内さんや清水さんのエピソードはよく聞いてたので、それを書いてくださいよってお願いして書いてもらったんですけど、皆さんもこの本を読まれて、「誰に対して愛情を注ぎ、誰にはあまり興味がないか」が非常に──。中間さん(中間英明/第5期のギタリスト)のことは相当あっさりしてましたよね。「もうちょっと書いてください」って言って、少し足してもらいましたけど。

柴田:書きたい事は山ほどあるんですけど、ちょうどあの頃は色んな事にがんじがらめめになって苦しんでる一年間くらいだったので、あれもイヤだったこれも大変だったって書くのも嫌なので。いい思い出としては信じられないくらい神がかったライヴが2〜3回あったので、それを書こうと思って記憶を辿って全部を思い出そうとすると、その日も「うーん、しょうがねぇなぁ」って事もあったりして(笑)。で、結局あまり書かなかった訳です。

── あと、メンバー・チェンジに関しては相手の気持ちとかもあって書きにくい部分もあっただろうな、と。

柴田:そうですか? まぁ、広瀬さんがディープ・パープルについて行なった『検証シリーズ』みたいなインタビューをいつかANTHEMについてやるとすると、内容はかなり豊富になると思いますけど、僕から一方的にっていうのは難しい事もいっぱいありますからね。それができるメンバーは大内であり、坂本英三であり…ってことだと受け取っていただいていいと思いますけど。ある種の信頼関係っていうことですね。

── 最初のトニーさん(前田“トニー”敏仁/第1期・第2期ヴォーカリスト)とか洋也さんもそうですけど、英三さん、清水君といった人達のルックスの良さに折々触れているのが柴田さんらしいなと。

柴田:僕は別に顔で選ぼうと思ってオーディションをしてるわけではないですよ(笑)。雰囲気というか、立ち振る舞いというのか。

── ルックスで落とされた人もいますよね、森川さん(森川之雄/第4期〜第6期及び現在ヴォーカリスト)とか。

柴田:最初にオーディションに来た時は大仏並みのパンチ・パーマだったんで(場内爆笑)、皆さん笑いますけど写真見たことあるでしょう? 『ロッキンf』(音楽専門誌)に載ったのとか、あれはライダースのダブルの革ジャンとかを着てたと思うんですけど、ANTHEMのオーディションに来た時は革のジャケットとパンツで、中にイメージでいうとシルクの白いシャツみたいなのを着てて。歩き方はドシドシしてるし。僕はあの頃「金ぴか先生」(一世を風靡した派手な身なりの予備校講師・佐藤先生)に似てるって言ってたんですけど。森川君の場合はルックスというか──ま、ルックスかな(笑)。絶対こいつはイカレてると思いましたからね。当時ANTEHMはプロ・デビューはしてませんでしたけど、知ってる人は知ってるバンドで、そのオーディションにこの出で立ちでくるか……って。森川か英三かどちらにするか、ミーティングをしても皆がなかなか決められなかったんですよ。それで、時間が経って行くなかで僕が決めたんです。「声がいいので、歌は上手くなる可能性があるんじゃないか」ということで。森川はそのときのことをずーっとバネにして2年半くらい過ごしていたわけですから、本当にたいしたもんですよね。

── アルバム『GYPSY WAYS』レコーディングの時、森川さんに色々イタズラを仕掛けたとか。

柴田:あれは森川の力の入り過ぎを取ろうと──二日間歌が全然録れなくて部屋で悔し泣きするくらいだったので。まぁだからといって脅かすこともないんですけどね(笑)。

── イジメかって思われたんじゃないですか(笑)。

柴田:森川君は新幹線の中や楽屋でこの自伝を読んでくれてて、「それはよーく覚えてる」って言ってました(笑)。『GYPSY WAYS』の思い出はクリス(タンガリーディス/プロデューサー)に怒られたことと、そのイタズラくらいみたい。それくらい集中してたんだと思います、余裕が全くなくて。

── 「このタコ!」って(笑)。まあ、クリスには英三さんに思い入れもあったでしょうし。

柴田:ANTHEMが初めて仕事をした日本のバンドでしたからね。舌ったらずの英三の事を「キャメル、キャメル」って呼んでて。「何でキャメルなんだ?」って聞いたら、「舌が長過ぎる、サシスセソが全部thになってるって。だから詞にその音の言葉をたくさん使え」って。でもそんなことはできないので(笑)。そのうちクリスが日本語の歌詞でも「さ」が「ザ」になってるって言い始めたので、クリスに「日本語、英語、全部録れてから呼ぶから、部屋で休んでいていいよ」っていう風になっていったんです。

── そうなんですか? 僕は顔の見た感じかと思ってました。

柴田:あ、そういえば、顔も似てるかもしれない(笑)。目が似てるかも。

── なんとなく佇まいが。

柴田:佇まい(笑)。

── 6月9日のライヴ(柴田直人 生誕60年記念「METAL MAN RISING」)で、久々に英三さんと一緒にプレイしましたね。

柴田:ANTHEMと一緒の楽屋じゃなかったので、出番前に楽屋に訪ねて行ったら相当気合いが入っていて、英三から「こういう話をしたい」っていうのを呼び止められて二回くらい聞きました。僕のことについて語る──って言ってたんですけど、なぜか本番ではちょっとずつ内容が違って(笑)。あ、これは相当気合いが入っているんだなと思いました。一番最初、数ヶ月前に話をした時から「こういう機会を与えてもらえて嬉しい、集まった皆さんに恩返しもしたい」って言ってましたから、相当想いが入ってたんでしょうね。

── トニーさんが“Wild Anthem”を旧バージョンで歌ってて、これが素晴らしかったですね。

柴田:どうせやるなら、そうすればって。

── あの時、僕は初めてBLACK HOLEを観たんですが、この間、柴田さんと高崎さんに対談していただいた時、高崎さんがBLACK HOLEを知ってたのにはびっくりしました。

柴田:「BLACK HOLEの方がANTHEMよりよく知ってる」って言ってましたね。「こっちの方が話ができる」って(笑)。

── それで、この自伝も後半になって来ると「柴田さんはなぜLOUDNESSをやってるんですか?」って言う人がぼちぼち出て来て──その中に僕もいるんですよね。

柴田:僕もいる──というか、アナタは一番先頭でしたけどね。今はなくなった居酒屋で何度も話ししましたね。

── 久武さん(久武頼正/アニメタルのプロデューサー)も言ってたでしょ。

柴田:あの頃は広瀬さんと久武君ですかね。久武君と仕事を始めた頃で、彼といるとその話が出て、広瀬さんと飲んでるとまたその話が出て──って感じでした。

── 誰とやるかが問題であって、やるとかやらないとかって決断は要らない、もう、やるんだからって。

柴田:そう言ってましたよね(笑)。

── やるしかない!っていうか、やるんです!と。選択の余地はない、選択の余地はメンバーだけです!って。要するにヴォーカルでしょ、どっちなんですか?という…だってギターは清水君に決まってるわけですから。

柴田:あの頃の事、思い出しましたよ。本当にこんな感じでしたね(笑)。

── 清水君がきっかけになったっていうのは本当ですか? そんなに彼は酔っぱらっていたんですか?

柴田:もうベロベロで、清水に聞くと、「覚えてない」って言うんですけど、清水曰く、「あの頃の音楽活動は、自分の中で暗黒時期だった」と。ま、僕から見ればそんなことはないと思うんだけれども、あのグラハム・ボネットとの企画のレコーディングを通して、あのライヴが終ってしまうのがイヤでイヤでしょうがなかったそうなんです。僕も初めて見たんですけど、打ち上げでベロンベロンになって、とにかく凄まじいカラミ方だったので。こいつがこれだけ言うっていうのは、本当に自分の音楽人生に於いて、今、楽しんでいるんだなぁ──って。

ANTHEM再結成、そして「今」

── グラハム・ボネットANTHEMがあっての再結成となるわけですけど、グラハムに関してはどうでした? 色々と大変なこともあったとは思いますが。

柴田:でも、本当にハッピーなパーソナリティの人だったので。確かにライヴでは、歌の入る場所は全部僕が顔で合図を出さないと歌ってくれなかったり、タイミングがちょっとズレて、例えば1小節ズレてもバンドがすぐに合わせられるようにする──といったようなことはありました。一番驚いたのはグラハム・ボネットにもプレッシャーがあって、久しぶりに日本に来て、ANTHEMってバンドの曲をやる。もちろん日本でレインボーの曲を歌うのも久しぶりだし──というので、大阪でリハーサルの後ホテルに帰って、しこたま飲んだらしいんです。で、そのあと会場に来た時はかなり酔っていたらしく。彼はあまり顔に出ないんで酔っぱらってるのが分からなかった。そうしたらステージに走って出て来て、そのままステージから落ちて…。それを見た時に、これは大変なことになるぞと思いましたね。残り東京2回、少しでもクォリティの高いものをやらないとマズい。僕がもっともっとグラハムの補佐をしないといけないなと、通訳を入れてグラハムと深刻に打ち合わせをしました。そして、グラハムのヴォーカルがズレたら皆が僕のベースに合わせてくれれば、何小節ズレても戻れるようにして。それで東京の最終日が一番良くなったんです。

── あの頃、相当大変そうでしたからね。

柴田:でも、一生の思い出になりました。

── それはそうですよね、まさか一緒にやることになるとはね。

柴田:グラハムは僕のトップアイドルですから。その人が自分の横で自分が書いた曲を歌っているということだけで、本当に嬉しかったです。それが結果的にANTHEMの再結成につながっているので。まぁ、あの企画がすべてなんじゃないですか。

── 本当にあれは大きなターニング・ポイントだったですね。あれがなければ、一足飛びに再結成というのはちょっと難しかったかもしれないですね。

柴田:再結成してないかもしれませんね。あの時集まったスタッフが、皆ANTHEMを聞いて育った人たちだったというのもあるし。「新宿LOFTの最前列でつぶれてました」っていう人がスタッフにいるというね。だからこのままでは終われない──っていう空気になるんですよ。

── これまではANTHEMの曲をプレイしてなかった柴田さんが、ANTHEMの曲をプレイするようになったというのが。だからまだANTHEMが再結成しているわけでもないのに。僕はBURRN!でANTHEM大特集を組みました、グラハムと関係ないのに英三さんや森川さんまでインタビューして──外堀を埋めていったんですよ。

柴田:埋められましたよね(笑)。とにかく僕だけではそれは出来なかったことです。広瀬さんも含めて、色んな人に本当に感謝しています。

── 皆さん気になっているのは、この本は再結成の所で終っているところだと思うんですが、これは柴田さんからそこまでを書くという話を聞いた時に、まぁそうでしょうと思ったからなんです。まず分量的にスゴい厚さの本になってしまうというのが一つ…。

柴田:再結成以降の方が長いですから、物理的にそれを書き出すことは相当時間がかかるので難しいというのもあるし、でも一番の理由は、まだ現役でやってるということ。今はまだ、再結成以降を振り返るタイミングではないなというのがあったんです。

── ANTHEMの活動は再結成以降、常に「今」の新しい物に取り組んでいて、振り返るのはアニヴァーサリー企画であって、通常ANTHEMは新曲を作り続けている──だったら今の時点で再結成以降を回顧するのはどうかなと。

柴田:もうちょっと後かなって感じだったんです。

── 書くのは物理的にも大変ですし。

柴田:今回の「自伝」の四冊分くらいになるんじゃないでしょうか(笑)。

── それはいずれ書いていただきたいなと思ってるんですけど。今回写真をたくさん提供していただいたんですが、しかし、高校時代の寮生活の反動か、大学に入って都会で一気にパーリーピーポーになってしまうというのには、僕は愕然としましたね(笑)。

柴田:僕も愕然としました(笑)。上京した頃はマクドナルドでも興奮するくらいでしたから。前を通るとあまりにもいい匂いでついつい入ってしまって。僕の行った大学は特に派手な人が多くて、田舎から集まって来た若者がとにかく都会人ぶる感じにあっと言う間に飲み込まれて(笑)。

── 都会の絵の具に染まってしまった(笑)。

柴田:申し訳ないっていうくらいの感じでした。

── しかしギャップが大きすぎて。

柴田:僕もあそこを書いてる最中、自分で情けなくて、「ああ、俺って小さいなぁ」って思いながら書いてたんですけれど(笑)。特に誰かから苦情も出るものでもないので一応書いておこうと。

── いや、包み隠さず書いていただいてよかったです。柴田さんの奥の深さ、「ただ信念の人というわけではないんだ」ということが分かって。

柴田:いや、全然違いますよ(笑)。

── 本当に改心してくれてよかったですね。

柴田:ありがとうございます、まだちょっと改心しきれてない部分もありますけど(笑)。

── 今年もここまで色々ありましたが、今、レコーディングされてるということで。

柴田:英語ヴァージョンのベスト盤を作ってます。今まで録ったオケは大人の事情により使えないので、演奏も全部一から録り直しているので相当時間がかかるんです。歌だけ英語にしてっていうのだったら簡単なんですけど──。違う曲にしようというのではなく、アレンジとかはほとんど変えていませんが、今の感覚でプレイしているのと、森川が週に3〜4回、本当に抱き締めたくなる程一生懸命英語で歌ってくれてます。つい昨日やった曲は九割くらい録れたんですけど、軍隊コーラスのあるやつで、僕も声がガラガラです。発売日も決定したらしいんですが、現状どこまで言えるのか分からないので──。

── それはヨーロッパということですか?

柴田:ヨーロッパと日本で同時発売になるらしいです。当然ヨーロッパで発売になるとヨーロッパ・ツアーという話があるのかもしれませんが、来年とかではなくそれはもう少し先になるかもしれませんね。今年冒頭に言ったように、「今年はチャレンジの年だ」ということで、ここまで足掛け19年くらいやってきたANTHEMのシステムを抜本的に変えて、現代に合ったCD制作やコンサート制作が出来るように、去年の秋からとことん変えていってるところです。改めて、きちっと「こういう風にANTHEMの活動と中身が変わります」というのをアナウンスできるように頑張ります。とはいえ日本をベースに活動というのは変わらずに、徹底的に精力的に活動していこうと思っています。

── 後書きにもありますけど、このCDが『ニュークリア・ブラスト(Nuclear Blast/ドイツに本拠地を置くインディ・レコードレーベル。メタル専門レーベルとしては最大規模のレーベルの一つ)』から出るということは相当大きな事ですよね、ただ海外で出すというのとは違って。

柴田:ドイツのヘヴィ・メタル専門レーベルで、日本人は初めてってことらしいんです。でもアドヴァンテージがあるわけではなく、向こうで活動しているバンドと同じ土俵に上がるということで、『ニュークリア・ブラスト』は一番挑み甲斐のある所だと思うので。自分たちもとても楽しみにしています。

── 海外でCDを出すだけだったらそれほど大変なことじゃないんですけど、例えば80年代のLOUDNESSは『アトランティック』という大手と契約した事が大きかったわけで、ANTHEMが『ニュークリア・ブラスト』から出すというのは、来年以降の活動の大きさが感じられて凄いなと思いました。

柴田:ちなみに色々なレーベルに対してANTHEMはこういうバンドだって紹介するために、“Venom Strike”の英語ヴォージョンのデモ・テープを作り持って行ったんです。それを各会議でかけたら、ほとんどのレーベルが手を挙げてくれたそうですけど、一番最初に手を挙げてくれたのが『ニュークリア・ブラスト』で、もう問答無用でここ決まりました。これは確かに凄いことなんですが、僕らがやる事は特に変わらないので。

── もちろん日本のファンをベースにした活動を続けて行く。

柴田:それは変わりませんよ。

── 英語盤の選曲にはヨーロッパのリスナーってことを意識されました?

柴田:最初は意識しようかなと思ってたんですけど、広瀬さんも含め色んな人と話した結果、「ANTHEMのやりたい曲をやればいい」ということになったので、今のメンバーだとこれを選ぶだろうな──という曲を選んで収録しています。

── やり方としてはそれはベストですよね。これまで出ている日本語のANTHEMのレコードを聴いてANTHEMが好きだっていう海外の人達もいっぱいいるわけで、彼らはANTHEMらしさが好きなんですよね。

柴田:ヨーロッパ風にとか思っても出来ないですね(笑)。ANTHEMはいつもANTHEMでいい、と僕も思います。

── レコーディング作業は今、どんな…?

柴田:完全にレコーディング作業が終るのが100%だとすると、今は60〜70%ですかね。

── で、色々なことを今変えてる最中だ──というのは来年になると分かってくるんですかね。

柴田:そうですね、今年この後も色んな事を口にすると思いますけど、まだ遊びますか!?って事もあったりして、それはお楽しみにしていただきたいです。CD制作からコンサート制作まで今の時代に更にパワーを放出出来るように色々組み替えている所なので。

── いい所は残しつつ、時代に適応していかなければならない。

柴田:適応できなくていなくなる人たちも多分いるんだと思います──というくらいこの業界は変わって来てます。

── そうなんですよ、本当に。だから柴田さんの決断は正しいと思います。

柴田:とにかく、僕らはベストを尽くします。

── 頑張ってください。ということで、この後はサイン会ということになります。ありがとうございました。

柴田:ありがとうございました。(場内大拍手)

この後、サイン会が行なわれた。

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    【CONTENTS】
    第一章 アンセム前史
    第二章 運命の出会い
    第三章 栄光から解散へ
    第四章 再出発

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