『楽な読書』刊行記念 古屋美登里さんトークショーが、3月21日紀伊國屋書店新宿本店に於いて開催された。ゲストに迎えたのは書評家の豊﨑由美さん。お二人は古屋さんの前著『雑な読書』の巻末で対談を行った間柄。そのあまりの面白さに、今回はライヴでのトークとなった。

本当のプロの目利きストが、これは!って 薦めた本は読まなきゃいけないんですよ

豊﨑由美(以下豊﨑):ありがたいですね、雪の中集まっていただいて(当日はお彼岸なのに雪という天候だった)、私も来たくなかったです(笑)。

古屋美登里(以下古屋)
:ありがとうございます。

豊﨑:私は『雑な読書』の巻末の対談相手に指名していただいたんですけど、今回の『楽な読書』もすごく楽しかったです。対談部分で、杉江松恋さんとは突っ込んだ書評論が展開されていて、広瀬さん(BURRN!誌編集長)とは、そもそもなぜBURRN!というヘビメタ雑誌で連載が始まったのかという若き日のエピソードが伺えて楽しかった。『雑な読書』が2004年の9月号くらいまでの分の収録ですよね、今回はそれ以降でギリギリ新しい所まで入れておられるということもあるのかもしれないですけど、読んでいて思ったのが出版業界に対する憂いが頻繁に出て来るな、と。いい本が売れないからとか言って出してもらえない──とか。

古屋:素直な感想が入ってますね。

豊﨑:かなり書いてるなぁ〜と思って。

古屋:連載を始めた24年前の雰囲気と今を比べたら、出版社はもちろんですけど、書店の様子とか、本を読んでいる人の様子とかどんどん変わっているのを目の当たりにしているので、企画を通すために出版社に行って説明してたりするのが20〜30年前とは大分違うなというのは身に沁みてわかるわけです。出版社の余裕がないっていうのは読者の余裕もどんどんなくなっている──という感じはしてますから、書評というものがどんな風な働きを持っているのかな、というのもすごく考えたりしますよね。

豊﨑:(『楽な読書』掲載の)堀江敏幸さんの『未見坂』の所に「いまどのような小説が日本文学をリードしているのか、わたしにはよくわからない。日本には文学賞と名のつくものが数えきれないほどあって…中略…何年か前に日本で一番有名な文学賞を取った作品を読んで、世も末だと思ったことがある…」とあるんですが、雪の中いらしてくれたみなさんに何の本だったか教えてあげましょうよ(笑)。(場内爆笑)

古屋:恥ずかしいことに忘れてるんだよね。

豊﨑:えぇ〜?これ直木賞ですか?直木賞を取った本なんか読みます?

古屋:この頃は読んでいたかもしれないですね。

豊﨑:杉江さんも今回の巻末の対談で指摘されてますけど、古屋さんは書評に1,800字貰えてるんですよね。私ももちろん書評を書くのでこれは羨ましい。しかも1,800字あっても普通3冊紹介しろとか言われるんですけど、これは1冊でいいじゃないですか、それもあって文に“マクラ”があるんです。これは古屋さんの書評の特色の一つかなと思うんです。やっぱりマクラは苦心されるんでしょう?

古屋:最初の『雑な読書』の頃はそうでした。文字量があったのでどういう風にもっていくのか──とマクラを考えたりしてました。この『楽な読書』はちょっと短くなって1,300字くらいなので。

豊﨑:それでもマクラはやってますよね、スティーグ・ラーソンの『ミレニアム』を紹介するときも腰痛から入ってそれが半分くらいある(笑)。

古屋:もうこの書評が生活と引き離せないようになってるんですね(笑)。だから日常と地続きの所で書き始めちゃうってのがあるのかもしれません。

豊﨑:でも羨ましいなぁって思うんです。私も書くときは最初は自分のためだけに好きなように書くんです。当然長くなっちゃう、そこから規定枚数に削っていくんですけど、雑誌のライターをやってたせいか最初に削るのがマクラだったりするんです、面白い原稿になったのになぁ…って思いながら。でも古屋さんはそんな状況でもマクラは削らないなぁって思うんです。それくらいマクラに力が入ってるな、逆に他のを削って行くうちにマクラに磨きをかけてるんじゃないかって(笑)。

古屋:確かに、マクラ、削りませんね。10行を8行にすることはあっても、それを全部カットしていきなり本文に入るってことはあんまりないですね。

豊﨑:そうですよね、あと、一応紹介文になってるんだけど、その全部がマクラっていうぐらいのもありますよね。例えばエドワード・ケアリーのシリーズとか、落語家がやってるという体になっていて(ここで豊﨑さんは『堆塵館』の書評を朗読)、これでしょうがないから次の『穢れの町』『肺都』も同じ形でやらないといけなくなって。

古屋:だって恥ずかしいじゃないですか、自分が訳した物を出すのは。だからなんか客観的にいけたらいいなって思って。落語も好きなので、やったはいいんですけど、『穢れの町』を取り上げたとき全然違う文体で書き出したら、これは統一感がないな…と思って、やっぱり噺家さんにお願いしようと。でも三作目の『肺都』になるとこっちもゼイゼイしてくるんです、無理な文体でやってるのがわかってるから。だからすごい大変でしたね。

豊﨑:私、書評講座というのを12〜3年やっていて、そこでは“何を書いてもいい”って言ってるんですね。その中に<なりきり書評>っていうのがあって、行方昭夫さんの編訳の『たいした問題じゃないが──イギリス・コラム傑作選』は英国に住んでる、日本に批判的なちょっとイヤッタラしいおばさんになりきってますよね。これ、英国で若干お金持ち的な生活をしている、カタカナが入った名前の女の人が、“イギリスと比べると日本はここがどうで…”っていうののパロディでしょ。それはいいんだけど、これは弱点があるなって思ったのは、この人ちょっとヤな感じなので、この本『たいした問題〜』はあんまり読みたくないなって(笑)。これが提出されたら逆選ですね(笑)。俳句では逆選は否定的なことが多いんですが、書評講座ではどこにも掲載はされないだろうけど、読み物として面白い場合に逆をつけたりするんです。

古屋:書評される本にとっては親切じゃない(笑)。

豊﨑:古屋さんの『雑な読書』『楽な読書』二冊を読ませていただいて、自分と似てる所もあるし、全然違うなって所も結構あるんです。それは当然で、そんな酔狂な人は世の中にはないと思うんですけど、同じ本を書評しているのを読み比べる──というのは書評家にとってはスリリングで。だからそれをやるのも面白いなと思ったんですね。せっかくだから、私も『楽な読書』に掲載されている本は書評を書いているのでいくつかお互いが読んで、こんな風に違うというのをみなさんにわかっていただこうと。これは結構ガチな企画じゃないかなと(笑)。拍手の数で競ったりはしません、それほどハートは強くないんで。

古屋:だって豊﨑さんはプロだし。

豊﨑:何言ってるんですか、書評集出したらプロでしょう(笑)。

古屋:二冊しか出してないから(笑)。

豊﨑:じゃ、まず古屋さんのフリオ・リャマサーレスの『黄色い雨』が最初に紹介されているので、古屋さんからお願いします。

───古屋さんフリオ・リャマサーレス『黄色い雨』の書評を朗読──

───豊﨑さんフリオ・リャマサーレス『黄色い雨』の書評を朗読──

豊﨑:ここで共通してるのは、ソニー・マガジンズを褒めてるということ(笑)。一番違うのが、この本の語り手が死者であることを私は明かしている──ということですね。古屋さんは明かさない。この原稿を書くときにどういう書評にしようと思ったのですか?

古屋:私、翻訳家なので、翻訳をしている木村榮一さんの気持ちにかなり寄り添ってるかな──って今、読みながら思いました。こういう小説をピックアップして訳すという行為を、読みながらなぞっている部分があるんですね。

豊﨑:しかも、その大変さをよく知っている。

古屋:これを出すときに、おそらく新潮社に断られ、白水社に断られ、そうやってソニー・マガジンズに行ったんだなぁっていうのがわかってくると、褒めたくなるんですソニーマガよく出した!って。

豊﨑:当時は、面白い小説なら出すっていう編集者が一人いたんですよね。

古屋:だからそういう意味で、海外文学の中でスペイン語であるということと、タイトルの『黄色い雨』にすごく惹かれました。今、書評を聞いていて、豊﨑さんはすごく内容に入っていって、この作品の意味とか、作家の方にもすごく寄ってますよね。スタンスもそうだけど、見ている世界が広いなって思いました。広い所から中心に向かって読んでらっしゃる。

豊﨑:広いっていうか、結局は私は読者なんですね。語学ができないし、原文に接することは到底できない。だから古屋さんたち翻訳家の皆さんのお陰で、面白い本を読ませていただいてるわけで、一般の読者の方と同じなんですね。それがどういうことかというと、今古屋さんが仰った<広い視野>だと思うんですね。

古屋:う〜ん、私は逆に、自分の読み方はこの作品にしかスポットを当ててないんですよ。豊﨑さんは今までたくさん色んなものを読んでいる中からこのリャマサーレスを見てる。だからこれを読んだ方はそこに引用されている様々な作品や作家の名前も、あ、面白そうだなって思うじゃないですか。

豊﨑:でも、『黄色い雨』ではやってらっしゃらないけど、他の本では古屋さんもやってらっしゃいますよ。

古屋:でも、そんなに沢山じゃないでしょ。

豊﨑:古屋さんと私が大変偉かったのは、フリオ・リャマサーレスの『黄色い雨』が出たときすぐに読んでることですよね。これが目利きってことなんですよ。この後リャマサーレスは翻訳が続いていくんです、『狼たちの月』とかそのどれもが素晴らしい散文詩のように美しい小説で。で、この『楽な読書』で古屋さんが紹介されてる閻連科という中国の作家の『年月日』というのがあって。その書評の中に『黄色い雨』が出てくるんです。驚異的な日照りが続いて村人がいなくなる──という所とかちょっと共通していて、おじいさんがたった一匹の犬と一緒にトウモロコシの苗1本を守るために戦うという内容で、ちょっと寓話的で散文的。リャマサーレスも木村さんの訳を読んでいる限りにおいて詩なんです。

古屋:文章が5〜6行毎に改行されているんですけど、それをずっと読んでると、それ自体が雨のように思えるんです。

豊﨑:字面が雨のように!うんうんうん。グッジョブ!

古屋:ありがとう(笑)、それで、豊﨑さんも冒頭部のところをお書きになったんだなぁと。これすごく印象的な書き出しですよね。

豊﨑:ツカミはOKってやつなんですよね。そして、なぜ、“〜〜だろう”という推量体で私は物語るんだろう──というのがすごく面白くて。

古屋:さっきの閻連科の話も豊﨑さんとどこかでお目にかかって飲んだときに、“古屋さん、絶対に読まなきゃいけないのは閻連科!”って散々言われて(笑)、翌日買って読んだんです。

豊﨑:もう折伏ですよね。洗脳(笑)。

古屋:耳元で“閻連科!”(笑)、でも本当に読んでよかった。つまり本当のプロの目利きストが、これは!って薦めたのは読まなきゃいけないんですよ。莫言も私は豊﨑さんに啓蒙されたんですよ。銀座の旭屋書店の前で会ったときに、“莫言、莫言”って憑かれたように言ってました。

豊﨑:たぶん『酒国』を読んだんでしょうね。

古屋:私はその後、『白檀の刑』を読んで。

豊﨑:すごいですよね、ポリフォニックな作家ですよね。

古屋:中国の作品ってなんとなく手に取りにくいものって感じがあるんだけど、いやもう本当に面白いですよ。閻連科も莫言も。豊﨑さんに感謝です。英語をやっているので、読む物がヨーロッパ系とかアメリカ系に偏りがちなんですよ、それは良くないなと思ってます。

豊﨑:ずっと若い女性向けに書評を書き続けてきて、なんで私が生き残れているかっていうと、海外の主流小説を紹介する人があまりいなかったんです。ミステリーとかSFとかジャンルを紹介する人は大勢いたけど。で、当時は英米文学にフランスがちょっと入って来るぐらいでかなり偏ってましたよね。そこから時代を経て編集者と翻訳者が育ってきて、他の国にもいいものはある──となって。タイのラッタウットラープ・チャルーンサップ君の『観光』とか若手の作家を訳してくださったじゃないですか。

古屋:彼は英語で書いてます。

豊﨑:新潮社のクレスト・ブックスが創刊されて、そこからインドの作家とかも出してくれるようになってきたりして。だから私もあるときから、英米以外の国の作品を一生懸命紹介しなきゃダメだなって思ったんです。今、うれしいのが斎藤真理子さんが一生懸命訳してくださってるから韓国の素晴らしい現代文学がいっぱい出てきてるでしょ。だからそれは応援しなきゃダメだな、『観光』も紹介しなきゃと。

古屋:実際に英米以外の作家の方がヴィヴィッドな世界観を持ってたりするんですよ。イギリスの『GRANTA』っていう文芸誌にはイギリスの作家はほとんど載ってなくて、イスラム圏、アフリカ、中近東から来てる若い作家たちをちゃんと載せてるんです。今はまだ売れてないし名前もないけど、あと10年くらいしたら賞を取るような人たちを。

豊﨑:今、ハイブリッド系、移民系の素晴らしい作家が溢れていて。英米の作品で描かれている世界観や常識や習慣とかには驚くことはそんなに多くはないんですよ。この間白水社から出てるシリア文学の重鎮の『酸っぱいブドウ/はりねずみ』を読んだんですけど、最初のうちまったく入っていけなくて、でもどんどん読んでいって本と自分のチューニングが合ってくるとすごく面白くなって。これはほんの一端に過ぎないけど、シリアっていう内戦で大勢の人が亡くなって移民問題も抱えてる国の日常、内戦前の日常を知るのはノンフィクションもいいけど小説もいいよねって思うんですよ。

古屋:ノンフィクションは見たこと聞いたことの事実で成り立ってるわけだけども、小説はそこから一段も二段も上の世界を想像によって作っていくから、より人間的になっていくわけですよ。

豊﨑:深いというか、事実に束縛されない分、今、“上に”って仰ったけど、私は“下に”って思うんです、無意識の方に。起きていることとか習慣とかは日本と随分違うなって思うんだけど、読んでいくと底の底の部分はもう同じ人間なんだなということに辿り着ける。え〜と、せっかくだからもうひとつ読んでみたいと思うんですけど、カルロス・バルマセーダが書いた『ブエノスアイレス食堂』。これもスペイン語圏ですね。じゃあこれをお願いします。

───古屋さんカルロス・バルマセーダ『ブエノスアイレス食堂』の書評を朗読──

豊﨑:じゃ、次、豊﨑ヴァージョンいきます。これは「本の雑誌」に連載したものをまとめたものです。

───豊﨑さんカルロス・バルマセーダ『ブエノスアイレス食堂』の書評を朗読──

豊﨑:最初に古屋さんの書評を聞いていて、次に自分の紹介のしかたを読んでて反省したのが、やっぱりくどいなと思いました。

古屋:私は逆で、豊﨑さんのはすごくきちんと一つ一つ丁寧に内容を伝えようとしてて。私のはザザってやってるんですけど

豊﨑:書評講座をやっていても、色々意見が出てくるんですけど、粗筋が好きな人と、粗筋は読みたくないっていう人がいて。粗筋なんかできたらひとつも書かないで欲しいって言うんですけど、じゃあ書評を読むなよ!って。でも、私は書きたがりなんですよね。なんでこの書評で粗筋を書くことを自分に許したかっていうと、まだ本当に半分なのにそんなことがあるのか──まだまだ半分以上残ってる──からで。

古屋:『ブエノスアイレス食堂』の驚きっていうのは、この少年に辿り着くまでもすごく長いんだけど、この少年がコックになってからのとんでもない行為っていうのがとても美しく描かれてる所なんですよね。

豊﨑:「おええ〜〜」なんだか「うまぁ〜〜」なんだかわからない。

古屋:食べてみたくなるじゃないですか。

豊﨑:危険なんですけど。で、ふたりが共通しているのが、冒頭の所を引用していて。この『雑な読書』のときは古屋さんは1,800字くらい書かせてもらってるのが、『楽な読書』は1,300字くらいに短くなっていて。私が書いた『本の雑誌』は1,600字近く書かせてもらったんですよ。だからその違いもあるんですよね。私は字数に余裕があるから粗筋がここまで書けて、古屋さんは字数が少ない分粗筋を端折らないといけない。

古屋:でもこの冒頭を何行も引用しているっていうのはよっぽど気に入ったんですね。

豊﨑:1,300字というそんなに長くない字数の中で、この引用部は破格ですものね。

古屋:初めての作家だというのと、文学なのに物語の展開の仕方が推理小説のように面白い。訳者の柳原さんはその後に知り合ったんですけど、この方はスペイン文学、ラテン・アメリカの文学に対して大変様々な知識を持ってらっしゃって。また、それまでのスペイン語訳者に対しての大変な不満もおありになって、それを聞けたのはとても勉強になりました。

豊﨑:翻訳者の中にも、御大、若手、超若手といろいろ生臭い話はありますよね。でも、こうやって古屋さんの本を読んでると、私が書評したのと同じ本もあって、同じ小説を面白いと思ったんだなぁ──ってうれしくなったり。あ、例えば古屋さんは筒井康隆の『巨船ベラス・レトラス』を褒めてらっしゃるんだけど、私はTVBrosの連載をまとめた『正直書評』という本で、三ランクの一番下「鉄の斧」(古本屋で売っていても読むな)を付けたんだよね。

古屋:でも、私、本当に褒めてる?「その昔の筒井康隆の威勢はすごかった〜」って始まるわけでしょ、それに比べて今は〜って普通は来るでしょ(笑)。

豊﨑:「まぁだいぶ勢いがなくなったなぁと感じたものの、それでも今の文学界の憂うべき状況をこのようなポストモダンなスタイルで描いたことは、さすが筒井である」という褒め方ですね。私はひとつも褒めてないです、「筒井康隆、老いたり!」って感じで。

古屋:それは、しょうがないかもしれませんね。

豊﨑:さっきも言いましたけど、そんな酔狂な人はいないと思いますけど、書評本をいくつか買って、重なっているのを捜して読むというのも面白いですよね。同じ物でも全然違う捉え方をしていたり、読み方が違っていたりして。

古屋:小説の中の何を見てるか──ですものね。

豊﨑:粗筋って学校教育の中で「要約しなさい〜」というのを思い出すから、子供でもできると思ってらっしゃるかもしれないですけど、私は持論があって、<要約、粗筋こそが書評の華>だと思ってるんです。なぜかと言ったら、一冊の本の書評を書くときに、当然800字や1,200字ではその全部のことなんか書けないんですよ。だからどこかをピックアップするわけで、どこかを端折り、どこかを隠す。例えばさっきの『黄色い雨』では、私はこの主人公は死者だと明かし、古屋さんは隠した。何を選択するのか、そこがもう批評行為、読解なんです。そういった持論があるもんですから、つい粗筋にこだわりを見せてしまいがちなんですね。それと比べると古屋さんの書評は<読み物としての面白さ>に重点を置いてらっしゃいますね。だから『楽な読書』は一篇が短くなったから前振りが少ないですけど、『雑な読書』はかなりマクラが長かったりとか。だって2/3がマクラのときもありましたよね。

古屋:そうそう。

豊﨑:でも、その文章が面白いからこの本を読んでみよう──となる書評のパターンもあるんですよ。こういう風に長年お付き合いをしていて書評のことを話したり、翻訳書を読ませていただいたりしてますけど、書評は同じ所もあれば違う所もあるんだなと思います。

古屋:でも、本当にBURRN!に連載していてありがたいと思うのは、なんら制約がなかったということと、なんと倉橋由美子で一章作ってしまって。

豊﨑:そうなんですよ、この倉橋・愛たるや、ビックリしますよ、しかも同じ小説『夢の浮橋』を2回書評してますよね(笑)。

古屋:そうなの、これはもう書評の歴史上初めてだと思いますよ。そういう意味でも素晴らしい記念になるのでは、と。「倉橋由美子とわたし」という一文を入れたのは、江藤淳から始まる「◎◎とわたし」のパロディをやってみたんです。

豊﨑:愛する倉橋由美子さんの天敵である江藤淳の本歌取をして。

古屋:逆に、そこに倉橋由美子が入る──という。

豊﨑:で、その中で倉橋由美子が論争に勝ったことを奇麗に書いて。

古屋:もういろんな気持ちが入って。この一章だけでもいいんじゃないかなって思いますよ。

豊﨑:第四章、素晴らしいですよね。あと、二つの特別対談も本当に面白いです。勉強になります。書評講座をやっていてなぜゲストをお招きするかというと、私の書評観だけだと歪でしょ──というのがあって。古屋さんには古屋さんの、杉江さんには杉江さんの書評観があるから、そういう色んな書評観を受講生の皆さんに知っていただきたい。そこで自分の好きなものを真似したり採用したりアレンジしたりしてくれればいいなと思ってます。

古屋:では、そろそろ時間なんですけど、ちょっと最後にいいですか、今訳しているのが、カール・ホフマンの『Savage Harvest』。どういう話かというと、1961年に大富豪ロックフェラーの息子が行方不明になったというニュースが世界中を駆け巡ったことがあって、それを調べるジャーナリストが行方不明になったニューギニアへ出向くんですね。でもそこは当時首狩りや食人も行われていたらしいという文化の所で、ジャーナリストは過去と現在を行ったり来たりしながら、自分も首狩り族の中でロックフェラーの死に迫るというノンフィクションなんです。今年出るといいですね。この本は2014年に出てしばらく放置されていた本です。それともう一冊あって、イーディス・パールマンの最新の短編集『Honey dew』。これは素晴らしい小説がたくさん入ってるのに、どこも出してくれようとはしないので、私が今、一生懸命運動をしつつ色んな所に話を持っていってる最中です。以前私の訳した『双眼鏡からの眺め』というのは収められている30数編すべてが素晴らしかったんですけど、その上を行くような作品で、イーディス・パールマンって最強の作家だなって思わせるものです。

豊﨑:私、イーディス・パールマンっていうと、アイルランドのウィリアム・トレヴァーを思い出すんです、それくらい上手い作家ですよね。ウィリアム・トレヴァーは結局ノーベル文学賞を取れずに一昨年亡くなってしまって。女ではイーディス・パールマン、男ではウィリアム・トレヴァーっていうくらい。

古屋:<短編の作品の書き方の何か>というのをわかってるんですよね。

豊﨑:小説を書きたいと思ってる人はイーディス・パールマンとウィリアム・トレヴァーは絶対読んだ方がいい!そして一つ一つ分析した方がいい。なぜこの一文がここにあるのか──というのが素晴らしいですよね。

古屋:訳す方もものすごく神経を使うし、この単語がどういう意味なのか最後になってわかる──そういうのも入ってるんですよ。もう何編か訳したんですけど、こんなに凄いのがあるのに誰にも言えないのがあって。それと、エドワード・ケアリーの次の作品『Little』がもうデータで来ちゃって、470頁なんですけど、150頁まで読んで、もうそっちの方にも行きたくてしょうがない状態でいます。

豊﨑:いいですね。『Little』も、ケアリーの作品を誰よりも読み込んでいる古屋さんが編集者になり代わって細かい所や事実関係とかチェックした方がいいですよ。という所で、今日はありがとうございました。

古屋:ありがとうございました。

このあとサイン会が行われた。

『楽な読書』 のご案内

  • 楽な読書
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  • BURRN!叢書 18
    楽な読書

    B6判 / 304ページ / ¥ 1,650

    BURRN!で連載中の書評の書籍化第2弾!
    至福の知の世界へと誘う痛快エッセイ、再び!

    BURRN!に24年に亘って連載している翻訳家・古屋美登里氏による書評エッセイの単行本化、第2弾。
    初期10年間から50本のコラムを厳選した第1弾『雑な読書』(2017年1月刊行)に続き、今回は連載11年目で誌面デザインが変更された2004年以降のコラムのなかから68本を収録。「海外のフィクション」「日本のフィクション」「ノンフィクション」と章を分け、さまざまな本を紹介している。
    また、著者が敬愛し、公私にわたって深い親交を結んだ作家・倉橋由美子の作品を取り上げたコラムを特集する章を設け、著者と作家の関わりを語る書き下ろしエッセイも収録!

    豊富な読書量に裏打ちされた選書眼と翻訳家ならではの「共感力」、さらに言葉のプロとして磨き上げてきた文章のセンスとユーモア溢れる人柄によって紡がれるエッセイは、それ自体が面白い読み物として楽しめるものばかりで、読者に新たな読書体験を促すこと必至!

    特別対談として、『雑な読書』の刊行を記念して2017年2月に行なったトークイベント2本(ゲスト:書評家・杉江松恋氏/広瀬和生BURRN!編集長)の模様を誌上再現!

    【CONTENTS】
    第一章〈海外のフィクション〉
    01 フリオ・リャマサーレス『黄色い雨』
    02 ジョン・スタインベック『エデンの東』
    03 アリス・マンロー『イラクサ』
    04 レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』
    05 コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』
    06 ジャック・ロンドン『火を熾す』
    07 スティーグ・ラーソン『ミレニアム1』
    08 ドン・ウィンズロウ『犬の力』
    09 ヘルタ・ミュラー『狙われたキツネ』
    10 アラン・ベネット『やんごとなき読者』
    11 ジョン・ハート『ラスト・チャイルド』
    12 ウェルズ・タワー『奪いつくされ、焼き尽くされ』
    13 マルセル・プルースト『失われた時を求めて』
    14 キャロル・オコンネル『愛おしい骨』
    15 マイケル・コックス『夜の真義を』
    16 カルロス・バルマセーダ『ブエノスアイレス食堂』
    17 ローラン・ビネ『HHhH プラハ、1942年』
    18 オルガ・トカチュク『逃亡派』
    19 フェルディナント・フォン・シーラッハ『カールの降誕祭』
    20 閻 連科『年月日』
    21 エドワード・ケアリー『堆塵館』
    22 エドワード・ケアリー『穢れの町』
    23 エドワード・ケアリー『肺都』

    第二章〈日本海外のフィクション〉
    24 浦沢直樹『20世紀少年』
    25 宇月原晴明『安徳天皇漂海記』
    26 川上弘美『真鶴』
    27 筒井康隆『巨船ベラス・レトラス』
    28 佐藤亜紀『ミノタウロス』
    29 桜庭一樹『私の男』
    30 広瀬 正『マイナス・ゼロ』
    31 堀江敏幸『未見坂』
    32 佐藤多佳子『一瞬の風になれ』
    33 皆川博子『開かせていただき光栄です』
    34 深緑野分『戦場のコックたち』
    35 羽海野チカ『3月のライオン』
    36 小川洋子『不時着する流星たち』

    第三章〈ノンフィクション〉
    37 斎藤美奈子『物は言いよう』
    38 トム・マシュラー『パブリッシャー:出版に恋をした男』
    39 内田 樹『下流志向』
    40 雨宮処凛『生きさせろ! 難民化する若者たち』
    41 武藤康史『文学鶴亀』
    42 水村美苗『日本語が亡びるとき』
    43 中村保男・編『英和翻訳表現辞典[基本表現・文法編]』
    44 池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』
    45 行方昭夫・編訳『たいした問題じゃないが』
    46 四方田犬彦、石井睦美『再会と別離』
    47 栗田明子『海の向こうに本を届ける』
    48 最相葉月『セラピスト』
    49 ロジーナ・ハンソン『おだまり、ローズ』
    50 岩出克人『経済学の宇宙』
    51 スベトラーナ・アレクシエービッチ『チェルノブイリの祈り』
    52 内田洋子『イタリアからイタリアへ』
    53 清水 潔『殺人犯はそこにいる』
    54 池内 紀『旅の食卓』
    55 ブレイディみかこ『子どもたちの階級闘争』

    第四章〈倉橋由美子〉
    【倉橋由美子とわたし】
    56 『パルタイ』
    57 『偏愛文学館』
    58 『聖少女』
    59 『スミヤキストQの冒険』
    60 『酔郷譚』
    61 『暗い旅』
    62 『蛇 愛の陰画』
    63 『夢の浮橋』
    64 『大人のための残酷童話』
    65 『完本・酔郷譚』

    【倉橋没後十年によせて】
    66 『最後の祝宴』
    67 『夢の浮橋』

    【倉橋由美子・作品一覧】

    巻末付録〈特別対談〉
    一、杉江松恋(書評家)× 古屋美登里
    二、古屋美登里×広瀬和生(BURRN!編集長)

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