3人の音楽評論家が2時間超に及び語ったジャズ〜アメリカン・ミュージックの歴史。

2017年9月16日四谷のジャズ喫茶 いーぐるに於いて「あなたの聴き方を変えるジャズ史」の発売日に、著者、村井康司氏が原雅明氏と高橋健太郎氏をゲストに招いて、アメリカの音楽を聞きながらそれについて語っていくというイヴェントが開催され、2時間を超える深く滋味溢れる鼎談となった。

村井:今日は「あなたの聴き方を変えるジャズ史」の発売日なんですが、私の大好きな音楽批評家の方お二人をお呼びして、この本の話というよりはアメリカ音楽の音を聞きながら話していきたいと思います。今日のゲストをご紹介します原雅明さんと高橋健太郎さんです。(場内拍手)。この本はJazz Japanという雑誌で6年ほど連載していたものと、ジャズ・ヴォーカル・コレクションという隔週刊の雑誌でヴォーカルの話を1年間連載したものに書き足した物を加えたものです。中身としてはジャズの歴史なんですけど、狭い意味だけのジャズだけじゃなくてその周辺の色々なアメリカのことを書きました。第一部の「ジャズが生まれるまで」から、「ジャズって何」まで全六部ほぼ時代順になっています。で、最後が420枚分のCD紹介という文字の固まりみたいな本です。二人にはゲラを読んでいただいたんですけど、高橋さんどうでした?

高橋:最高でした。ジャズだけじゃなくアメリカン・ミュージックの歴史を過不足なく、かなり厚い本なんですけど、よくこの中にちゃんと落とし込んだのが凄いなと、それでいて細部もおもしろかったです。バディ・ボールデンのくだりとか最高でしたね。彼はニューオリンズのジャズの創始者と言われてるんですが、音源は一切残ってなくて、どういう音楽をやっていたかというのは未だに謎なんです。それを村井さんがバディ・ボールデンの霊を呼び起こして会話するというパートがあって、途中ウィントン・マルサリスの「Buddy Bolden Blues」を聞かせるとバディが寝ちゃう(笑)。あそこは爆笑しましたね。
 あ、そうだデューク・エリントンの『Drum is a Womanドラム・イズ・ア・ウーマン』というアルバムがあって、その中に「Hey Buddy Bolden」っていう曲があって、デューク・エリントンも同じようなことをやってるんですよ。エリントンはジャズの創始者と言われているバリー・ボールデンが本当はどういう音楽をやっていたかというのをずっ〜とリサーチしてて、音源がないから最終的にはわからないんだけれども、どうもこういうものだというものをデューク・エリントンが考えたものを曲にしていて。それがすごいラテンの音楽なんですね。それでクラーク・テリーかな、メンバーが“バリー・ボールデンの聞いたことがなかったから、どうやって吹いていいかわからない”ってエリントンに言ったら、 “とにかくディミニッシュを吹け”と言われたという。

村井:おお、いいですね。

高橋:たぶんデューク・エリントンはバリー・ボールデンの音楽にディミニッシュの要素があると考えていたんでしょうね。そんなことも思い起こして、ともあれ(笑)最高でした。

村井:原さんはいかがでした?

:量が多くて、ディスクガイドの多さもすごい。僕もディスクガイドの原稿を頼まれるんですけど、この数を一人で書いたというのは凄いですね。

村井:ま、6年間かかったからね。

:ジャズは一つの様式だけじゃないという当たり前のことなんですけど、それをちゃんと俯瞰して書いてあるのが素晴らしいと思いました。それと本自体がいろんな所にアクセスできて、ここからさらに色々とつながっていくような作りがあって。

村井:最初はジャズの歴史をなるべく分かりやすく楽しくいうことで、枚数は毎回400字10枚くらいの量で、自分がインスト音楽が好きだったので最初の方はインスト・ジャズの話を書いてたんです。そこでたまたまジャズ・ヴォーカル・コレクションの連載の話があったので、どうせやるなら今やっているジャズの歴史とくっつけるのがいいかなと、ジャズ以外の、ジャズ以前のアメリカの歌の音楽を全体26回中10回くらい書いちゃったんです。それでこの本の中身がずいぶん変わりました。もっとジャズに特化した本になるかと思ったら、結果としてブルースやカントリーというところも広がっていって。で、というわけで今日は私の本についていろいろ喋るというよりは、せっかくこのお二方に来ていただいてるので、この本をきっかけにそれぞれが音楽をかけながら話を発展させていただければと思います。最初は原雅明さんのコーナーということでお願いします。

:お二人の音源ははかなり古い方の時代になると思いますので、僕は敢えて新しい方、80年代以降の音源を選んできました。この本の中で村井さんも触れられてるんですけど、ジャズっていうのは聞いている人の共感で発展してきたと思うんです。ただその“ジャズを分かってる感”というのがあってみんなが共感できたのは60年代くらいまでじゃないかなという気がしていて。70年代に入ると、フュージョンが出てきたりとか、一方でフリー・ジャズがあったり、ロックやファンクの影響とかも強くて、だんだん“ジャズを分かってる感”が基盤にならなくなった気がします。個人的な話になるんですけど、僕が意識してジャズを聞くようになったのは80年代に入ってからで、マイルスが復活してきた時期も聞いてはいたんですけどあんまりピンとこなかったんです。一方ではヒップホップとか出てきていて、ラウンジ・リザーズとか、圧倒的にそっちの連中の方がカッコいいなって思えた。フュージョンとかも同時代なんですけどそれもあまりピンとこなくて。ま、自分にとっては後々90年代になって再発見するんですがそこのところとかも考えつつ、村井さんの本を読んで80年代のマイルスから行けたらいいかと思いまして。

村井:いいですね。

:まず聞いていただきたいのは『TUTU』に入るはずだった、プリンスとやってる「Can I Play With U」を。

「Can I Play With U」Miles Davis

:マイルスが70年代から移って、いわゆるファンクの次を探しているときに、プリンスはミネアポリスのファンクですけど、アメリカのローカルなファンクに興味を持っていて。それは70年代のファンクとはちょっと違ってもっと軽快でハネてるんです。その中でゴーゴー・ビート(70年代後半〜80年代後半辺りまでワシントンD.C.で流行っていた)というのがポイントになってると思って、それを聞いてみたいと思います。チャック・ブラウンの「Bustin’ Loose」。

「Bustin’ Loose」Chack Brown

高橋:いーぐるで聞くチャック・ブラウン、最高ですね。

:このゴーゴーをマイルスなりに翻訳したというか、それをベースにマーカス・ミラーと作ったのが89年の『AMANDLA』。それを聞くとどう違うのか、ジャズにするとこうなるのか…というのがわかると思うので、それを聞いていただきます。『AMANDLA』から「Hannibal」。

「Hannibal」Miles Davis

村井:これはドラムは?

:打ち込みですね。

村井:マイルスのゴーゴーに対する興味っていうのはリッキー・ウェルマン経由? それとも逆にゴーゴーに興味があったから彼をバンドに入れた?

:チャック・ブラウンのバンドを見て、リッキー・ウェルマンに興味を持って自分で電話をかけた。で、地元のゴーゴーバンドのドラマーだった人がマイルスのバンドに参加することになって。ドラムもそうなんですけどベースも含めてマイルスは、自分のソロをもう一度ちゃんと乗せられる状況にしたかったんですね。ファンクだとそれができないので。ただ、チャック・ブラウンとマイルス、どっちが単純でカッコいいかっていうとチャックの方(笑)。ジャズはどうしても単純なループ構造を複雑化して演奏するから、それはいいときもあるしハマらないときもある。それを時代を経てこうやって聞くと、80年代のマイルスも僕は聞けるようになったんです。

高橋:東京塩麹っていうバンドがあって、ミニマル・ミュージックをやっているんだけどCDショップではジャズの所に置かれていて、95%譜面の即興性の全くない音楽なのに、今、それがジャズに聞こえてしまうんです。僕はそれはすごく面白いと思っていて。ミニマルって60年代半ば頃に生まれた反ヨーロッパ的な志向を持つアメリカ音楽で、村井さんの本にも59年が大きな転換期とありましたが、マイルスの『Kind Of Blue』もある種の反復音楽でジェームス・ブラウンの影響もある。そうするとファンクがジャズに影響して、多分ミニマル・ミュージックにも60年代の前半にジャズがちょっとミニマル化した影響があると思うんです。アメリカ音楽って、そういったものがず〜っとあって、ヒップホップも超ミニマルな反復音楽じゃないですか。ただジャズはテーマでは反復的でもソロに展開すると反復しなくなって、リズム・セクションも反復しないで展開するという集団即興になっていく。そうするとエレクトリック・マイルス後期の集団作曲みたいになっていって、ノレる反復性がなくなっていく。そのへんから、マイルスは多分もう一回戻りたかったんじゃないですかね。

:マイルスだけじゃなくて、2000年に入ってからヒップホップを自然に聞いて育ってきたジャズ・ミュージシャンたちはミニマルなものに慣れて、今のジャズってめちゃめちゃミニマルですよね。

高橋:そこで自分の即興性というかソロをどう長く弾ける/吹けるのかを、上手く整合化させてるような気がします。

村井:『Kind Of Blue』はマイルスがアフリカのフィンガー・ピアノを気に入ったがきっかけだと本人は言ってるんですけど、ミニマル・ミュージック/反ヨーロッパというか反西洋の音楽、ガムランやアフリカの音楽って、ジャズではマイルス以前はあまりみかけなかった。デューク・エリントンのアフリカって観光地みたいで、自分の頭の中にあるアフリカだった。マイルスも自身が言わない限り、あれがアフリカの音楽だって誰も気がついてなかったんですね。それとミニマル・ミュージックが始まったのがほぼ一緒で、ファンクもそれ位で、それらが一斉に同時代的に来てますね、

高橋:80年代にまた来るんですね。

村井:ウェザー・リポートの最初の2枚はかなりフリー・ジャズに近くて即興で延々とやっていて、3枚目の『Sweetnighter』では「Boogie Woogie Waltz」というのは6/8拍子のパターンを延々13分繰り返す。そこでパッと変わっちゃったっていう感じですね。ジャズの世界でも即興というか音をどんどん増幅していくみたいなのがあって。

:じゃあもう1曲、マーク・キャリーっていうジャズ・ピアニストで、ゴーゴー・バンドの出身でそこからジャズに行った人なんです。聞いてもらうのは2年くらい前の作品で『Marc Cary Focus Trio & Friends』。本人はゴーゴーをやってるって言うんですけど。さっきのマイルスの音源と比べて聞くと、今こういうところまで来てるんだなということがわかって。このマーク・キャリーという人はハウスの反復するトラックを作ることも出来るんですけど、本職はジャズ・ピアニストです。

「Running Out of Time」Marc Cary Focus Trio & Friends

:90年代の後半からクラブ・シーンでフューチャー・ジャズと呼ばれた演奏が出てきたんですけど、ソロはちゃんと弾いてて、でも反復性がちゃんとあって、そのバランスみたいなものが近年にくればくる程こなれてきてる感じはします。本人はインド音楽も研究してるのでラーガやマリの音楽の影響を受けた曲だって言ってるんですけど(笑)。それとファンク性みたいなことを意識して80年代からやっているミュージシャンにスティーヴ・コールマンというアルト・サックス奏者がいて、ジャズを通過したファンクをやっているんです。最新作はドラムレスなので、その一つ前の作品から聞いてもらいます。

「Acupuncture Openings」Steve Coleman

村井:スティーヴ・コールマンも後続のミュージシャンにすごく大きい影響を与えてますね。原さんには1980年代以降の音楽をかけていただいたんですけど、ここで原さんのコーナーは終わりということで、原さんありがとうございました。(場内拍手)。休憩を挟んで高橋健太郎さんのコーナーに行きたいと思います。

高橋:村井さんのこの本を読んで、上手く整理されてるなぁと思ったのは、現代のジャズがジャズ・アメリカーナという色が強くなっているんですけど、じゃあアメリカーナって何なのかっていうと19世紀に遡る話になるんですよね。で、現代のことと19世紀のことが両方きちんと捉えられてる本ってなかなかないと思うんです。僕はアメリカーナという言葉を意識したのはビル・フリーゼルの1993年の『Have a Little Faith』というアルバムなんです。村井さんもこの本で同じことを書いている。ただ、あの頃ビル・フリーゼルとかチャーリー・ヘイデンとかアメリカーナ的なジャズにアプローチした人たちにとってのアメリカーナと、99年くらいからアメリカーナという言葉の意味が変わって。

村井:アメリカの音楽はみんなアメリカーナになってしまって。

高橋:そうそうそう。だからフォークでもカントリーでもブルースでもジャズでもない音楽、“でも、違うアメリカがあるでしょ”という所を掘り下げる音楽がアメリカーナだったはずだったんだけど、みんなアメリカーナだってことになってきて、オルタナ・カントリーをやってた人もアメリカーナですって言い始めて、アメリカーナがなんだか分からなくなっちゃったんです。そこでアメリカーナの本質って何だろうって考えた場合、やっぱりそれは19世紀に遡らなければ分からない。というところから、今日はまず2011年に出たチャーリー・ヘイデンとハンク・ジョーンズの『Come Sunday』、これはハンク・ジョーンズの遺作。チャーリー・ヘイデンにとってもほぼ遺作なんですが、これがすごくアメリカーナ的なアルバムだったので、その中から「Goin’Home」という曲を。

「Goin’Home」Charie Haden Hank Jones

高橋:お聞きになればわかるように、これはドヴォルザークの「新世界」です。二人は1995年にも『Spirituals』という黒人霊歌ばかりを集めたアルバムを作っています。ドヴォルザークはチェコの国民楽派の作曲家ですけど、1892年にニューヨーク・ナショナル音楽院の学長として請われアメリカにやって来て3年間だけいてその間に書いたのがこの「新世界」。で、この頃のナショナル音楽院というのが、その後のアメリカ音楽を決定づけているんじゃないかと思うんです。その時期のドヴォルザークの弟子だったルービン・ゴールドマークは、その後ジュリアード音楽院でジョージ・ガーシュインやアーロン・コープランドを教えてるし、ランディ・ニューマンの伯父さんのアルフレッド・ニューマンもそう。アメリカのオーケストラ音楽を作った人がたくさん彼の門下から輩出している。で、アーロン・コープランドの教え子がヴァン・ダイク・パークスなんですね。ヴァン・ダイクの話では、ある時、学生がアーロンに“アメリカン・ミュージックって何ですか?”と尋ねたら、アーロンは“アメリカで作曲された音楽だ”って答えたそうなんです。それでヴァン・ダイクはすごく安心したらしい。なぜならアメリカは移民の国だからあらゆる所から人がやって来るんだけれど、アメリカという風土の中で書けばアメリカン・ミュージックなんだと。ドヴォルザークもチェコ人ですけれど、「新世界」はアメリカに来て書いた。だからアメリカン・ミュージックなんですよ。で、ドヴォルザークは黒人霊歌にすごく影響を受けて五音階のメロディとかを多用してたくさん曲を書いたんですけど、じゃあ当時の黒人音楽とはなんだったということがすごい問題になるんですよね。村井さんの本にも書いてある「ブルースとジャズを切り離す」ということは僕らの感覚のなかではとても難しい。でも、19世紀の黒人音楽にはブルースの要素はほとんどないんですよね。ドヴォルザークが学長をしていた音楽院に来ていた学生にハリー・バーリーという黒人がいて、彼がドヴォルザークに黒人霊歌を教えたんです。でも録音が残っている彼の歌を聞いても、僕らにとっては黒人っぽくない、黒人のゴスペルじゃないんです。
 ハリー・バーリーの採譜したニグロ・スピリチュアルを歌う人たちは20世紀にもいて、一番有名なのはポール・ロブスンやマリア・アンダーソンで、クラシック的な発声でスピリチュアルを歌う人たちです。ではここでポール・ロブスンの1920年の「Swing Low, Sweet Chariot」を聞いてもらいたいと思います。僕たちはこの曲の色んなヴァージョンを耳にしてますが、ゴスペルの人が歌うとすごいゴスペルになるんです。だけど僕らが思ってるゴスペルってアレサ・フランクリンやマヘリア・ジャクソンとかが歌うすごいブルージーな、ブルースもジャズも知ってる人が歌うゴスペルなんですけど、19世紀に採譜されてハリー・バーリーがドヴォルザークに教えたニグロ・スピリチュアルはそれとは違うんです。

「Swing Low, Sweet Chariot」Paul Robeson

村井:この曲は1867年に書かれた「合衆国奴隷の歌」という3人の白人がアメリカ南部の黒人の歌を採譜して、楽譜と歌詞を載せた本に入っています。そこにはみんながよく知っている黒人霊歌のかなりの部分が収載されているから、1860年代には結構できていたと思うんです。CDガイドにも載せた「Negro Spirituals 1909-1948」に入ってる最初の録音は1909年で、フィスク・ジュビリー・シンガーズという黒人大学の合唱団の歌で、これは明らかにクラシック発声なんです。

高橋:アイルランド音楽とアフリカ音楽の混血でアメリカ音楽が生まれたってよく言われるんですけど、次にジョン・マコーマックというアイリッシュのバリトン歌手の音を聞いてもらいます。イタリアから来たオペラ歌手のエンリコ・カルーソがアメリカで最初に100万枚を売ったというのが伝説ですけど、多分トータルではジョン・マコーマックの方が売り上げが多いんじゃないかな。そのくらいの人気歌手でした。その彼がフォスターの曲を歌っているので、アイリッシュの歌うアメリカーナと黒人の歌うアメリカーナがどのくらい違うか聞いてみましょう。曲は「Jeanie with the Light Brown Hair」。

「Jeanie with the Light Brown Hair」John McCormack

高橋:ポール・ロブソンの方が体格がいいのは分かりますけど、黒人とアイルランド人とそんなに歌い方は変わらないですね。こういう感覚が共有されていたのがすごい19世紀的なアメリカーナの世界じゃないかなと思ってるんですけど、フィスク・ジュビリー・シンガーズを聞いてもブルーノート・スケールは出てこないですしね。じゃあ、いつアメリカ音楽の中にブルーノートが出てくるのか、最初の音源を相当探したんです。ブルースは1910年代にならないと出てこないし、でも1897年の音源で、これはちょっとブルーノートっぽいなと思ったのが、カズンズ・アンド・デモスというニューヨークで活動してたボードビル2人組の「Poor Mourner」という曲。けっこう野卑なブルーノートに聴こえます。

「Poor Mourner」Cousins and DeMoss

高橋:次は1902年にベル・デイヴィスというシカゴで活動していた黒人の女性歌手がイギリスで録音したもの。これは1890年代〜1920年代にヨーロッパに渡った黒人芸人の現地での録音を集めたコンピに入ってるもので、まず曲が12小節進行なんですよ、1902年で。なおかつそのヴォーカル・パフォーマンスにはブルーノートは出てこないんだけれども、もっと衝撃的な黒人性が聞き取れるんです。曲は「Just Because She Made Dem Goo Goo Eyes」。

「Just Because She Made Dem Goo Goo Eyes」Bell Davis

高橋:Aメロ12小節で、ヴォーカルがちょっとボブ・ディランっていうか、途中からラップみたいになってきて。だからブルースのレコーディングよりラップの方が早い(笑)ことが証明されて。まず、この頃はアメリカではまだまだ黒人がレコーディングできない時代で、イギリスではそういう人種的な抑圧は少なかったんじゃないかと思うんです。しかもアメリカで録音してる黒人の歌い方はみんな行儀がいいんですよ、それに反して彼女の歌い方は衝撃的ですね。

村井:アメリカの人たち、黒人も含めてブルースを知ったのは1900年代初頭でしょ。

高橋:ジェリー・ロール・モートンが、“俺が初めてブルースを聞いたのは1900年”って言ってますから。色々な人の話を総合すると1900年ぐらいにようやくミシシッピーの農園からニューオリンズまで到達して、街角でも聞けるようになった感じで、でも5年もするともうブルース一色になっていく。
次はそのニューオリンズの古い音楽を聴きたいんですが、あまり古い音源ばかり聞くと耳が疲れてくるので、ヴァン・ダイク・パークスの1998年のライヴから「Danza」を。これはルイ・モロー・ゴットシャルクという19世紀半ばのニューオリンズの作曲家の曲で、彼の音楽もアメリカーナの源流の一つでラグタイムにも影響してますよね。

「Danza」Van Dyke Parks

村井:ルイ・モロー・ゴットシャルクは1829年生まれで、69年に40歳で亡くなってるんですけど、ニューオリンズからフランスに行ってピアニストとして修行をして、サン・サーンスとかベルリオーズとかとも親交があったみたいで、最後なぜかブラジルに行って亡くなるんです。この本にラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が出てくるんですけど、あの人って日本に来る前にニューオリンズに行くんですけど、彼がゴットシャルクの音楽をすごく好きで聞いてたらしくて。ゴットシャルクに「Banjo」という曲があってこれは黒人がバンジョーを弾くような感じをピアノ曲にしたもので、この曲じゃないんですけど、ハーンが友人に“黒人がピアノを弾くとバンジョーになる”って手紙に書いてるんです。多分それは1870年代半ばニューオリンズのアフリカ・アメリカンの人がやっていた…というのが想像できたりもするんです。

高橋:ラグタイム・ピアノもバンジョーの弾き方をピアノに移し替えたものだと言われてますものね。僕がアメリカ音楽って何だろうって考え始めたのはビル・フリーゼルの前はやっぱりヴァン・ダイク・パークスの『Discover America』とか『Song Cycle』。で、ヴァン・ダイクの音楽って何なんだろうと思ってもよく分からなくて。黒人霊歌の五音階やブルースっていうのはわかりやすいのに、ヴァン・ダイクのは半音展開するオーケストレーションとかですごく不思議な音楽だった。で、これが彼が考えたアメリカ音楽なんだろうなと思って色々聞いていたら100年前の音楽に変なのが見つかって、ヘンリー・クレイ・バーナビーの「Dreaming Dreaming」という曲です。

「Dreaming Dreaming」Henry Clay Barnabee

高橋:ヘンリー・クレイ・バーナビーの「Dreaming Dreaming」、すごいクロマチックなメロディで変な曲なんですよ。19世紀のミンストレル・ショーから来てる音楽とかたくさん聞いたんですけど、こんなのないんです。ヴァン・ダイクとかランディ・ニューマンが歌ってもおかしくない曲で、曲を書いたのがビクター・ハーバートっていうアメリカのオペレッタの基礎を作った人で、ドヴォルザークがナショナル音楽院に来たときに受け入れた教授なんです。ヴァン・ダイク・パークスって『Discover America』でカリプソをやるじゃないですか、その1984年のインタビューで、なぜカリプソをやったかという質問に対して“カリプソの人たちにはセンス・オブ・メロディがあるから”と答えてるんです。アメリカン・ミュージックが失くした繊細な半音階のメロディがカリプソの中にあるということで。で、もう1曲ビクター・ハーバートで『The Red Mill』というオペレッタの中の「Moonbeams」。

「Moonbeams」Victor Herbert

高橋:これは1951年にアル・グッドマンが録音したものなんだけど、曲は1900年代には書かれたもので、最初の半音階のストリングスなんかヴァン・ダイクみたいでしょ。アメリカーナとかって考えるときにオペレッタとかアメリカの軽音楽オーケストラみたいなものって一番見逃されてる。でもヴァン・ダイクや、ブライアン・ウィルソンとかも子供の頃に親が聞いてたであろう軽音楽オーケストラも耳にしてただろうと思うんですよ。ビル・フリーゼルがよくブラスバンドの話をするのも学生時代にブラスバンドを通っていて、それが彼のアメリカーナ志向の元になってると思うんです。そういうのがようやく明らかになってきたなと僕は思っているんです。

村井:それは近々本になるとか?

高橋:いやぁどうでしょうね(笑)。でも、村井さんの本は基本的にここを全部押さえてある。

村井:でも、駆け足でしたから(笑)。高橋さんありがとうございます。いやぁ驚異の大発見をここの皆さんは初めて聞いたわけで、高橋健太郎さんでした、ありがとうございました。

村井:高橋健太郎さんがアメリカーナのルーツ的なことをお話いただいたんですけど、ジャズってブラック・ミュージックだと思われている節がありましてそれは一面の真実ではあるんですけどそれだけでは全くないのがジャズの面白いところですね、混血音楽といいますか、例えばジャズ・ミュージシャンがブルースを演奏するのは日常的な出来事なんですが、カントリー&ウェスタンやブルーグラスとかなんとなく白人の音楽だと思われていたものとジャズがどんな関係があるんだろうってこと。これはあまり語られてなかったことだと思うんですけど、ある時期からアメリカのジャズ・ミュージシャンがいわゆるカントリー&ウェスタン、カントリー・ミュージック、あるいはフォーキーという、なんとなく非アフリカン・アメリカンの音楽と思われたものとジャズを上手く組み合わせるというか、そういうものをジャズの中に入れてしまうということが出てきて、これっておそらく直接のきっかけは60年代だと思うんです。

高橋:ゲイリー・バートン。

村井:ゲイリー・バートンは大きいと思います。ジャズを都会の夜の音楽でなくした…というのも、何となく今でもジャズって都会の夜の静寂に〜みたいなところがありますが、そうじゃなく、午前中の田舎の音楽でもある感じなんです。ちょっと逆時代順に、新しい所から遡りつつ聞いていきたいと思います。ジュリアン・レイジという1989年生まれのすごい若いギタリストがいまして、彼はいろんなことができるんですが、その中にカントリー・ミュージックとかブルーグラスと新しいジャズを組み合わせてすごく面白いことをやっているので、彼の『Arclight』という2016年のアルバムの中で「Presley」というタイトルの曲がありますので、まずそれを聞いてください。

「Presley」Julian Lage

村井:さっき原さんのパートで反復の話が出たじゃないですか、今のジュリアン・レイジのギターって自分のソロ以外ある意味反復してるわけですけど、ブラック・ミュージック以外でもそういうリフの反復ってモダン・ジャズ時代それほど出てこない。で、ソロはミュージシャンみんな滅茶苦茶上手いんですけど、いわゆるジャズ的なコードとかあまり出てこない。

高橋:本当はいくらでも弾けるんだけどね

村井:でも今の曲だと非常にシンプルなコードですよね。ジャズだとついついモダン・ジャズみたいなのをやってる人って、Cっていってドミソって弾くとカッコわるいじゃない、ドミソファ#とか弾いちゃて(笑)。バリー・ハリスっていう有名なピアニストがある大学で教えているときにCを弾けって言ったら学生がCmaj7を弾いたのでほとんど往復ビンタみたいな感じで、“俺はCを弾けって言っただろ!”って(笑)。モダン・ジャズの世界の中でも曲によってはCはドミソって弾いた方が逆に新鮮って場合もあって。さっきからよく話に出ているビル・フリーゼルってアメリカ的なジャズをもっと大々的にやってその世界では大巨匠になってますけど。彼が2009年に出した『Disfarmer』っていうCDがあって。これはアーカンソーの小さい町の写真館の実在の人物のことをテーマにしていて。死んだ後に大量の写真が出てきて、その町の家族を撮っただけなんだけどそれが妙に面白くて、みんなすごく無表情な顔で立っていて。それをテーマに写真展とCDを一緒にやって、ビルと話したときに、“この人のDisfarmer(農夫ではない)っていう名前が気に入った”って言っていて。その中の「The Wizard」という曲を聞いてみましょう。

「The Wizard」Bill Frisell

村井:これも反復の曲なんですね、ある意味ミニマル・ミュージック的なもの。ミニマル・ミュージックって非ヨーロッパ的、アメリカ的なもので。

高橋:僕はそれ言われるまであまり考えたことがなくて、でも、辿って行くとミニマル・ミュージックって60年代アメリカの産物で、ミニマルという考え方はその後のアメリカ音楽の核にもなっているんだろうなと。

村井:たしかにフリーゼルってアメリカーナっていった場合カントリー&ウェスタンみたいな曲だけではなくてミニマルもやるしボブ・ディランもやるしスーザもやるし、アメリカ音楽の特徴みたいなものをかなり知覚的に考えていて、今の曲も最後の方は変なノイズが入ってきたりして。その辺りの実験性みたいなものはビル・フリーゼルって単にカントリー好きなことをやるのではなくて必ずそういうエキスを入れているのが面白い。で、ゲイリー・バートンってヴィブラフォン奏者はバークリーを出てるんですけど、その後ニューヨークにいたのが、いきなり1960年くらいにナッシュビルっていうカントリー音楽産業の中心地へ行った。その理由というのが、サキソフォン奏者のブーツ・ランドルフに“プロのヴィブラフォン奏者はナッシュビルには一人もいないからすぐに仕事があるよ”って言われたからで。その頃になるとナッシュビルでもポップ・ミュージックのレコーディングが増えていて、ヴィブラフォン奏者も需要があるようになったらしい。そこで何枚かリーダー・アルバムを作ってだんだんメジャーになっていくんですけど、彼が1969年に『Throb』っていうアルバムを出して、このときはシートレインっていうロック・バンドにいたリチャード・グリーンっていうヴァイオリン奏者やジャズ・ベーシストのスティーヴ・スワローとかと一緒にやっていて。ブルーグラスのフィドルの人をフィーチュアしてるんです。これからかけるタイトル曲の「Throb」って曲はリチャード・グリーンがフィドル(ヴァイオリン)を多重録音して、全然カントリーじゃないちょっとミニマルっぽいんですけど、これが69年で。

「Throb」Gary Burton

高橋:これが69年…、早いですね。

村井:ゲイリー・バートンのアルバムの中でそれほど評価は高いアルバムじゃないんですけど、今聞くと一番面白い音で。

高橋:なるほどね。今日ミニマル・ミュージックの話をするとは思わなくて。

:この後「実験音楽を楽しく聴きましょう」っていう謎のイベントがあるんですけど、たまたまハリー・パーチっていう人の音を聞いてたら、さっきの高橋さんが仰ってた半音階でしたっけ、彼の場合は1オクターブを43の音階に分けて、非西洋の楽器を使ってループをさせてる。ああいうアメリカの実験音楽の人もある意味アメリカーナの流れの中で再発見された代表格っていうのもありますよね。

村井:ハリー・パーチも含めてアメリカ人って何か意味のない楽器を作っちゃって。

高橋:荒唐無稽ですよね。

村井:これはカントリー的な楽器を使いつつもやってることは全然違っていて、69年のジャズ、ジャズというジャンルの極めて珍しいもので。

高橋:ジャズのアルバムでギタリストがテレキャスターを持ってるのを初めて見たのがバートンのアルバムです。

村井:というわけでもう1曲ゲイリー・バートンを。これは本当にナッシュビル録音で、チャーリー・マッコイとかケネス・バートレーといった著名なスタジオ・ミュージシャンが参加した66年の『Tennessee Firebird』を。ちょうどボブ・ディランがナッシュビルで『Blond On Blond』を録音してたので、ディランの曲も「Just Like A Woman」「I Want You」をやっていて、録音メンバーがディランとほぼ同じという超ムダに贅沢な(笑)作品で、でも面白いのはドラムが2人いて、ケネス・バートレーとロイ・ヘインズがツイン・ドラムでやってるんですけど、これはかなりカントリーっぽい曲で「Tennessee Firebird」を。

「Tennessee Firebird」Gary Burton

村井:バンジョーをフィーチュアしつつゲイリー・バートンのヴァイブ・ソロが入ってくるという曲ですが、同時代的にどういう評価をされたんでしょうか。ゲイリー・バートンは67年頃からそれまであまりジャズを聴いてなかった、例えばバッファロー・スプリングフィールドやグレイトフル・デッドとかのロックを聴いてる当時の若いリスナーに聴かれるようになった。

高橋:まさしく、僕がそうですよ。テレキャスターが映ってるからカントリー・ロックのアルバムと間違えて、図書館で借りたんですけど。(笑)

村井:60年代って、アメリカン・ルーツ・ミュージックがただブルースをコピーする物とは全然違う形で入ってきた時代だと思うんですけど。それとほぼ同じ頃ゲイリー・バートンもかろうじて20代で。じゃあその同じ年にアメリカのロック・バンドはこんなことをやっていたというのをサワリだけ。バッファロー・スプリングフィールド「Bluebird」

「Bluebird」Buffalo Springfield

高橋:サイケなラーガ・ロックみたいな曲が最後は突然バンジョーだけになるという。これははっぴいえんどが2枚目の『風街ロマン』の「春らんまん」でまったく同じことをやってます(笑)。

村井:今のバッファロー・スプリングフィールドもカントリーやラーガやフォーク・ロックや色んな音楽が複雑に入り交じっていて。

高橋:ラテンもボサノヴァも入って。

村井:ジャズもあるし。だからそういう色んな要素をかなりハイブリッドに取り入れるのがこの時代のロックで、ゲイリー・バートンもそういう所があるのかもしれないね。というわけでそろそろ時間なんですけど、例えばジュリアン・レイジ、ビル・フリーゼル、ゲイリー・バートンという所で、ジミー・ジュフリーというサックス奏者がいて、彼のバンドにジム・ホールというギタリストがいるんですけど、ジミー・ジュフリーもある意味、言い方が難しいんだけどカントリーみたいなものを自分ででっち上げる。

高橋:アメリカの風土にはすごい影響されているけどカントリーとかブルースとかには直接影響されてない。

村井:不思議な作品で、サックス、ギター、ベースのジミー・ジュフリー・トリオで「The Train and the River」を。

「The Train and the River」Jimmy Giuffre 3

村井:淡々としたミニマルな作品で。で、これが1956年。ジミー・ジュフリーたちがモダン・ジャズ以降で初めてブラックじゃないものをジャズに持ってきたもの。ジミー・ジュフリーはこの後メンバーを変えてフリー・ジャズに近い種類の音楽をやっていて、それがドイツのECMから出たりするんですけど。では最後に1927年、ビックス・バイザーベックというコルネット奏者がいまして、彼のバンドでギタリストがエディ・ラングっていう人で、この人はジャズ・ギターの歴史の中ではそんなに強くは出てこないんですけど、恐るべき名手でバッキング・ワークが素晴らしい人で、おそらくそれがジム・ホールにつながっていくんです。この時代まではリズム感のある、ジャズとカントリー&ウエスタン/マウンテン・ミュージックって言ってましたけどそういうものが画然と分かれてはいないし、当時のポップ・ミュージックっていうのは分かれてなくて、そういう意味では大らかなアメリカンの時代ということなんですね。

高橋:ギタリストは全部できないと仕事にならなかったんですよね。ラテンからカントリーから全部入ってますよね。

村井:だからそういう人が20年代にはジャズの世界で重宝されてて素晴らしいんですけど、では、ということで、ビックス・バイザーベックで「I’m Coming Virginia」

「I’m Coming Virginia」Bix Beiderbecke

村井:というわけで1927年まで遡ったんですが。

高橋:達人ミュージシャンばっかりだし。

村井:でもこの本はそういうことばかり書いた本ではないので。満遍なく書いてます。今日は長い間ありがとうございました、原さんと高橋さん。

高橋:この3倍くらいやりたいですね。

村井:またやりましょう。
(場内大拍手)

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    そんな素朴かつ根源的な問いへの答えに、ジャズの前史から現在までの歴史を核としながらも、周辺音楽とジャズの関連や、音楽以外の文化を含めた様々な周辺事項までを、幅広い視野で考察して迫る一冊。

    本文に関連するレコード(300枚程度を予定)や本などの作品紹介もあり、読者の「ジャズ観」は大きく広がることだろう。人柄が滲み出る軽妙な語り口で、ジャズ・マニアはもちろん、ビギナーでもグイグイ読める。尚美学園大学でジャズ史の講義を持っている著者が、雑誌「ジャズ・ジャパン」に連載した「ジャズ史で学ぶ世界の不思議」を書籍化。

    「あなたの聴き方を変えるジャズ史」

    【CONTENTS】
    第一部 ジャズが生まれるまで
    1 ラフカディオ・ハーンはカリブ海で何を聴いたか?
    2 カリブ海音楽とジャズ
    3 アフリカとアイルランドがアメリカ大陸で出会った!
    4 アメリカ合衆国のポピュラー・ソングの誕生
    5 アフリカン・アメリカン音楽の誕生
    6 アパラチア山脈に遺ったイギリス民謡の伝統
    7 黒人と「新移民」がアメリカ音楽を変えた
    8 20世紀初頭、ニューヨークで流行っていた音楽は?
    9 ミュージカルの誕生
    10 ブルースの誕生
    11 ブルースの伝播と流行
    12 ジャズの誕生?
    13 バディ・ボールデンに聞く、黎明期ジャズの真実

    第二部 ジャズの成長
    14 ルイ・アームストロングはなぜ偉大なのか?
    15 「ジャズ・ヴォーカル」の誕生もサッチモとともに
    16 「大移動」とシカゴの繁栄
    17 白人ジャズの開祖 ~ビックスとエディ・ラング~
    18 ジャズを「アート」にした男、デューク・エリントン(1)
    19 ジャズを「アート」にした男、デューク・エリントン(2)
    20 アル・ジョルソンからクルーナーへ
    21 1920年代のアメリカ・ポピュラー音楽
    22 アメリカーナのルーツ、M・ベイリーとH・カーマイケル
    23 ベニー・グッドマンとスウィング・ブーム
    24 スウィング時代のバンド・シンガーたち
    25 カウント・ベイシーとカンザス・シティ・ジャズ
    26 至上のジャズ歌手、ビリー・ホリデイ
    27 キャブ・キャロウェイと「ジャイヴ・ミュージック」
    28 ヨーロッパジャズの夜明け ~ジャンゴ・ラインハルト~
    29 第二次世界大戦とジャズ
    30 日本ジャズの歩み(1)

    第三部 ジャズの爆発
    31 ビバップ革命とは何だったのか?(1)
    32 ビバップ革命とは何だったのか?(2)
    33 ジャズとラテン音楽
    34 ジャンプからリズム&ブルースへ
    35 「クールなジャズ」はどのように誕生したのか?
    36 ウェストコースト・ジャズの歴史(1)
    37 ウェストコースト・ジャズの歴史(2)
    38 西海岸の歌姫たち、ケントン・ガールズ
    39 ハード・バップ誕生!
    40 ハード・バップとファンキー・ジャズ
    41 「セロニアス・モンク」というジャンル
    42 ロックンロール旋風とジャズ
    43 ジャズ・ヴォーカルと50年代
    44 黄金の50年代を彩るジャズ歌手たち
    45 日本ジャズの歩み(2)

    第四部 ジャズの変貌
    46 1959年という「特異年」(1) ~マイルスとモード・ジャズ~
    47 1959年という「特異年」(2) ~ジョン・コルトレーンと『ジャイアント・ステップス』~
    48 1959年という「特異年」(3) ~オーネット・コールマンの「フリー・ジャズ」~
    49 黒人解放運動とジャズ
    50 エリック・ドルフィーの謎
    51 ビル・エヴァンスの動と静
    52 ジョン・コルトレーンと60年代ジャズ
    53 マイルス・デイヴィスのクールな60年代
    54 ジャズとブラジル音楽
    55 1967年に何が起きたのか?
    56 「ロックの時代」とジャズ
    57 ブリティッシュ・ジャズ/ロックの影響
    58 激動の60年代を駆け抜けた3人の女性歌手
    59 日本ジャズの歩み(3)

    第五部 ジャズの拡散
    60 マイルス・エレクトリック
    61 ジャズとファンクの関係は?
    62 クインシー・ジョーンズと“クロスオーヴァー”
    63 フュージョンって何だったの?
    64 ニュー・ソウルとフュージョンの「うた」
    65 V.S.O.P、そしてウィントン登場
    66 80年代初頭、ニューヨークの最先端ジャズは?
    67 ジャズとヒップホップ/エレクトロニカの出会い
    68 マイルス最後の10年
    69 ギターの時代、80年代
    70 1980~90 年代のジャズ・ヴォーカル
    71 ジョシュア・レッドマンとブラッド・メルドー
    72 日本ジャズの歩み(4)

    第六部 ジャズって何?
    73 アメリカーナとジャズ
    74 ジャズとヒップホップ、そしてロック再び
    75 21世紀のジャズ・ヴォーカル
    76 世界音楽としてのジャズ
    77 ジャズって何? ~明日のジャズのために~
     
    さらに深く知りたい人のための書籍案内
    『あなたの聴き方を変えるジャズ史』をより深く知るためのCDガイド 420

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