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夜の本気ダンス

“夜ダン・サウンド”とメジャー1stアルバム『DANCEABLE』の深層部

多様なジャンルを独自のサウンドに昇華して築き上げ、オリジナリティー溢れるダンス・ロックを鳴らしている
夜の本気ダンス。現在の音楽シーンにおいて、最も注目を集めているバンドの1つである。
そんな彼らが、アルバム『DANCEABLE』を引っ提げて、遂にメジャー進出を果たす。そこで、このバンドの深層部を
探るため、ここで彼らのバックボーンや楽曲制作方法を聞いた。さらに、GiGS4月号本誌では、昨年から数々のライブで
オーディエンスを熱狂させてきた「By My Side」のギター・プレイを米田と町田に丸ごと1曲解説してもらい、
このインタビューの続編も掲載しているので、そちらも見逃すことなくチェックして欲しい!!

Text/TOMOO YAMAGUCHI

混ぜこぜな感じと言うか、洋楽も邦楽もどちらに行きすぎず、
いいバランスで出せてるのかなと思います
──みなさんが最初に楽器を手に取ったきっかけを教えてください。
米田:僕が中2か中3ぐらいの頃、父が急にアコースティック・ギターを欲しいと言い出したんですよ。昔、フォーク・ソングが好きだったらしくて。それでアコギを買ってきて、僕もちょうどロックに興味を持ち始めた頃だったんで、自然に触り始めました。
──そのとき、興味を持ったロックっていうのは?
米田:最初はASIAN KUNG-FU GENERATIONでした。アジカンのCDに衝撃を受けて、そこから音楽の世界に入っていきました。中学時代はずっとバスケットボールをやってたんですけど、中3のとき部活が終わって、何をしようかなって考えたとき音楽に出会ったので、ギターでも弾いてみようかなって。
鈴鹿:僕は小学校4年のときに音楽の授業の延長で演奏会があって、そこでいろいろなパートを決めるとき、小太鼓に立候補したんです。それでやってみたら、先生にリズム感を褒められて。僕は勉強ができない子だったので、そのとき褒められたのが嬉しかったんですよ。中学のときは野球部だったんですけど、高校に入って何をやろうかなってとき、軽音楽部に体験入部したらドラムをやりたい人が誰もいなくて、“昔、小太鼓やってたからできんのちゃうか?”と思ったのがドラムを叩き始めたきっかけです。ギターやベースも一応触ってみたんですけど、自分には何か…まず持った感じが似合わなかったかったんですよ(笑)。似合わへんもんやってもなと思って、ドラムに決めました。
マイケル:僕ももともと野球をやってたんですけど、高校で続ける気はなかったんです。中3のときからGreen DayとかSUM 41とLINKIN PARKとか洋楽を聴いていて、高校の教室で洋楽の専門誌を読んでたら軽音楽部の先輩の目に留まって、1回来てみたらと誘われたから行ってみたのが楽器を触ったきっかけでした。その先輩がベースを弾いてる姿がカッコ良かったんですよ。それでベースをやってみようと思いました。
町田:僕は中3のとき、仲良かった友達と『BECK』にはまって、漫画の。それでその友達とバンドやりたいなって、ギターを買いに行きました。それ以前からコピー・バンドをやってたんですけど、そのときはキーボードだったんですよ。そのバンドがもっとハードなのをやりたいからギターをやってって感じになって、ついこの間買ったし「ええよ」って。それからずっとバンドでギターをやってますね。
──何のコピーをやっていたんですか?
町田:DIR EN GREYです。
マイケル:Janne Da Arcもやってなかった?
町田:やってた。キーボードのときはJanne Da Arcをコピーしてました。
──そんな4人が出会い、夜の本気ダンスを’08年に結成したわけなんですけど、今のバンドに結びついているという意味では、どんなバンドからインスピレーションを受けているんでしょうか?
鈴鹿:米田が入ったのは後からなんですけど、ケンケン(町田)と僕は高校のときに出会って、まず銀杏BOYZのコピー・バンドから始めたんです。夜の本気ダンスってバンド名にしたのもゆらゆら帝国とか嘘つきバービーとか、アンダーグラウンドな感じで踊らせたいと言うか、うねらせたいと言うか、言い方は悪いんですけど、そういうキモカッコイイのをイメージしてたからで。そこに米田が加わってから洋楽の影響やアジカンとか岡村靖幸とか。
米田:洋楽だと、Franz Ferdinandからは全員がシャツを着て、演奏するみたいな見た目も含めて影響を受けていると思いますし、日本のバンドだったらSTAnをすごい聴いてました。ただ、それぞれにいろいろな影響を受けていると思います。僕も銀杏BOYZは聴いていましたね。昔のライブはそれこそ銀杏BOYZに影響を受けすぎてしまって、暴れてナンボみたいな。ライブ中にドロップキックするみたいなムチャはよくしてましたね(笑)。
鈴鹿:ギターがよく壊れてたもんな(笑)。
米田:そういう時期を経て、ちょっと落ち着いてきて今に至るみたいな感じです。
──『DANCEABLE』を聴いていると、ちょっとレトロと言うかクラシックなハード・ロックの影響やR&Bの要素が感じられるんですけど、その辺は今名前が出てきませんでしたね?
米田:ハード・ロックは、あまり聴いてないんですけど、例えばどの曲から感じられましたか?
──「By My Side」のイントロのギターのリフなんてまさにそうだと思いました。あと、「Feel so good」のリフは昔のブルース・ロックっぽい。
町田:「By My Side」はThe Musicだっけ?
米田:そう。あれっぽい感じをやりたくて作ったんですよ。確かにThe MusicのルーツはLED ZEPPELINの流れがあるんで、そこかな。LED ZEPPELINやThe Kinksは聴きましたけど、そんなに掘り下げたわけではないです。それよりもリフに関しては、なるべくシンプルにやりたいとうのがあって、それが昔っぽいとかハード・ロック感に繋がっているのかもしれないですね。細かいテクニックよりもシンプルにシンプルに、ズバッと行きたいんです。ファンクっぽさとか、ブラック・ミュージックっぽさは、岡村ちゃんの影響かもしれない。あとはジェイムズ・ブラウンとか中学生の頃よく聴いたJamiroquaiかな。
──そういう影響がいろいろ混ざり合って、夜の本気ダンスらしさになっているわけですね?
米田:混ぜこぜな感じと言うか、洋楽も邦楽もどちらに行きすぎず、いいバランスで出せてるのかなと思います。
──曲作りはどんな風に?
米田:僕が基本的に全部、指示しながら作り上げていきます。
──デモを渡すんですか?
米田:いえ、練習スタジオでリフを弾いて、そこにこういう感じで来て欲しいって言いながら、大体スタジオの中で作っていきます。最初からそういう感じですね。8トラックの簡単なレコーダーは持ってるんですけど、スタジオでバッとやって、そこで作ることがほとんどです。
──作り始めるときには曲の完成した形は頭の中に出来上がっているんですか?
米田:断片的なことが多いです。あとは雰囲気だけ。最初から最後までばっちりイメージできてることはなかなかないですね。実際、演奏してみると、自分がイメージしていたものと違うこともあるんで、そういうときは臨機応変に切り替えながら。
鈴鹿:リフを持ってきてもらって、合わせる中で、大体4つ打ちにして、フィルはそこからの流れで考えるんですけど、同じようなものばかりにならないようにするためには自分の球を増やしていかないといけないというのはあります。でも、それが自分の成長に繋がるからやりながら楽しいですよね。
マイケル:そうですね。米田の要望に応えるには、常に自分が進化しなきゃいけないと思ってます。違う人間なので100%同じことを再現するのは無理かもしれないけど、逆に違いがあるからこそ別のアプローチができるっていう可能性もあるので、そういうところも面白いと思ってやってます。
──そういう曲の作り方は結構時間が掛かりますよね?
米田:デモをきちっと作ってる人たちよりは時間が掛かるかもしれない。
鈴鹿:リフのストックが結構あるんですよ。アルバムを作るタイミングでどれにしようかって、そこから出してきて、そのリフから広げていったりとか、リフ同士が繋がって曲になったりとか、そういうこともありますね。
──じゃあ、米田さんの曲作りの取っ掛かりはリフなんですか?
米田:リフからが多いです。リフで気に入る、気に入らないがあって、そこは昔からこだわっているところです。
──『DANCEABLE』のレコーディングで使ったメインの楽器を教えてください。
米田:フェンダーのテレキャスターです。実を言うと、鈴鹿のものなんですけど、ずっと借りてるんです(笑)。
鈴鹿:昔、ライブで暴れたとき、メインのギターを折ってからずっと(笑)。
米田:もともとギブソンのSGスペシャルを使ってたんですけど、壊れてしまって。
鈴鹿:すぐに直して、返してくれると思ったんですけど。
米田:シングル・コイルの音が気に入って、“あ、僕こっちやわ”って(笑)。
鈴鹿:僕が持っていた期間よりも米田が持っている期間が長くなってしまって、返してとも言いづらいし、返してもらったら返してもらったでライブできへんようになるし。だから、ずっと黙ってるんです。
マイケル:実は鈴鹿はギターもベースも持ってて。
鈴鹿:ドラムを続けてると、例えばキューミリ(9mm Parabellum Bullet)叩けないって挫折することってあるじゃないですか。そんなときにギターもべースも買ったんですけど、やっぱり似合わなかったんですね。似合わへんもんってやっぱ音にも出るんだなって(笑)。
──じゃあマイケルさんのベースも鈴鹿さんの?(笑)
マイケル:いやいや、自分のです。借りようと思ったこともあったんですけど、他の人に貸してるわって言われて、借りられなかったんです(笑)。僕が使っているのはフェンダーなんですけど、かなり改造して、もうほとんど原型がなくなってしまいました。Green Dayのマイク・ダーント・モデルのベースを使ってたんですけど、改造したのが大学に入る前で、マニア気質なので、好きなバンドが使ってるベースの形に近づけたかったんですよ。そのときすごいSTRAIGHTENERにはまってて、それこそGiGSを読んで、ひなっち(日向秀和)さんの機材を追いかけてたんです。そのとき使ってたのがフェンダーのアメリカン・デラックスのプレベみたいなやつで、ピックアップがプレベのタイプとリアのところにハムバッカーが載ってるタイプだったんですけど、それに近づけたいと思って、後ろにハムバッカーのピックアップを載っけて、もともとパッシブだったものをアクティブに変えました。そのとき、ザグッたんでピックガードも変えないといけないってことになって、特注で作って。もともと、2トーン・サーバストって色だったんですけど、塗装が剥げてきちゃって、ペリペリ剥がしてたら楽しくなって全部剥がした結果、今、完全に木目になってしまいました。
鈴鹿:僕はセットは借り物で、今回いろいろなところで録ったんですよ。ソナーのスネアとペダル…dw5000だけ自分のを使いました。
──町田さんのギターは?
町田:フェンダーのムスタングを使ってほとんど録りました。ただ、チューニングが合わないみたいで、「上の方を弾くと結構音痴っぽくなる」とエンジニアさんに言われて。「似たようなのを持ってるから弾いてみる?」とフェンダーのサイクロンを貸してもらって、何曲かで使いました。
──じゃあ、町田さんがご自分でも気に入っているという「Dancer in the rain」のソロは?
町田:そうです。サイクロンです。
マイケル:一生チョーキングできそうってやつ?
町田:そう。ずーっと伸びてました(笑)。