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Crossfaith

バンドの強みを凝縮して生まれた進化型サウンド『XENO』

バンド史上最大の危機を乗り越え、完成したアルバム『XENO』。
これまで以上にグルーヴ感の増したサウンドが鳴り響く今作は、世界を舞台に戦う5人が、さらに進化を遂げていることを
証明する1枚となった。一聴すれば、この圧倒的かつドラマティックな音世界に引き込まれるはずだ。
彼らは一体このサウンド像をどのようにして手に入れたのだろうか? ここでは、今作の完成までの軌跡を
Koie、Kazuki、Hiro、Tatsuyaの4人と共に振り返っていこう。
さらにGiGS11月号本誌では、Hiroが「Devil’s Party」のベース・プレイを1曲丸ごと解説 & 4人にプレイヤー目線で本作の
注目ポイントを語ってもらった。本インタビューと併せてチェックし、『XENO』の世界を存分に体感してもらいたい!

Text/KYOSUKE TSUCHIYA

より細かいところのクオリティーも上げることができましたし、
1曲1曲に対する、よりディープなところを詰められた
──かねてからワールド・ワイドな活動をしてきたとはいえ、アルバム『APOCALYZE』(2013年)がリリースされた後は、改めて世界を相手にするバンドなんだなという印象を周囲に与えたと思うんですが、メンバー自身はどんな実感なんでしょう? 今や海外転戦も日常事ですから、特別に思うこともないのかもしれませんが。
Koie:いや、そんなことはないですよ。いわゆる俺たちみたいな、ラウド・ロック、メタルコア/スクリーモと言われるジャンルのバンドが必ずや通っていく道を歩んできているのは確かですね。アメリカの“Warped Tour”であったり、ヨーロッパの“Download”や“Reading”といったフェスティバルもこなしてきて、去年はヘッドライナーとして初めてUKツアーもやることができて。海外でのレコーディングも経験しましたし。ただ、まだまだプレイしていない場所、出会ったことがない人たちはたくさんいる。その中で、やるべきことは限りなくあるし、海外に行くたびに新鮮に感じたり、考えることは、すごくたくさんあるんですよ。
Tatsuya:海外ツアー自体は昔からやりたかった憧れやし、実際に廻っていても楽しいんですけど、やっぱり、回数を重ねていく中で、どんどん感じられることも変わってくるんですよ。初めてやったら、景色の違いだとか、売ってるものが違うとか、何でも新鮮に感じられる。でもそのうちに、今までは気付けなかった街の歴史とかじゃないですけど、そういう面にも目が向くようになったり、いろんなものを吸収しながら、新たに作っていきたい音楽についての考えも自然に生まれてくるんですね。
──『APOCALYZE』というアルバムに伴うツアーゆえの特別なことも感じたりはしました?
Koie:まぁ、2年前の話なんで、明確には覚えてないですけど…ひょっとしたらお客さんがそこまで望んでいるかどうか分かりませんが、作っている側からすれば、新曲を第一にプレイして、見せたい気持ちがありますよね。曲はライブで成長させていくところがあるし。武器を作って、アルバムを作って世界を廻る。バンドっていうのはそういうルーティンの繰り返しだと思うんですよ。でも、毎回、作品を出すたびに新たな発見はありますよね、同じ曲はないわけですから。
Hiro:言うたら、『APOCALYZE』は自分たちが海外ツアーを始めてからできた初めてのアルバムなので、そこは大きいかもしれないですね。フェスティバルとかでの大きなステージを見て、こういう場所やったらこんな曲が映えるんやなとか、そういう思いがメンバーみんなの中にあるところで作ったアルバムなんですよ。そんな中で生まれた曲を持って廻るツアーという点でも初めての経験だったので、そこはちょっと違いましたね。
Kazuki:同じツアーって二度とないんですよね。対バン形式のものにしても、フェスティバルにしても、毎回違う。前作以降、海外でのライブがさらに増えてきましたけど、その中で自分がどう受け入れるのか、何を拾っていこうとするのかみたいなところは、ちょっと敏感になり始めてました。拾おうと思わないと見すごしてしまうんですよ。そこは自分の中で変わっていったところではありましたね。そういう気持ちの中で、新たな曲とかも生まれるものやと思いますから。
──何気なくすごすこともできるけれど、一瞬一瞬がいかに大事かということですよね。『XENO』に向けた曲作りは、いつ頃から始まったのでしょうか? 昨年秋には「MADNESS」というシングルの発表もありましたが。
Koie:具体的に曲作りを始めたのは、2014年の秋ぐらいからなんですけど、去年はいろんなことがあって、『XENO』を作ろうとなるまでに結構時間が掛かったんですよ。「MADNESS」の制作も順風満帆に行ったわけではなくて。今までバンドが迎えたことのなかったピンチに陥った瞬間だったというか…簡潔に言えばね。そこにKazukiの脳出血という、バンドをやってきた中で一番大きな出来事が重なってきて。そこで活動休止も含めて、メンバーで話し合ったんですけど、Kazukiは「Crossfaithの活動を止めないでくれ」と言ってくれたんですよ。そこから、じゃあ、(当初の計画通りに)アルバムを作ろうって結論に至って。「MADNESS」で俺たちが表現しきれなかったCrossfaithらしさ、自分たちがどういうバンドでどんな存在なのかを、もう一度メンバー全員で見つめ直した上で、制作に入っていったんですね。でも、『XENO』に入っている曲の中には、「MADNESS」のときにシングル用に書いていたものやパーツもあるんです。例えば、「Dystopia」はひな形もできている状態でしたね。
──では、「MADNESS」はどういった作品だったと?
Koie:デイヴィッド・ベンデスというプロデューサーとの仕事だったんですけど、俺たちが彼に対して求めていたのは、クリーンをはじめとするボーカル・ワークだったり、曲の構成だったりしたんですね。ただ、俺たちの武器である、激しい部分、エクストリームな部分というのが、彼の持つ明確なセオリーの上にはなかったんですよ。極端な話、「ブレイクダウンなんかいらん」「シャウトしてるパートなんか、どうでもいい」みたいな。でも、俺らからしたら、“そこを抜くとCrossfaithじゃない”っていう思いもある。だから、どの曲をシングルにするのかという話もすごく難航して、そんな中でTeruが、こういう曲はどうやろうって作ったのが「MADNESS」だったんです。最後にできた曲だったから、編曲もほぼTeruがやって、メロディー・ラインもTeruが考えたり、バンド全員がフォーカスしてできたものではないような感覚が俺にはあったんですよ。言うたら、満足に自分たちの作りたい音楽に向き合う時間より、ベンデスとの間でのやりとりに時間を取った感じだったんです。だから、メンバー全員…腑に落ちないという言い方が一番分かりやすいと思うんですけどね(笑)。作り終えたのは作り終えたし、自分たちの楽曲だから、1曲1曲、すべてに愛があって、歌詞にも意味があるんですけど、自分たちのやりたいことができなかったという思いは、実際にはありました。その反面、ベンデスから教えてもらったこともたくさんあるんですね。曲の作り方であったり、コード進行の大事さとかっていうのは、やっぱり学ぶ部分が多かった。ただ、俺たちのバンドとしての曲作りの仕方、セルフ・プロデュースの仕方が、彼のプロデュースの方法と上手く噛み合わなかったんです。彼の作るアルバムを聴けば、デイヴィッド・ベンデスっぽい曲、メロディー作りがすぐに分かるんですけど、今回の『XENO』で一緒にやったジョシュ・ウィルバーはそれとは逆で、言うたら、バンドの持ち味を出してくれる人だったんですよ。そこに辿り着くまでには、「MADNESS」は絶対に通らないといけない道だったんじゃないかなと思います。
──とすると、早い段階で次は別のプロデューサーと組もうという考え方にもなったんでしょうね。
Koie:もともとはアルバムもベンデスと作る予定だったんですよ。でも、俺たちは彼とは組めないという判断で、Crossfaithの海外チームにも相談して。そういう状況とKazukiの件が重なったところで、もう一回、結成してから経験してきたすべてのことを見直して、自分たちが最強と思えるものを作ろうっていうのが、『XENO』の始まりでしたね。
──今年2月に行われた「MADNESS」に伴うツアーの最終日、東京の新木場スタジオコースト公演のとき、Kazukiくんはライブには出て来られないけれど、次のアルバムの曲作りをしていると、ファンの前で発表しましたよね。もちろん、その瞬間に場内はものすごく沸きましたが、Kazukiくんが音源の制作には関われる状態にあることを知って、みんな安心したと思います。
Kazuki:まず、手がだんだん動かなくなってきて、曲の頭から最後までしっかり弾けない状態になっていったんですよ。だから、ステージに立つレベルに達していないような状態でライブをやったとしても、僕の中で何も生まれないし、何かを与えることもできない。そう感じたんですね。ただ、バンド自体も活動休止をしようかという話が出たとき、それもちょっと違うなと思ったんです。Crossfaithというバンドは生き続けて欲しいというか、その時点で決まっていることもたくさんあったし、それは全部がチャンスですからね。それを簡単に潰したくないなと思ったんですよ。だから、みんなには負担を掛けるけど、サポート・メンバーを迎えて活動を続けて欲しいとメンバーには言いました。サポートしてくれているTamaさんも10年以上の付き合いで、僕が尊敬している人なんですよ。でも、曲作りはライブとはまた違って、ギターが弾けなくてもイメージは頭の中で描くことができるし、今はすごく便利な作曲ツールがいろいろある。ライブはできひんけども、そういう形で裏の諸々のことは俺もするからってことは、その時点で決めていたんです。だから…伝え方として、ちょっと説明不足だったんですよね。ライブ活動は休止です、でも、バンド活動は休止しないですってことだったので。実際、脳出血といったら、結構ヘヴィなイメージがあると思うんですよ。ただ、僕は比較的軽症というか、ちょっと左半身麻痺ぐらいで済んでいたんですね。発見が早かったので、命に関わるようなところまではいかず、身体は元気やったんですよ。
──今はこうして取材の場にも出てきていただけるわけですから、嬉しいことですよ。実際に今回のアルバムに向けては、どれぐらいの曲が用意されたんですか?
Koie:アルバムに入ってる曲の他に2〜3曲ですかね。でも、選ぶのにはそんなに迷うこともなかったです。さっきも言ったように、「MADNESS」のときに使われることなく、お蔵入りしていた曲などもあったんですが、基本的には、このアルバムに入れるべきものかどうか、そういうプライオリティーの置き方で考えていました。
Tatsuya:『XENO』を作る前に、全体像の青写真みたいなものをメンバーみんなで共有してたんです。1曲目はどういう曲が来て、途中でこういう曲が入ってとか。そこに向かって、メイン・ソングライターのKazukiとTeruが考えていったんですよ。だからわりとスムーズというかね。
Koie:そう、パズルのピースを埋めていくようなものでしたね。
──その“青写真”をより具体的に言うこともできますか?
Koie:Teruが最初に言ってたのは、“生と死”、“輪廻転生”、そういう二面性を持ったものを作りたいというところでしたね。そのアイディアをもとに、みんなでいろんなイメージを言い合って。さっきTatsuyaが言ってた、1曲目だったら『スターウォーズ』みたいに途中から始まって、そこからまた違う世界に行くみたいな。じゃあ、ここにはこういう曲が欲しいよねっていう感じでピースを埋めていって。さらにそういうストーリーだけじゃなくて、音楽的に見て、こういう並びの方がいいんじゃないかといった話もしながら、曲作りを進めていった感じでしたね。とはいえ、“じゃあこの曲はオペラ調の曲”“ここは絶対にバラードで”みたいに、明確なコンセプト・アルバムとして作っていったわけではないんです。フワッとした青写真なんで。
──フワッとしていながらも全員で共有できるところが、今のCrossfaithの強みなんでしょうね。
Koie:まぁ、そうですね。ただ、2人のソングライターがしっかりいて、自分たちが見ているビジョンは基本的に今までも共有していたつもりなんですよ。どういうものがカッコいいのか、カッコ悪いか、その基準となるラインがある程度は一緒じゃないと、バラバラの作品になってしまいますし。だから、“Crossfaithらしいもの”というのはそこなんですよね。とはいえ、1人ですべてを作るわけじゃないから、絶対にこうじゃなきゃあかんというバンドではない。全員で肉付けしていきますからね。KazukiやTeruが作ってくるものから、他のメンバーがインスピレーションを受けて、さらにカッコ良くなる完成形を想像できる。そこでの意思の疎通はできていると俺は思ってますけどね。
Hiro:『XENO』に関しては、今までのレコーディングとまったく違う方法だったことも大きいと思うんですよ。一般的にはドラムから録ることが多いですけど、今回はギターから録り始めたんです。レコーディングの前にまず1週間、自分たちが持ってきた曲をもう1回、ジョシュと話しながら、改めてアレンジを繰り返していって、アイディアが固まったものを電子ドラムで録ってデータにする、そこから始まっていったんですね。だから、ドラムのレコーディングは最後にやったんですよ。それによって、レコーディングの間でも、ギターとベースも、言うたら、リアレンジが何度もできるというか、曲に対する新たなアイディアがポッと出たら、それにみんなが臨機応変に対応することができる。もともとあったイメージも共有しつつ、さらに毎日の中で出た要素も掛け合わせていったから、ホントに最初から最後まで、みんながずっと動いている感じがあって。1つひとつのパーツに対しても、より鮮明にそれぞれが自分をぶつけられた感覚はありますね。
Koie:LAに行ってから作ったものも数曲あるんですけど、今回はしっかりプリプロをする時間も取れたので、大まかな全貌は日本にいるときにできてたんですね。それをさらに練り直していった。レコーディングもボーカルとギターから始めて…。
──ギターのみならず、ボーカルも先に録ってたんですね。
Koie:そう。ボーカルは機材のセッティングをする必要がないですからね。それに(オケが)全部できてから録るとなると、時間も限られてくる。だから、ジョシュが提示してくれた方法は、曲をアレンジする上でもそうやし、トラッキングの方法としても合理的なんですよね。全パートが、曲のテーマやコンセプトに寄り添って肉付けをしていくことができる。粘土みたいに捏ね直すこともできるし、焼きの段階まで成形できるというか、最後の最後までこだわることができる、すごくいい方法やったと思いますね。
Tatsuya:うん。無駄がなく詰められるというか。
──とはいえ、言わばプリプロを2度にわたって行っただけに、録っている間は、曲が大幅に変わることはなかったのではないかと思いますが…。
Koie:いや、ディテールはそこでだいぶ組み直しましたね。つまり、ドラムをまだ録ってないから、例えば、ここでは16小節延ばしてギター・ソロを入れようとか、そういうこともすぐにできるんで。
Kazuki:そう。アクセントが決まってない分、自由度がすごく高いんですよね。今までのようにドラムを先に録っていたら、そこに合わせなきゃならないけど、それがない分、イメージが湧いた瞬間に、それを入れることができる。その意味では、1曲1曲、細かいところまで妥協なく、理想の形に仕上げられたんじゃないかなと思います。
Koie:ドラムから始めるのがセオリーになってきてるけど、よく考えたら、別にドラムから始める必要なんてまったくないのにってところですね。意外と盲点やったなって。ドラマーにとっても、オケが入っている状態で叩けるというのは違いますからね。
Tatsuya:このやり方が、むちゃくちゃCrossfaithというバンドにも合ってたし、ドラマーとしても、毎日進行していく状態を聴けているので、その明確なイメージをもとに、自分もそれに対してフォーカスを当てて考えることができたんですよ。だからこそ、より細かいところのクオリティーも上げることができましたし、1曲1曲に対する、よりディープなところを詰められたりして。そういうところが、進化したサウンドに繋がってるなぁと思いますね。
──ドラムが惹き付ける場面が従来以上に多く思えるのは、曲の全体像を踏まえた上で叩いていることも無関係ではなさそうですね。
Tatsuya:ドラムもそうだし、他のパートもそうですね。全体像が見えている状態で制作できるから、抑揚をホンマに上手いこと付けられるというか。例えば、ここはギターがむちゃくちゃ出るからドラムは引っ込めようとか、ここはボーカルがあるからドラムのアクセントもそこに合わせようとか。
Kazuki:“これがCrossfaith!”っていうアルバムになりましたね。
──アルバム・タイトルの“XENO”なる言葉の由来は?
Koie: LAでプリプロをしているときも、まだタイトルはついてなくて、その当時は「Xeno」という曲もできてなかったんですよ。むしろ、当初はセルフ・タイトルでいいんじゃないかって勢いだったんですけど、『ZION EP』であったり、『APOCALYZE』だったり、今までの作品がちょっと引っ掛かりのある、自分たちの中での合言葉みたいなものでもあったので、やっぱり、そういう言葉をタイトルにしようということになって。そんなときにTeruが“XENO”はどうだろうと提案してきて。意味的には、未知なるものってことなんですよね。
Hiro:SF的な要素を含んだ言葉でもありますね。
Koie:うん。そういうところもCrossfaithのイメージにピッタリだし、今の俺たちのサウンドとか、世界においてのCrossfaithの存在っていうのを表すのに最も相応しい言葉やなって。
──このインタビューが読まれる頃には、東名阪を廻るZeppツアーや世界遺産である日光山輪王寺でのライブも終了していますが、その後については?
Koie: 日本ではちょいちょいHEY-SMITHのツアーに出つつ、11月は今回の“Wildfire”でフィーチャリングしているベンジー・ウェッブ(Vo)のいるSKINDREDとUKツアーですね。
Hiro:日本に帰ってきたら、“OzzFest”(11月21日=幕張メッセ)がありますね。
Koie: 10月は曲作りで…修行タイムですね(笑)。
──そこでの新曲も楽しみです。『XENO』に耳を傾けるだけでも、ステージで映えるであろう曲作りの巧さが分かりますが、今やそういった意識を向けずとも、自然に生まれるところはあるんでしょうね。
Koie: いや、やっぱり意識しますよ。特に(クリーン・ボイスの)歌を入れるようになってからはね。今ライブとかで歌われている曲っていうのは、計算されたものだと思うんですよ。例えば、BRING ME THE HORIZONの新曲(「Throne」)も、そういう部分が上手いこと組み上げられている。でも、ロックが持っている大事な部分は残しつつなんですよ。そういう最高のバランスを考えていきたいですね。