ニューヨークを拠点にロックの瞬間を撮り続けていたフォトグラファー、デヴィッド・タン氏の「デヴィッド・タン写真集」発売記念トーク・イベントが4月22日ジュンク堂池袋本店にて開催された。ゲストは元ミュージック・ライフ編集長、東郷かおる子さん。本書の編集を担当した赤尾美香さんの司会によりイベントは進行した。またこの前後の期間、同時期にミュージック・ライフ誌上でロック・シーンを撮り続けた長谷部宏氏、浅沼ワタル氏、ウイリアム・ヘイムス氏といったフォトグラファーの作品も会場内に展示された。
ニューヨークに住んでるっていう生活感がデヴィッドさんにはあったから、知らず知らずのうちにミュージシャンの懐に入り込む──みたいなところはありますよね。 東郷かおる子
赤尾美香(以下赤尾):元ミュージック・ライフ(I以下ML)編集部の赤尾と申します、よろしくお願いいたします。
東郷かおる子(以下東郷):東郷です、よろしくお願いいたします。
赤尾:私が編集を担当させていただいた「デヴィッド・タン写真集」発売記念ということで、まず今日はデヴィッドさんのお話をしていこうと思います。
東郷:当時のMLを読んでいらっしゃった方の中にはデヴィッド・タンさん、長谷部宏さん、浅沼ワタルさんとかの名前をご存知の方もいらっしゃると思います。
赤尾:東郷さんは初めてデヴィッドさんとお会いした頃のことは覚えてらっしゃいます?
東郷:さすがにもう頭が霞んでる状態なんですけど(笑)、多分、洋子さん(林 洋子:MLのNY在住記者、デヴィッドさんの奥様)より先にデヴィッドさんを先代の草野社長から紹介されたんじゃないかな。草野さんはニューヨークにもよく行ってたので、そこでデヴィッドさんと知り合い仕事を手伝ってもらって縁ができたそうです。デヴィッドさんは最初からロックを撮っていたわけじゃなくて、最初はジャズを撮ってらして、ニューポート・ジャズ・フェスティバルとかの写真を見せていただいたことはありました。
赤尾:ウッドストック・フェスにも行かれてるんですよね。
東郷:そうなんですよ、長谷部さんは別としても時期的に現場でロック関連の写真を撮るのが早かったフォトグラファーの一人ですね。
赤尾:ただ、ステージにはたどり着けなかったということです。
東郷:ウッドストックの映画をみればわかると思いますが、どこがステージで、どこまでがミュージシャンなのか観客なのかよくわからなかったという話は聞きました。
赤尾:先ほどお話しに出た洋子さんとデヴィッドさんはチームを組んで、ニューヨークはもちろん全米の取材をしていただきました。
東郷:デヴィッドさんの方が先にMLと仕事をしていて、パートナーの洋子さんが英語もできたし原稿を書けたので。彼、彼女らがいたあの頃のニューヨークは本当に動いていた時期だったから、面白い記事をいっぱい書いてもらいました。
赤尾:デヴィッド・タンさんはタイのバンコク出身で、中学生の頃日本で学校に行きたい──ということで、知り合いのツテを辿って来日。高校、大学を日本で卒業されてジャズの写真を撮りたくてニューヨークに。そこでアルバイトをしながら写真を撮り始めて、当時のシンコーミュージックの駐在員と知り合って──という流れなので、タイ語、中国語、英語、日本語ができた方。
東郷:日本語でも何の支障もありませんでした。
赤尾:シンコーミュージックにはすごい量の写真のストックがあって、この写真集を作る時に色々と探したら、当時アメリカから送られてきた封筒のままで保管されている物もあって、そこに1969年のジャニス・ジョプリンのマジソン・スクエア・ガーデンでのステージ写真と、デヴィッドさんの手書きの原稿が一緒に入っていて、下手な日本人が書くより上手な文章で漢字の間違いもなかったのでびっくりしました。
東郷:ジャニス・ジョプリンをあの時代に撮ってる人も珍しいですよ。
赤尾:驚いたのは原稿の中に「会場には若い女の子が多かった」と書いてあって、当時ジャニスの客層がそういう感じだったんだっていうのは新しい発見でした。
東郷:男性ファンにニッコリするよりも、女の子たちに姉御みたいな感じで人気があったのかも。
赤尾:今で言うテイラー・スウィフトとかビリー・アイリッシュみたいに若い女の子のロール・モデルとなる存在だったのかも。
東郷:当時、ジム・モリソンやジャニスといった伝説的な人物のコンサートは日本では行われなかったから、私たちは知る由もないわけですよ、あんなに好きだったのに。今から思えばそれが残念ですね。
東郷さん思い出の「デヴィッド・タンさんとの仕事」
赤尾:東郷さんがデヴィッドさんと一緒にされたお仕事で印象に残っているのは何ですか?
東郷:それはもう決まってるんです(笑)、ダリル・ホールとジョン・オーツ。写真集に載っているのは主に80年代になって彼らが凄い人気を博した頃のものなんですけど、初めて取材ができたのは70年代中期頃。当時のMLを見てみると、クイーン、KISS、エアロスミスの時代。そこにホール&オーツを載せると、“なんだこれ!?”ってなるわけですよ。日本のファンも音楽のいろんなジャンルを把握し切れず、提供する私たちも勉強が足りてない。そこでホール&オーツみたいなブルー・アイド・ソウルは日本では売れにくかったんです。だからどうなるかな──と思ったんですけど……、いきなりジョン・オーツのグリニッジ・ヴィレッジのアパートで取材ができると言われて、ええっ?ってなりましてね。私は当時からファンだったけど、アーティスト写真でしか知らなかったから、どういう動きをして何を話すのか本物はどういう人なのか全然わからなかった。それが完全にガタガタガタとファンになっちゃったのが、デヴィッドさんと一緒にジョン・オーツのアパートに行ってから。まず、ノックする手が震えて、開いた扉の向こうでジョンが出迎えてくれたんです、彼は本当に人当たりが良くて優しい人で “どうぞ入って、ダリルも来てるから“って。私がふっと視線を外したその先にダリル・ホールがいたんです。もう、見た途端声が出なくなりましたね、あまりに美しくて。ジョンに、“これがML誌で、こちらがカメラマンのデヴィッド・タンで”と紹介すると、“僕はジョン・オーツ、彼がダリルだよ“って言う、そうするとダリルがパッと顔を上げるんですけど、どうしても視線が合っちゃうから、こっちはいきなり視線を外したりしてね。
赤尾:乙女ですね。
東郷:もうあんなに私を乙女にさせる部分がある人はいません!
赤尾:乙女の東郷さん見たかった(笑)。そういう時、デヴィッドさんはどういう反応なんですか。
東郷:私のことを笑って見てました。大丈夫?とか言いながら。大丈夫じゃないって思いましたけど。
赤尾:すごく穏やかな方なんですよ。いつもニコニコしていてがっついたところは微塵もない。
東郷:ここには飾っていませんけれど、私が初めてホール&オーツを取材して、彼らも日本人からの取材は初めてだった時の写真があるんです。その時の写真の方が大人気者になる前の生身のホール&オーツを感じて、いい写真が多かったですね。
赤尾:MLでもホール&オーツの増刊号を出していて、そこで使用したデヴィッドさんの写真がたくさん出てきたんです。この写真集には彼らがアポロ・シアターに出た時の写真も入っていて、洋子さんによるとその時の二人はソウル・レジェンド(テンプテーションズ:デヴィッド・ラフィン、エディ・ケンドリックス)と共演して本当に嬉しそうだったと。ブルー・アイド・ソウルと呼ばれた二人の歴史的な瞬間をデヴィッドさんが撮影されたのも、長年の信頼関係があってのものだと思います。
東郷:インタビューをして、写真を撮って──と取材をしているうちにいい関係になれたんです。全米ツアーを何ヵ所かデヴィッドさんが撮って洋子さんにレポートしてもらったこともあるし、アポロ・シアターの時のインタビュー・カットもすごくリラックスした表情をしていた。
赤尾:日本ではすごい人気があったバンドじゃないけれど、J.ガイルズ・バンドをオークランドのスタジアムで撮ってるんですね。それもステージ袖のアングルから。そこから撮れるのはオフィシャル・カメラマンか限られた人だけ。で、さっきその話をしたら東郷さんもその場にいらしてたことがわかりました。
東郷:ステージの脇に立って観てました。
赤尾:デヴィッドさんも洋子さんもミュージシャンとお友達になりたい──っていうタイプじゃないんです。そのいい距離で逆に寄ってくる人たちがいて、その内の一人がピーター・ウルフ(J.ガイルズ・バンドのヴォーカリスト)で、フェイ・ダナウェイと結婚していた時に、家に帰りたくない場合とかはデヴィッドさんや洋子さんを捉まえて、飲みに行こうとか、これからインタビューしようとか言ってくるんですって。夜一緒にお墓を散歩したこともあるって言ってました(笑)。それに付き合うのがデヴィッドさんと洋子さんだったんです。
デヴィッドさんが撮ったオフ・ステージのミックとキース
赤尾:ここに展示してない写真ですが、東郷さんはミック・ジャガーの取材もありますね。
東郷:1983年アルバム『アンダーカバー』を録音している最中で、通常はレコード会社やマネージメントを通して取材のオファーを行うんですが、この時は当時のミックの弁護士とシンコーの草野社長が懇意にしていたので、その方を通して話が進み5日間の予定でニューヨークに行きました。ただいつ取材ができるのかわからない、秘書の女性からは“滞在中で都合のいい日に連絡する”と言われたんですけど、だいたいそういう場合は最終日なんです。案の定最初の4日間はホテルで電話を待つだけ、ニューヨークにいるのに一歩も外に出られなかった。結局最終日に、“取材ができるから、すぐ来て”という電話で、急いでデヴィッドさんに連絡をしてタクシーで乗り付けたのがミックの個人的なオフィス。普通ミックと一対一で取材ができるなんて中々ないわけで、ドキドキするのかな──と思ったけれど全然しなくて、会ったら普通のオジさんした。でもとっても感じのいい人で、例えれば〈明日からカバンを持って勤めに行く銀行員〉みたいなタイプ。要するに常識人、だからキース・リチャーズとは全然違う。でもキースもインタビューしましたけど、それほどヨレヨレなわけじゃないし率直ないい人でした。
赤尾:今回、(写真集の)表紙がニュー・バーバリアンズのニューヨー公演でのキース。中頁にはデヴィッドさんがバルバドスのビーチで撮ったキースが載っています。デヴィッドさんも洋子さんもお気に入りの写真で、ちょうど東郷さんが編集長時代の取材ですが、この時のことは覚えてらっしゃいますか。
東郷:覚えてますよ、洋子さんは、ストーンズやキースに詳しいとかよく知ってる──というんじゃないですけど、2日間に亘ってすごくいいインタビューが取れたんです。それというのも、途中から洋子さんがキースに惚れ込んじゃって、“あんなに純粋ないい人はいない”って、すごくいい時間が過ごせたそうなんです。写真にもそんな感じが溢れてるでしょ。
赤尾:そうですね。家族も一緒にいた休暇の合間の取材ですしね。
東郷:キースもすごくリラックスしていて、あんな表情はなかなか珍しい。デヴィッドさんが自然に柔らかい感じで撮ったんだなと。
デヴィッド・タンさんはどんなカメラマン?
赤尾:東郷さんからみて、長谷部さん、浅沼さん、ウイリアムさん、タンさんはそれぞれどんなカメラマンですか?
東郷:長谷部さんは最初日本映画の写真を撮ることから入って、草野社長と知り合って音楽の写真を撮るようになった。長谷部さんのすごいところは、全然ロック・ファンでもなんでもないんだけど、撮ったミュージシャンから絶対に好かれる。どうしてかって言うと変に詳しくないからすごく素直に写真が撮れる人。わからないことは“俺はなんにも知らない、わかんないよ”って言いながら写真を撮ってる、そういうところは他の人は真似できない独特のセンスがありますよね。長谷部さんもそうですけど、それぞれのカメラマンが撮った写真を見るとその人の人間性みたいなものが出るじゃない。デヴィッドさんはなんとなく柔らかいけれど、でもどこか芯がある。2人には、私が色々とできもしない無理を言って撮ってもらった写真もありますけどね。ウイリアム・ヘイムスさんは先ほどの2人よりだいぶ若いし、音楽も好きだったらからまた少しスタンスが違いますよね。
赤尾:ウイリアムさんと初めて取材でご一緒したのがアトランタのブラック・クロウズで、ZZトップと行ったツアー。この日のステージでの発言が元でブラック・クロウズがクビを切られた場面に出くわしたとき、ウイリアムさんが“この後長居しないほうがいい、今日は荒れるから”と一緒にサッサと帰ったのを覚えてます。もちろん英語もできるしそういうのを察知するのが早い! この人凄いと思いました。この事件は翌日の『アトランタ・ジャーナル』の一面を飾りました。また、デヴィッド・タンさんには一緒に取材で訪れた土地に関する歴史などいろいろと教えていただきました。 今日は色々な写真が展示されてますけど、東郷さんが見渡した中で写真として“これは好きだな~”というのはどれですか?
東郷:私が好きなのは人がグワ~っといる中、実は私もいたのよねっていうJ.ガイルズ・バンドのステージ写真。初期のKISSの写真も中々いいですよね。
赤尾:79年くらい。海外のメディアが取材をしているところをデヴィッドさんが脇から撮っているもので鏡にデヴィッドさんが写り込んでます。私もあの写真好きです。あと、いかにもヴァン・ヘイレンなライヴ写真も好き。ここには飾っていないんですが、ステージにフレディが座り込んでちょっと下を向いているクイーンの写真もいいんですよ。クイーンの写真でああ言う風なのは見たことがなくて。ライヴの静と動を逃さずシャッターを切れるカメラマンってやっぱり凄いなって思います。
東郷:ニューヨークに住んでるっていう生活感がデヴィッドさんにはあったから、知らず知らずのうちにミュージシャンの懐に入り込む──みたいなところはありますよね。
赤尾:最後に、そのニューヨークの五番街にあったデヴィッドさんの自宅兼スタジオにあった柱の話を東郷さんからしていただきたいなと思います。
東郷:洋子さんとデヴィッドさんが住んでいた、割と広いフラットの中央に丸い柱があって、そこにいろんなミュージシャンのサインが書いてあるんです。スタジオ兼でしたからそこで撮影したミュージシャンはその柱にサインをするのが一種の儀式みたいになっていて、なんとなく私が覚えているのが、カート・コバーンのサインがあったこと。感慨深いものがあるなぁ──なんて言ってるうちにデヴィッドさんは病気で亡くなり、洋子さんは日本へ戻ってらして。あの柱はいったいどうしたのか──。
赤尾:次に住む方が、柱はとっておく──と仰っていたそうなんです。洋子さんによると、最初サインを書き始めたのはロバート・プラントで、部屋にあったブルースのレコードが未開封なのを見て、“開いてないじゃないか、ちゃんと聴かなけりゃダメだ、次に来た時には確認するぞ、とりあえず今日来た証を残しておく”と柱にサインしたらしいんです。そうしたらロバート・プラントが書いたのなら僕も書きたい──と、柱にサインが溜まったという逸話があります。
東郷:あの柱切り取って欲しいくらい、いろんな人のサインがありましたから。
赤尾:デヴィッド・タンさんが亡くなられてずいぶん経ちますけれども、今回こういった形で写真集にできて私は嬉しいなと思います、これで少しでもタンさんに恩返しができたらと。皆さんも是非写真集をご覧いただければと思います。本日はどうもありがとうございました。
(場内大拍手)
書籍のご案内
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ROCK PIX NEW YORK デヴィッド・タン写真集
A4判 / 224ページ / ¥ 3,960
ロックの現場の最前線ニューヨーク在住カメラマン、デヴィッド・タン初の写真集ストーンズ、ツェッペリン、エアロスミス、クイーン、KISS、ヴァン・ヘイレン、AC/DC、スプリングスティーン、ボン・ジョヴィ、ニルヴァーナ……ロック黄金時代を1冊に凝縮!!
60年代から90年代まで、ニューヨークに暮らし、『ミュージック・ライフ』『BURRN!』『クロスビート』『ロックショウ』などで活躍したカメラマン、デヴィッド・タン初の写真集。ウッドストックやジャニス・ジョプリンからエアロスミス、KISS、チープ・トリック、ヴァン・ヘイレンなどアメリカ勢はもちろん、ストーンズ、ツェッペリン、クイーン、ジギー時代を含むデヴィッド・ボウイらの全米ツアー/プロモーション。そして90年代のニルヴァーナ、レッチリに至るまで、ニューヨークを中心に全米各地を追ったミュージシャンたちの姿や素顔を切り取った写真の数々は、唯一無二の魅力を放っている。ロックの現場の第一線に立ち続けて撮影した膨大な作品の中から、未公開を含む約270点以上を収録。