1971年8月6日、7日。日本初の本格的「野外ロック・コンサート」とも言われた「箱根アフロディーテ」がピンク・フロイドをメイン・アクトに据え開催された。それから50年後の2021年8月6日、7日、「追憶のピンク・フロイド」として、奇跡的に発見された当時の模様を捉えた映像上映と共に、ピンク・フロイドが演奏した楽曲を家庭用最高音質のオーディオ(総額1,000万円!)で再現して体験する──というイベントが、アフロディーテゆかりの地、彫刻の森美術館で開催された。 2日間、それぞれ2回、計4名のトークゲストを迎えての「追憶のピンク・フロイド」。今回はその2日目の模様をレポート。第一回のゲストは亀渕昭信氏。亀渕氏は「箱根アフロディーテ」の運営スタッフとしてステージ制作などに関わっていた。第二回は松任谷正隆氏がゲスト。当時19歳の松任谷氏はコンサートに出演した他の日本人アーティストが目当ての観客として、ピンク・フロイドのステージに接していた。それぞれの違った角度からのお話を紹介しながらレポートを進めたい。イベントの総合司会は立川直樹氏が担当された。

 

 

2021年8月7日 彫刻の森美術館における「追憶のピンク・フロイド」イベントレポート

「追憶のピンク・フロイド」 8月7日 第一回 立川直樹×亀渕昭信

写真左より 亀渕昭信氏、立川直樹氏

 

立川直樹(以下立川):こんにちは立川です。8月4日にピンク・フロイドが「原子心母」をアフロディーテで演奏している映像と音を3年間かけてキレイに修復したBlu-rayと、『原子心母(Atom Heart Mother)』の紙ジャケットCDに未発表写真多数掲載のフォトブックやデジタルブックレット他様々な付録がついた日本独自の企画『原子心母:箱根アフロディーテ50周年記念盤』が発売されました。その特典ライヴ映像の「原子心母」を最初にご覧にいれます。続いては8月7日にのみ演奏された「グリーン・イズ・ザ・カラー」を挟んで「ユージン、斧に気をつけろ」「エコーズ」「太陽賛歌」「神秘」をアナログ盤で聴いていただきます。「グリーン〜」は映画『モア』のサウンド・トラックから、「ユージン〜」「太陽賛歌」「神秘」は1969年のライヴが収録されたアルバム『ウマグマ』のハーベスト原盤のアナログで、「エコーズ」は1971年11月に発売された『おせっかい(Meddle)』から聴いていただきます。 ではまず、ゲストをお呼びいたします、1971年の「箱根アフロディーテ」の現場を仕切ってらして、『原子心母(Atom Heart Mother)』のCDの付録に詳しい原稿を書かれている亀渕昭信さんです。

亀渕昭信(以下亀渕):こんにちは亀渕です、よろしくお願いいたします。(大拍手)

立川:さっきまで(50年前同様)霧が出てましたね。

亀渕:山の天気だから霧は出るんですけどね、実は(笑)。昨晩立川さんと夕食を一緒にしていろいろとお話ししたんですけど、今回のイベントの関係者は立川さんも、オーディオを担当されたテクニクスの上松さんも、「原子心母」の映像を復刻されたソニーの白木さんも凄いなぁ共通点があるなぁ…と思ったのは、みんなレコードが大好き、音楽嫌いは誰もいない──そんな人ばかりが揃ったイベントなんです。そんなところに感動してね。

立川:昨日も「僕ら現物が好きだよね」って話になって、びっくりしたのは、亀渕さんは1971年当時の手帳を持ってらして。

亀渕:今回のアルバムの付録に書いた僕の原稿、日付がきちんと書いてあることを不思議に思った方もいらしたんですが、実は毎年つけていた自分のスケジュール帳を持っていて、これが1971年の手帳です(ページをめくりながら)例えば、9月24日レッド・ツェッペリン、6月25日箱根下見GOって書いてある。8月の放送本番の時には、箱根8月4日、5日、6日、7日。

立川:4日に箱根に入ったんですね。

亀渕:そう、4日に入って5日に一生懸命仕込みやって、6日に本番があって7日に帰っちゃった。

立川:二日目の夜は観てない?

亀渕:ラジオの仕事が入ってたんで帰っちゃった。だから今日(二日目)のことは知らないんですよ(笑)。

立川:僕が一番訊きたかったのは、当時、なぜ箱根でアフロディーテっていうものをやるに至ったのかってこと。

亀渕:そうですよね、実は僕はそんなに偉そうなことは言えないんです。一応中堅どころということで、大きなステージの方の進行係をやったんですけども、社内のヒエラルキー的には間違いなく下の方で、何が動かせる…とかそういうことじゃなくて、命令を忠実にするとかそういう仕事が多かった。だから今の質問に対して、ひとつ言えるのはニッポン放送という会社はTBSラジオや、文化放送の次にできたAM放送局なので、先輩たちに追いつき追い越せ!っていう気持ちがものすごく強かったんですね。それで、勉強のために海外の音楽イベントを実際に観て──。

立川:羨ましいのは1967年のモンタレー・ポップ・フェスティバルに行ってるんですよね。

亀渕:モンタレー・ポップ・フェスティバルは自費で行ったの。会社から一年間休ませてもらって。

立川:僕の知る限り亀渕さんだけですよ、日本人で当時モンタレー・ポップ・フェスティバルに行ったのは。

亀渕:いや、たまたま米国出張中だった当時のニッポン放送専務の石田(達郎)さんや友人たちも一緒でした。そんな風にいろいろ海外に人を派遣して勉強をさせて、この前々年かな、このイベントの事業部の方と制作部の方がアメリカとかイタリアへ行って野外のイベントを観た。で、それとは別にウッドストック・フェスティバル(1969年8月)があって、海外ではそういうイベントが盛んだね──という話になった。それでさっきのモンタレーもそうだし、あちこちで音楽祭が催されてるし、日本でもそろそろじゃないの──っていうことに。で、日本は日本ですごいのはフォークの皆さんがやっていた。

立川:中津川フォーク・ジャンボリー(第一回は1969年8月)とか。

亀渕:そう、中津川。で、負けちゃいられないってわけじゃないけども、野外で何か作れないかね──という風に盛り上がって。それで場所を探す際に、たまたまこの彫刻の森美術館の方が、箱根芦ノ湖畔乗風台の成蹊学園大学の元ゴルフ場跡を紹介してくださって、ここがいいんじゃないか…となった──という話を社内では聞いていて、それで、このアフロディーテの場所が決まったと。

立川:じゃあ、その乗風台の模様を確実に再現できる音響で聴く「原子心母(Atom Heart Mother)」。8月6日のヴァージョンです。ピンク・フロイドはジャズのバンドみたいに毎日演奏が変わるわけじゃないから基本は変わらずに。ともかく再現性はすごく高いので、お楽しみください。

 

♪「原子心母(Atom Heart Mother)」(Blu-ray映像版)

 

立川:8月6日に収録された「Atom Heart Mother」。

亀渕:素晴しいですね、実際のイベントではこういう普段のシーンはなかなか見てないし、初めて見たものがとても多いんですよ。それと解像度、映像のすごさってありますよね。一枚一枚ワンカットごとに修復して本当にキレイな映像になって、何か今の感じで。

立川:本当に、こうやっていいものが記録されて残っていたから。「Atom Heart Mother」って前の年(1970年)10月にオリジナル・アルバムが出て、オーケストラが入ってロックとクラシックの間に橋を架けたアルバム──という評価をされてたもので、こうやってロック・バンド・ヴァージョンで演奏している「Atom Heart Mother」というのは。

亀渕:これは初めて聴いたでしょう。

立川:僕らも会場で初めて聴いたとき、ピンク・フロイドの一番カッコいいところを箱根で観られたなと。で、二日目は2曲目に「グリーン・イズ・ザ・カラー」をやるんです、これは映画「モア」のサントラから。多分彼らは一日目に箱根の環境を見て、急遽この曲を入れようと思った──と僕は推測してるんですけど。

亀渕:なるほど、考えられますね。

立川:じゃ、ちょっとレコードの準備をするので話しててください(笑)。

亀渕:このアフロディーテですが、さっきもお話ししましたけど、僕は本当に大したことはしてないんです。これは誤解しないように言うと、野外のロック・コンサート…という話になりましたけど、決してそうじゃなくて、<野外で、いろんなアーティストが出てみんなで音楽を楽しみましょう>というコンセプトの家族連れのコンサートだったんです。最近の夏のフェスって家族連れも多いじゃないですが、そういうコンサートを目指してた。それでAとBという二つのステージを用意したんですけど、これは実はブッキングしたアーティストが多すぎて一つのステージじゃ処理できなくなってもう一つ作ったというのが真相なんです。でも、それはそれで面白くてナベサダ(渡辺貞夫)さんとか、成毛滋さんとかジャズやロックの方からかぐや姫もいたし。

立川:メイン・アクトはピンク・フロイドだったんだけど、それぞれのファンもいて。今日第二回のゲストの松任谷正隆さんはピンク・フロイド目当ての友達に誘われてアフロディーテに来たそうなんですけど、自分は成毛滋を見たかったから──だって。

亀渕:成毛滋さんとつのひろ(つのだ☆ひろ)さんをブッキングしたのは僕、これが唯一の仕事(笑)。あとはもう宣伝・プロモーションのブッキング。当時「オールナイト・ニッポン」で喋ってたので、宣伝を毎週毎日のようにやってた。そういえば立川さんのイベントの手伝いもやったよね。

立川:7月27日に渋谷公会堂でピンク・フロイドのウェルカム・イベントをやって亀渕さんと斎藤安弘さんと福田一郎さんでピンク・フロイドの魅力を喋って、二部で映画「アリスのレストラン」をやったんです。

亀渕:全然違うじゃない?

立川:いや、ウッドストックに出たアーロ・ガスリー(「アリスのレストラン」主演)だから。

亀渕:なるほど。だから宣伝関係をやったのがこのイベントでの僕の仕事で、あとは会場作りの肉体労働。

立川:じゃあ、二日目8月7日、「原子心母(Atom Heart Mother)」の後にやった「グリーン・イズ・ザ・カラー」を聴きましょう。

 

♪「グリーン・イズ・ザ・カラー」(『モア』)

 

立川:ピンク・フロイドが初めて映画音楽をやった『モア』のサウンド・トラック盤からの「グリーン・イズ・ザ・カラー」。初日は「ユージン、斧に気をつけろ」が2曲目だったんですけど、多分彼らはちょっとロマンティックなものを入れたらいい──と思ったんですね。

亀渕:「モア」っていう映画は、立川さんの話によると裸の女性がたくさん出てくる映画なんですって。

立川:地中海のイビサ島でのヒッピーの人たちのドラッグでの。

亀渕:いわゆる狂乱の映画。日本では危うくピンク映画として間違って上映されそうになったそうです。

立川:それで映画会社の人がピンク・フロイドというのが音楽をやっている──というので、東芝の石坂(敬一)さん(当時ピンク・フロイド担当ディレクター)に電話してきて。それで石坂さんと二人で観に行って、これは絶対ピンク・フロイドで売った方がいい──。で、「モア」となったんです。

亀渕:元は「モア」っていうタイトルじゃなかった?

立川:「海辺の快楽」

亀渕:すごいですね〜。よかったね「モア」で。

立川:さっき「Atom Heart Mother」のバンド・ヴァージョンをやったじゃないですか、で、昨日つなげて「ユージン、斧に気をつけろ」を聴いたら、これが1969年6月のライヴで「Atom Heart Mother」とまったく音楽性が同じなんですよ、音響の感じが。だから69年から71年の間のピンク・フロイドが最もアグレッシヴな活動をしていたときの一番すごかったものを箱根に持ってきたんです。

亀渕:なるほどね。

立川:これから「ユージン、斧に気をつけろ」をおかけします。6日は「Atom Heart Mother」のすぐ後にこれをやりました。

 

♪「ユージン、斧に気をつけろ」(『ウマグマ』)

 

立川:『ウマグマ』収録の「ユージン、斧に気をつけろ」のライヴ・ヴァージョン、極めて箱根のピンク・フロイドの感じで。

亀渕:途中までで残念だけど。

立川:昨日もお客さんから来年は是非フル・ヴァージョンでやって欲しいという声が。

亀渕:昨日、ちょっと早めに来て、この辺りの別荘地を歩いてたんですけど、一軒一軒が広くて、ここだったら音楽をいくら大きな音で鳴らしてもいいだろうなぁって。最近は「PLAY LOUD」って言葉あまり聞かなくなったんじゃない? ローリング・ストーンズの時代、レコードには「PLAY LOUD」大きな音で聴いて!とあったし、デカい音で聴くのは当たり前だったけど。だんだんそうはいかなくなってきて。でもヘッドフォンがあるから──と思ってたけど、こうやって聴くと違うね、よかった久しぶりに。ありがとうね。

立川:ピンク・フロイドはこの後「エコーズ」をやるんですけど、その時点ではレコード化されてなかった。そうやって考えるとピンク・フロイドは本当にとんでもないバンドで。

亀渕:アルバムは?

立川:『Meddle』、『おせっかい』って邦題です。

亀渕:『おせっかい』はこの頃レコーディングしてた?

立川:夏の間はやってたんだけど、ツアーの予定があったので中断して日本とオーストラリアでライヴをやって、帰ってから仕上げた。

亀渕:ということはまだ試作というか試演だね。

立川:ピンク・フロイドは『アニマルズ』の頃までは、レコーディング中の曲もツアーでやってるんです、それで自分たちで修正をかけてレコーディングに入る〜という流れ。好きじゃない人は<ピンク・フロイドって頭で考えて作ってるバンド>って言うけど、実は全然違ってすごいロック・バンドなんです。ではピンク・フロイドが4曲目に演奏した「エコーズ」です。

 

♪「エコーズ」(『おせっかい(Meddle)』)

 

立川:名曲ですね。アナログ盤の時代は片面を使ってともかく長い、ピンク・フロイドの定番のように(笑)。今、亀渕さんと話してたんですけど、歌詞はどうなってたんでしょう。

亀渕:ピンク・フロイドはどちらかというと音の方が注目されてたんですけど、「エコーズ」の歌の内容とかもすごい。

立川:すごくシンプルなんですけど、人間が自然とどう共生していくのか──とか、元々、最初のメンバーで辞めたシド・バレットが魔術的なものに興味があって、それをロックでやるとどうなるか? というサイケデリックな精神性みたいなところから出発して。それをロジャー・ウォーターズ主導でまとめると、いわゆる人間が社会の中でどう疎外されているか──ということが歌詞に反映されて、それと音が見事に一つになった映画的な構築をしてる。

亀渕:そこのところはシド・バレットの精神が継承されてるね。

立川:歌詞をどのくらい大切にしていたか──が窺い知れるエピソードがあるんです。ピンク・フロイドは箱根の翌年1972年にも来日して、東京都体育館と大阪フェスティバル・ホールで演奏したんですが、当時まだ発売前だったアルバム『狂気』の曲も演奏する──というので、ピンク・フロイドのメンバーから東芝に連絡があって<英語圏ではないところで演奏するので歌詞を理解して聴いて欲しいから>と全曲の歌詞を送ってきたんです。それを石坂さんがネイティヴな英語に長けた海外渉外課の人間に訳させて、僕に日本語のチェックが廻ってきて、それを急遽印刷、コンサート会場で配布したんです。それはまだ「狂気」というタイトルはついてなくて、直訳で「月の裏側」となってます。それくらい言葉を大事にしてるバンドなんです。でも、そのパラドックスじゃないんですけど箱根のときはかなり演奏主体ですね。

亀渕:どちらかというとね、ガンガンいってました。

立川:じゃあ次は「太陽賛歌」。ロジャー・ウォーターズの狂気が──。

 

♪「太陽賛歌」(『ウマグマ』)

 

立川:こういう超過激なピンク・フロイドをトワ・エ・モアとかかぐや姫のファンが聴いてたと思うと。

亀渕:ステージ下でね。次のゲストの松任谷正隆さんも聴いてらしたから、この後そのあたりの話もするんでしょ?

立川:松任谷さんはピンク・フロイドはほぼ知らなくて、渡辺貞夫さんと成毛滋さんを見たかったから行ったので、でもこのときちょっと開眼した──って。

亀渕:それで気に入って、ユーミンのジャケットも。

立川:あれは88年の『鬱』のツアーを観て、さらに行っちゃった。でも、こうやって考えると、71年ってクロスロードですね。

亀渕:たしかにそうなんだよね。

立川:色々なものが変わっていくときで、ニッポン放送も70年くらいからロックに力を入れて。

亀渕:フリーも来たし、B.S&T(ブラッド・スエット&ティアーズ)やレッド・ツェッペリンも来日して。

立川:『原子心母』の復刻を担当されたソニーの白木さんに聞いたんですけど、ドラマーのニック・メイスンは全世界でやってきた1000を超すツアーやライヴの中でもこの箱根の二日間をすごく覚えているって言ってるんです。

亀渕:そうなんですってね、嬉しいですね、ベスト10くらいのいいコンサートだったって。ああいう自然環境の中でやるのはまだあまりなかったんじゃないかな。

立川:ピンク・フロイドは野外も結構やってますけど。

亀渕:初期の頃ですからね。

立川:どちらかというと室内。で、ニッポン放送ではピンク・フロイドがやるというのはすんなりと決まったんですか?

亀渕:大変でした。決まるまでは何ヶ月もかかって。頭のカタい上司の皆さんは<ニッポン放送がロックのコンサートをやるのは良くないんじゃないか>とか、<ウッドストックでは暴動が起きて、裸の女の人がワーワーしてる、そういうことが起きたら困るじゃないか!>とか侃々諤々で。それに対して頭のやわらかい社員たちが<そうじゃないです、これからの音楽は違います>って説明して、結局決まったんです。決まったからには、やろう!ということで、ロック・コンサートというんじゃなくてポスターには<自然と心が握手する── ’71 hakoneアフロディーテ>と書いてあります。

立川:そのポスターを復刻したソニーの白木さんの労作が日本独自の企画盤『原子心母(箱根アフロディーテ50周年記念盤)』。

亀渕:日本でアメリカやヨーロッパのレコードやCDを発売する場合、今はほとんどがオリジナルをそのままで出すんです。日本側からのアイデアではなかなか作れない。アーティストが大きければ大きいほど難しくなる。

立川:それを、超うるさいピンク・フロイドを説得して一つの形にしたという本当に近来稀に見る作品で。

亀渕:これにアナログ盤があったら(笑)。でも、今日聴いたアナログ盤の音、素晴らしいね。

立川:じゃぁ最後に、コンサートでも最後に演奏した「神秘」を。

亀渕:これで終わり? もっといっぱい聴いてたい──、でも本当に素晴らしい音だった、じゃぁ僕はこれで失礼します、ありがとうございました。(大拍手)。

 

♪「神秘」(『ウマグマ』)

 

「追憶のピンク・フロイド」 8月7日 第二回 立川直樹×松任谷正隆

写真左より 松任谷正隆氏、立川直樹氏

 

立川:こんにちは立川です。昨日と今日の二日、今から50年前にピンク・フロイドがライヴを行った「箱根アフロディーテ」をライヴ映像や、当時のアナログ盤で追想してきましたが、最後はこの方に来ていただきたいと思っていました。ではゲストをお呼びいたします、松任谷正隆さん。(大拍手)

ピンク・フロイドといえば由実(松任谷由実)さんが大好きで、LIVE 8に出るから、行こうって僕も誘われたんですけど行けなくて。あとで “へへへ、私は観たんだ”って言われました(笑)。

松任谷正隆(以下松任谷):それ何年ですか?

立川:最後に4人が一緒にやったときで(2005年7月2日)、4曲だけ。あとでまた色々お訊きしますけど、松任谷さんはストーム・トーガソン(ヒプノシス『原子心母』他のデザイン・アートグループ)と仕事をされていて、やっぱりピンク・フロイドってすごい創造的で──って話をしていたら、“実は僕、アフロディーテ行ったんだよ“とおっしゃるので、これはもう来ていただくしかないと(笑)。で、初日を観たんですか?

松任谷:だから覚えてない──。

立川:霧は出てました?

松任谷:出てました。

立川:じゃ初日だ。

松任谷:糸居五郎さんがサブ・ステージで佐藤允彦さんたちの紹介のときに、“モーグ・シンセサイザーの魅力!”って紹介したんです。ずいぶん失礼な紹介の仕方をするなぁ…って。

立川:よく解釈すると、多分、糸居さんもピンク・フロイドや新しいサウンドを紹介したり受け入れるのはすごく大変だったと思うんです。昨日(7日)ゲストに来てくれたSUGIZOが50年ぶりにその辺りの謎を解き明かしてくれました。初日ピンク・フロイドがステージに上がって延々と音出しをしている最中、糸居さんは“ピンク・フロイドはチューニングをしています、ゴーゴーゴー!ピンク・フロイド!”ってMCをしてるんですけど、あれはチューニングじゃないんです。サウンド・メイク。今ならクルーが楽器の音出しをしてPAで全体のサウンドを作っていくんですけど、彼らは自分たちで音を出してサウンドを作ってたんだ──と。じゃあ今日はいろんな話を交えつつ、当時の模様を映像と音で再現していきたいと思います。最初は「原子心母(Atom Heart Mother)」オーケストラが入らないバンド・サウンドで。

松任谷:(当時)それを知って観たかったなぁ。ピンク・フロイドが何かを知らずに観に行って、あれで初めて知ったので。

立川:それから何十年後、一緒に仕事をしたんですから。

松任谷:縁ですかね。

立川:じゃぁ冒頭「原子心母(Atom Heart Mother)」お楽しみください。

 

♪「原子心母(Atom Heart Mother)」(Blu-ray映像版)

 

松任谷:終わる頃は真っ暗で、いい時間帯でしたね。

立川:この日ピンク・フロイドのステージは6時35分から。で、霧が出てきたのは3曲目の「エコーズ」辺り。

松任谷:僕は、最初広いステージをちょっと観て、それからサブステージが面白いよって言われてサブに行ったんですけど、演奏の隙間にちょこちょことメインステージの音が聞こえてくるんです。それがバフィー・セント・メリーのチリメンみたいなヴィブラートで歌う「サークル・ゲーム」だった記憶がありますね。

立川:サブステージが終わってメインステージに行ったときにはどこ辺りに。

松任谷:映像を撮ってたカメラの位置辺り、舞台上手側後ろの方の坂の下からステージを見上げてました。

立川:普通だったら客席がステージを見下ろすセットなんだけど、アフロディーテは下から見上げてる。

松任谷:そうそう、逆ですよね。

立川:だから神殿を見上げる信者のような。

松任谷:それだからか、すごい印象に残ってるんですよ。

立川:今から50年前なので、それこそ舞台設営からPA、照明と全部が闇の中で行われてるみたいだったと思うんですよ、みんな経験がなかったから。それまで海外からアーティストは来てましたけど、ピンク・フロイドみたいに機材も持ってくるのはなかったんじゃないかな。

松任谷:そうですよね。PAはヒビノさん?

立川:ヒビノ音響さん。もちろん事前に打ち合わせはしてたし、ローディの人たちとも。ピンク・フロイドはこの後9日に大阪フェスティバルホールでコンサートをやって、僕も行ったんですが、そのときはいろんな音響システムやすごい機材を使ってました。フェスティバルホールの天井を足音がダダダッって駆ける音とかそういったサウンド・エフェクトを71年当時から使ってました。で、箱根の二日目8月7日は朝早くからリハーサルをやって、前日はやってない映画『モア』からの「グリーン・イズ・ザ・カラー」をやったので、それを聴いてみましょう。

 

♪「グリーン・イズ・ザ・カラー」(『モア』)

 

松任谷:メインステージのオープニングアクトは誰だったんですかね?

立川:覚えてないです…ピンク・フロイドの印象が強すぎて。この曲はフォークっぽいですが、会場に集まった人にはラジオのリスナーが大勢いて、かぐや姫とかトワ・エ・モアとかのファンには、この後のピンク・フロイドの曲は、おそらく曲とは思えないものだったんじゃないかと。

松任谷:そうですよね、びっくりしますよ、なんだろう?って。僕もその部類ですよ。ピンク・フロイドに本当にハマったのは88年。

立川:ちょうど87年に『鬱』ってアルバムが出てワールド・ツアーで3月に来日。

松任谷:それを武道館で観て、こいつはコンサート・スタッフ皆んなに見せなきゃ──って思って、観た足で当時ライヴをやってた苗場に戻って、“あれは絶対観に行け!!”って代々木体育館に行ったんですよ。

立川:僕はあのツアーは最初ロサンゼルスで観て、代々木でも観たんですけど、円形スクリーンとそこに映っている映像、そして空飛ぶベッドが落ちてくる…。あれはアメリカの方がもっと過激で、こいつら狂ってるんじゃないかと思いました。じゃぁここで狂ってる曲を聴きますか。箱根で3曲目にやった「ユージン、斧に気をつけろ」。1969年発売『ウマグマ』のアナログ/ハーベスト原盤です。

 

♪「ユージン、斧に気をつけろ」(『ウマグマ』)

 

松任谷:今、聴いてて思ったんだけど、70年代ってピンク・フロイドに限らず、ウッドストックもそうでしたけど、こういう感じでしたよね、瞑想に入ってしまうとか。

立川:やっぱりこの時代の音楽ってドラッグ・カルチャーと密接に結びついていて、ピンク・フロイドもライヴでは一曲45分とかやってたし、当時はアルバム片面一曲っていう──そういう時代でした。

松任谷:そういえばそうだったなぁ…と思うけど、今、こういう音楽はできないよなぁって感じですよね。

立川:何がそうさせたんでしょうね。

松任谷:やっぱりベトナム戦争とか大きいんじゃないですか。

立川:たしかに「地獄の黙示録」でこの曲が流れても全然おかしくないね。

松任谷:むしろ、すごく合いますよ。

立川:この次に演奏したのが70年代初頭の名曲と言われた「エコーズ」なんですけど、この頃はレコードにする前にライヴで演奏してるんですね。そこで調整してレコーディングする。

松任谷:アルバムができたら直せませんものね、方法としては正解かも。

立川:でもレコードが出る前に海賊盤が出て、それが盛んになってきたので、『アニマルズ』辺りからは発売前にライヴで演奏することがなくなってしまった。じゃぁ当時はレコード発売前に演奏した「エコーズ」を。

 

♪「エコーズ」(『おせっかい(Meddle)』)

 

松任谷:あの頃はピンク・フロイドは好きじゃなかったなぁ。

立川:いつ頃から好きになったの?

松任谷:いつかなぁ、関係の元を辿るとね、この話は面白いかどうか分からないけど、僕の会社に学生の社長を入れたんです、若返ろうと思って。この学生が帰国子女で、“好きなことをやらせてあげるから”って言ったら、“僕は由実さんのアルバム・ジャケットにヒプノシスを使いたいんです!”って言うんです。僕は“ヒプノシスって何?”って訊くレベルでしたけど、彼が “ヒプノシスっていうカッコいいものを作るアート集団がいるんです”って言うので直接交渉をさせたら、メンバーが来日することになって。ヒプノシスって3人じゃないですか、その中のオーブリー・パウエルが来た。アルバムのタイトル、テーマは『昨晩お会いしましょう』──ということで、20枚くらい絵柄を持って自宅に来たんです。それを全部並べて、どれがいい? どれでもいいよ──ということで、最終的にこれがいいって『昨晩お会いしましょう』は決めたんですけど、最後まで迷ったもう一枚があった。それは後にピンク・フロイドの『時空の舞踏』になったんです。だから僕らがそちらを使ってたらピンク・フロイドはどうしたかなって。

立川:確かにそう言われてみたら『昨晩お会いしましょう』と『時空の舞踏』のジャケットって背景のトーンが同じ、近いんだよね。

松任谷:でしょ。だから『昨晩お会いしましょう』っていう矛盾な感じと、あれは合ってるんですよ。

立川:それは新事実ですね。

松任谷:だからあとでそれがピンク・フロイドのジャケットになったからびっくりした。それでポー(オーブリー・パウエル)と仲良くなって、彼は営業担当だから、“じゃぁ次は写真集を作ろう、ビデオを作ろう”っていろいろ仕事をしました。

立川:僕がヒプノシスのアート・ディレクターのストーム・トーガソンと知り合ったきっかけも偶然で、ロンドンで友人が“すごく面白い奴がいるから“と紹介されたのがストームで、事務所を見て、展覧会のプロデュースを申し出て──とトントン拍子にすごく仲良くなったんです。さっき松任谷さんが苗場のスタッフに見せた『鬱』のヴィジュアルってすごくストームらしいんだけど、あの人はCGが嫌いなんで、海岸に1200台ベッドを並べた。僕はあのオリジナル・フォトグラフをストームからプレゼントされて持ってます。

松任谷:ピンク・フロイドのジャケットって本当にCG使ってないですからね。

立川:それはすごいよね。

松任谷:さっきのポーに紹介されたピンク・フロイドのライティング・チームと89年に仕事をしたんですけど 、あの感覚にはならないんです、ピンク・フロイドのあの音ありきのライティングなんだって初めて気が付きました。

立川:じゃあそういう音を聴きましょう。「太陽賛歌」です。

 

♪「太陽賛歌」(『ウマグマ』)

 

松任谷:コロナ禍っていつか絶対明けるじゃないですか、でも70年代のあの頃はひょっとすると<第三次世界大戦が>というキーワードもあって、その暗さがこういう音を呼んだ気がする。まぁ、もしかして、これから国同士の対立が深まっていったら。

立川:リアリティを持つ。

松任谷:こういう音楽も流行らないかもしれない。

立川:逆説的にね。で、最後は箱根の思い出──で締めたいんですけど、松任谷さんは当時19歳で、他に野外コンサートとかは体験したことは?

松任谷:これが初めてです。

立川:今日の一回目のゲストの亀渕さんは67年のモントルー・ポップ・フェスに行ってるんです。

松任谷:ウッドストックは?

立川:亀渕さんも僕も行ってないですけど、成毛滋さんが行ってます。松任谷さんのお目当ては成毛さんでしたよね。

松任谷:観ましたよ。成毛さんとつのひろ(つのだ☆ひろ)と、高中(正義)がベースを弾いてて。つのひろがフロアタムを普通のタムタムの位置につけて、何か変なことをやってるな──と思ったんです。かなり昔なので記憶もまだらなんですけど、覚えてるのはかなり長く歩いて道がぬかるんでたのと、霧が出ていたこととピンク・フロイドのサウンド、何か不思議な印象ですね。すごくインパクトがあって好きだったかというと、そうではなくむしろ気持ち悪かった。

立川:メンバーのニック・メイソンも箱根のライヴはすごく覚えているそうで、松任谷さんの気持ち悪い──というのも同様に、何か残したものがあるコンサートだったと思うんです。

松任谷:僕はコンサートの演出もするじゃないですか、別に参考にしてるつもりはないけれど、どこかあれがルーツであるかもしれない──と思うときはありますよ。なんだろう、ムードですか。

立川:松任谷さんの作るコンサートは、他の日本のアーティストのものと全然違うじゃないですか。シアトリカルな感じがするんです。前に漂うものを作ってから始まる──っていうのはもしかしたら通底しているかもしれない。

松任谷:やっぱり19とかで観ちゃうと。

立川:どこかに刷り込まれている部分って、僕は分かります。じゃあ、そういう刷り込むものが強い曲がラストだったので、それを聴きましょう「神秘」です。

松任谷:じゃあ僕はここで、ありがとうございました。(大拍手)

 

♪「神秘」(『ウマグマ』)

 

立川:コンサートを完全に聴くことができる形を、早ければ来年に企画しようかと考えているので、是非楽しみにしていてください、ありがとうございました。(大拍手)

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