※2004年、電通報に寄稿したものです
ー60〜70年代ポップスの背景ー
漣健児
エレキ・ギターなかりせば
<歌は世につれ、世は歌につれ>と言いふるされた言葉が、まさに、「東京オリンピック」や「新幹線の着工」を中心とした戦後の高度成長時代に突入していたこの時期にこそ、見事にあてはまる。
それは≪ラジオ≫から≪テレビ≫へと、音楽の媒体伝播力が静かなうちにもしかし確実な産業革命の中にとりこまれていく一方で、レコードの形態の主客の座が78回転のアセテート盤から45回転のEP盤・33回転のLPレコードへと変化・変質しはじめていた背景をみすごせないことだ。
それに伴う音響機器と再生機器の日進月歩の進化と発達も手伝って、否応もなく世は歌の世界を容赦なく変革させていく方向に向わせていったのだ。
加えて特筆しなければならないのはエレキ・ギターの爆発的な普及とカセット・テープの劇的変化と急激なマルチ化であろう。
そんな背景の環境的変革や進歩のなかで、音楽マーケットの主役をつとめていたレコード会社も老舗だけではなく、新レコード会社や新レーベルが続々と登場しはじめ、新しいスターやヒット・ソングを世界中におくりはじめていた。
日本でもアメリカン・ポップスが、コカ・コーラやハンバーグをひきつれて、アメリカン・カルチャーのシンボルとなり、「エデンの東」や「ドレミの歌」のように、そして或いは多くの主題歌を産んでくれた西部劇に代表されるハリウッドの名画とともに、なくてはならない青春時代の心の糧となっていったのである。
ポップスとロックの融合
このような時代背景の流れの中で、日本の60年代のポップス・シーンは続々と賑やかに登場してくるロカビリヤン達にリードされるかたちで、日劇のウエスタン・カーニバルの舞台で百花繚乱のステージを繰り広げることになる。
平尾昌章の「監獄ロック」 ミッキー・カーチス「恋の日記」 山下敬二郎「ダイアナ」 飯田久彦「ルイジアナ・ママ」 弘田三枝子「ヴァケーション」 中尾ミエ「可愛いベイビー」 九重佑三子「シェリー」 坂本九「ステキなタイミング」鈴木やすし「ジェニ・ジェニ」 佐々木功「ロッカ・フラ・ベイビー」 森山加代子「ジョニー・エンジェル」 ダニー飯田とパラダイスキング「電話でキッス」などなどといった、日本語によるカバーがヒット・パレードの上位にランキングした。
勿論、そればかりでなくダイヤモンズの「リトル・ダーリン」 プラターズ「オンリー・ユー」 チャック・ベリー「スイート・リトル・シックスティーン」 リトル・リチャード「ロング・トール・サリー」といった黒人アーティスト達の名演や名曲が一斉にロカビリヤンのレパートリーになって、アメリカン・ポップスの黄金期を築いていく。
あの頃といえば、曲のメロディに対する無責任なノリだけで歌詞をはめ込み、詩の世界のセオリーよりも、歌のタイトルのイメージを一発決めてしまうアイディアと技量こそが重んじられていた。だから、“悲しき”と“涙”それに“ステキ”と“かわいい”“想い出”がパズルのように組み合わされれば、それがヒットへの近道であった古き良き60年代であったように思う。
ビートルズの革命
そのアメリカン・グラフィテイの象徴的な二大スターが、エルビス・プレスリーとビーチ・ボーイズに代表され、ゆるぎないものとされていた。そこに世界のポップ・シーンをいきなり変えてしまう革命児 ビートルズがローリング・ストーンズらとともに登場して、音楽の世界から思考と思想を吹き込んだファッションの世界に至るまで、そして何よりも歌の流行のメカニズムのセンターにいたディスク・ジョッキー達の手から、すべてを革新させてしまったことだ。
ビートルズが登場する前のヒット・チャートは、業界に秩序がありメジャーとマイナー・レーベルといった存在とかラジオ局の番組パワーとかDJプロモーションといった業界のマンパワーに、コントローラーとしての役割があり、レコード会社とアーティストの関係、あるいはアーティストとプロモーター、マネージャーとかプロデューサー、音楽出版社のソング・プラガーといった人々の関係が、縦と横とで構築されていたものが、ビートルズの登場とそれに続いたブリティッシュ・ロックというジェネレーション革命は、さながら津波のような大きなエネルギーでレコード業界のすべてに革命的なショックを与え、一瞬のうちに業界の構造改革をもたらしてしまった。また、聴いている人達の英語力も50年代とはかわり、また歌手のメッセージとしての歌詞に重い意味があることになってきたのだ。
アクセントとかイントネーションといった微妙な歌いまわしをスッ飛ばしてしまったハード・ロックもパンク・ロックも、そしてストリート・ロックも、実は歌詞とか詩としてより、メッセージとしての意思を「伝達することば」に意味があるようになっていく。
このように、60年代から70年代にかけては、食文化、スピード文化、通信テレビ文化とすべてが開花する発展と向上の時代であったわけで、テンポといいファッションといい、コンバーチブルとかシボレー、オープンカーの感性とかのアメリカン・カルチャーの魅力が、すべてアメリカン・ポップスに凝縮されていた気がする。
自分がその時代に青春を思いっきりぶつけられていたことを、神と両親に感謝せずにはいられない。