さざなみ健児 メモラビリア


1960年代、アメリカン・ポップスをリアル・タイムで日本語化し、カヴァー・ポップス黄金時代を築いた、日本語ポップスの先駆的クリエイター故・漣健児(さざなみけんじ)。ビジネスマン「草野昌一」としても日本の著作権ビジネスの礎に大きく貢献してきました。そんな彼の功績を称えるものや、思い出のアイテムをご紹介していく「漣健児メモラビリア」。

4)ナッシュビル レッド・カーペット・クラブ賞状 1969年

日本でのカントリー・ミュージックの普及に大きな貢献を果たした漣健児を、テネシー州ナッシュビル商工会議所が「ナッシュビルのレッドカーペット・クラブ」のメンバーへ加えた事の賞状。当時、漣は森山良子さんのナッシュビル録音『森山良子・イン・ナッシュビル』にエグゼクティブプロデューサーとして携わった。この賞状と森山良子さんらと一緒に撮影された写真は書籍「新しい音楽 漣健児とカヴァー・ポップス」に掲載されている。