B=PASS 2008年3月号
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06.08.26




 ギンギンギラギラ太陽焼いて、アスファルトからのモアンと熱気に、酸素不足の金魚のように口をぱくぱく“あちーあちー”。
 で、ここ何年かで久々の風邪だか熱中症だかわからんが、体がだるい。「バカは風邪ひかん」と言うから、風邪気味な自分にどこか少し安堵もして、ぼんやり頭に輪をかけて、ぼやーっといろいろ眺めてみる今日この頃、いかがおすごしか。
 残暑お見舞いもうしあげます。
 最近、頭の中でよく眺めるのは「四万十川」だ。行ったこともなく、どこにあるのかも知らなかったけど、前にテレビでみて、いつか行きたいなってな場所だった。名前にも惹かれるし、テレビでみた時に感じた優雅さや、手長エビがわんさかいるところが、いいなとおもった。 
 行ってみたい、来年の夏は四万十川だ。
 エビは実家、延岡の川にもいたが、台風が来た時にみんな流されていなくなった。ぴたりといなくなった。不思議なくらいだ。それまではわんさかいて、アミですくって、それをえさにして釣りをした。川にえさを投げ、竿をたて、竿の先に鈴をつけて魚がかかるまでエビをとってた。小さなエビに混ざって、手長エビもいた。
 夜になると目だけが光って、川の中には光る点々が気持ち悪いくらいいた。たった一つの台風でエビがみんないなくなるなんて、不思議だ。四万十川に行ったのかもだ。
 ついでに、昔は田んぼがひろがってのう、夏が来るとポンプ小屋が動いてドドドー!って水を流して、そこにはカニが気持ち悪いくらいいたもんじゃ。ソフトボールの練習の後そこまで走らされて、ぜいぜい言ってポンプ小屋からの水に頭を突っ込んで、その気持ち良かったこと。カニはみんな笑ってるような模様が甲羅にあって、笑いながらカサカサと、逃げたり隠れたり。笑ってんじゃないよと思いながらも、いつもそこにいてくれると嬉しかったもんじゃ。
 去年の今頃は実家の友達やらと川で遊んだんだなー。みんな子供連れてきて、口から水を噴出しながら泳いで「噴水マン!」とか言って。
 おぉ! 来年の夏は噴水マンだ!
「ふーるーさーとぉー」だ。
「ふるさと」的な気分は、育った場所だけじゃなく、「懐かしい」や「センチメンタル」ってなものだけじゃなく、心にあるなーと思う。例えばライブの最中なんかに、とてつもなくその空間、音、人、がたまらなくなる時なんか、そんな感じだ。うまくいえないけどそんな感じだ。
 マイクがあると「アイラブー!」と、このカタカナ英語に、溢れてよくわからんその気持ちをたくし、伝えたくなる。
 ずっと会っていなくても、ふとした時に思い出す気持ち。ふとした時に初めてきづく気持ち。あのポンプ小屋だって、カニだってエビだって。
 人や景色、音や匂い、そのライブに包まれたとき。そんな「ふるさと」たちがいてくれるから、またどっかへ行けたりするんだろうなと思う。ぼんやり頭のこの頃だ。 



2006東京の夏を歩いた黒いサンダル。 かっこいい
この夏、身を守ってくれて懐かしい匂いをくれた 蚊取り線香。
それにしても 甲子園すごかった。 甲子園はいつも夏を暑くしてくれる。





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06.07.31




 あちぃ〜むしむしする、もあんとする東京の夏だ。アメリカの乾いたアツイ夏に飲んだペプシがうまかったな〜なんつって、あれもあれで乾きすぎて唇切れてたから、湿気も役にたってるんだなと、ファンタグレープって意外とうまいことにきづいた今年の夏だ。おーい

 夏と言えば冒険だ!っつうことで、ジョニーデップが出てる「パイレーツオブカリビアン」を映画館に観に行った。海賊の話だ。が大人気で席が一番前しか空いてないという。一番前でも同じ料金だし言うほど観れないこともないだろうと思っていたら、かなり観づらかった。プラネタリウムだ。ずっと上みっぱなしで疲れた。字幕みて、表情みてがひと苦労で、戦闘シーンなんかはなにがなんだかわからず寝た。が、映画自体は面白そうだったので、レンタルビデオ屋で「パイレーツオブカリビアン」のTを借りようとおもうも全部貸し出し中だったので、「スーパーマン」を借りた。

 なんだろか。僕の中で「スーパーマン」「スターウォーズ」「ジョーズ」あたり、無条件で降伏だ。かっこいいっつうか、燃える、ドキドキする。ものごころついたときには、ディスイズ映画だった。今見ると随分ハリボテにみえたりするけど、「すげぇーなすげぇーなこんなの作れるアメリカってすげぇーな」って感じてた感じはこびりついている。
(スーパーマンになりたかった。小学校2、3年頃までは、早く走れたり、ドッチボールがちとうまかったりして、スーパーマンになれるかもと思っていたが、高学年になってくると、意外と無理かもなと気付きはじめて「タケちゃんマン」方面に傾向して「ナカちゃんマン」と帽子に書いてたことを思い出した) 

 立ち読みをして読んだ小林よしのりって人の漫画。全然しらなかったA級戦犯の事。東条英機ってひとの事、アメリカの事。戦争に勝った国が負けた国を裁いた「東京裁判」。かなりアメリカの傲慢な裁判だったことが書かれていた。戦争を正義だと名して今だに同じようなことをしているアメリカ。「こんなことやらかしてしまうアメリカって怖いな」だ。(小学校の頃、国語の時間とかってやっているのに、授業を受けているみんなのTシャツには英語が並んでることに違和感を感じたことを思い出した。)

 あそこに書かれてることの全部を丸のみするわけではないが、自分の暮らしてる国の昔やら、なんで中国やら韓国が怒ってんのかとか、もうちっと知っといたほうがいいかもなと思った立ち読みだ。
 なんてこと思いながらもこの暮らしの身の回り、まわりの人がいて自分がいての世界でも、気付かずに、自分の傲慢さで他の誰かをきずつけたりしてしまってることもある、それに気付いた時は自分が不自由になったりすることがある。なるべくなら理解すること、尊重し合うこと、受け入れること。例えば「戦争」につながるだろう自分の感情を感じたら、自分で浄化できるような水平線、人間になりたいとおもいながらも、いっぱいいっぱいになると「なれるわけがねぇっぺー!」とひらきなおる自分もいたりしてミジンコハートだ。なんてぐじぐじ書いてるとキンチョールのじいちゃんから「お前の話はつまらん!」と怒られそうなのでやめる。

 もうすぐ梅雨明けだ。胸に「S」のマーク! ビルの谷間をぬけて、カワイコちゃんを助けに飛んでいく! 電話ボックスで着替えたらすんごいんだぜスーパーマン!だ。 



これといった写真がなかったため、納涼ガリガリ君。
しんやり
しんやり
当たるかや?
ざぁんねんっ! また今度!


 


06.06.30




梅雨の合間に来た真夏晴れ! あとは蝉やら入道雲。太陽はジリジリ腕や顔を焼いて、体は汗を流します。あちーあちーってうなだれることもなく、なんだか味方につけて、今年初めての夏日和に気分がいかった。来たねー夏! いかがおすごしか。
 
 おかげさまでオイラも6月で33才になりました。すくすく育ってます。33。
 長島監督の背番号だ。なんかいい感じがする。
 自分へのプレゼントはクレヨンを買った。商店街を歩いていると「こんな所にあったっけなぁ」ってな文房具屋さんを発見し、そのやる気の感じられない店構えが気になって中へ入った。とてもスタンダードな文房具しか置いてなくて、わかりやすい。
 ふとクレヨンが欲しくなり、店員のおじちゃんに「クレヨンありますか」と聞くと「あーっクレヨンはないねぇ」と、やる気なさそうに答えた。ちとがっかりして「あぁそうっすか」なんて振り向くと、そこの棚にクーピーに混ざって一つだけあった。手にとりおじちゃんに渡すと「あぁクレヨンあったね、クレヨンあったなぁ、あったかぁ……」なんて、ぶつくさ言いながらレジを打つ。
 何はともあれ僕はクレヨンを手にいれた。 
 何かが描きたかったわけでもなかったけど、クレヨンを手に入れておくのは何かと気分がいい。
 クレヨンを持つ前と後では気分が違う。絵は苦手だけど、クレヨンをもつのは気分がいい。いろんな色があるし、なんでも描けそうになる。描けそうになるけど、いざノートに向かうと何描いていいかわからず、クレヨンの匂いをかいだり、色を眺めたり。
 ……しているうちにやっぱり描きたくなって、ノート見てたら、線が見えた気になったので、黒で線を引く。そんな感じで完成形のイメージもないまま、ただノートが「ここにあの色で線描いてみな」ってな声をきいて一つ一つ描いてみると、人の顔に見えたりしてくる。人の顔に見えたからって、人の顔にしようとしないで、ノートの声を聞く。するとわけわからんけど、気分がいい。クレヨンの感触もいい。結局ぐちゃぐちゃになって、嫌になったけど途中おもしろかった。
 お薦めします。クレヨン。上手くとかメッセージとか誰かに見せるとか、なんもかんも関係なしにしたところで描く絵。自己解放だ。 
 33年。いまだ思春期、あぁでもないこうでもないと、ピンボールのように右往左往しながら生きてます。30も過ぎれば大人になってゴルフでもやって悠々と過ごしているのかしらと、なめたことおもったこともあったけど、選んできたのはピンボールや。年とるたびに「あれは、あぁいうもんで、これは、こういうもんで、あぁなって」って、勝手に決めつけたり技を身につけたりするけんども、それにしばられたりもする。
 そんな中で、そんなものをとっぱらえたり、新しいものを作れたり、発見できた時がやっぱり僕の喜びだ。大袈裟に考えていたことが、大したことなく思えたり、見落としてきたことが、大きなものにかんじたり。探しながら、まちがえたり、許されたりしながら、これからもこうやってすくすく生かさしてもらうぜ!と、いろんな色を塗ったくったろう!とおもいます。

 33才の誕生日、たくさん「おめでとう」をもらって嬉しかった。心強く感じる。力が湧く感じや、燃えるぜ33。生きて歌って燃えて、お返しできたらとふつふつと思う僕の33周年。これからも33のハナタレではありますが、どうぞよろしく!だ。
 
P.S.「おめでとう」をありがとう 
                  33周年 中尾諭介。




懐かしいペンテルのクレヨン
懐かしい匂いだ
力いれすぎてポキッ!
それも懐かしい
そんな感じで誘われて描いた33才の落書き。




06.5.29




 ッンビカッ! バリバリィッ! ドォーン!! カミナリィ激しく夕立ボーボー、横殴りの雨ん玉、針刺すように顔叩く。
 ッンビカッ! バリバリィッ! ボーボーバチバチ! 埃立った道路を街を人を、んでこの頭ん中を叩いて冷やして洗い流す。
 買い物や約束や仕事やらの帰り道、それぞれにそれぞれですれ違う人達がいっせいに雨に濡れ、いっせいに走りだす。運動会だぁ、夕立の。 
 笑いましょうよ、はしゃぎましょ、雨に濡れて踊りましょうよってな気分で僕も雨宿り。
 
 向かいのマンションの管理人のじいさんが、雨の中傘をさし玄関先でしゃがんで、なにやら足元に手を伸ばした先に、でっかいかたつむりだ。じいさんはかたつむりのからをちょこんちょこんとノックして、立ち上がり見守っている。かたつむりはかたつむりのスピードで玄関先を横断し、じいさんの肩はがんばれがんばれと言ってるみたいで、なんだかおもろい気分になる。 

「こんな山の中に絵本を読みに誰も来ないよ」と言われてから10年。
 宮崎県の木城ってとこの、山の中にある「絵本の郷」が10周年だ。
 はじめここは町おこしの宿泊施設としてつくられてたところに、版画家のいくともさんがアイディアを求められて提案したのが「絵本の郷」だったという。町おこしの人たちは半信半疑だったらしいけど、いくともさんの思いつきが10年ゆっくりと歩み進んでいることを嬉しくおもう。ついでに館長になっちゃったいくともさんは、絵本の郷にいくまでの山道に絵本のタイトルからとった名前をつけて標識をだしていたり、池の上にステージを作ったり、演奏者をよんで山や空やカエルや人に響かせて遊んでみたりと、いろんな仕掛けをつくっては町おこしというよりも「地球おこし」「宇宙おこし」「人おこし」をしてるんじゃないかとおもう、ってなこと書いてると、「いや、いろんな仕掛けに人をひっかけるのがおもしれぇだけよ」と笑って言われそうやけど、いくともさんはいろんな人の心にかたつむりを這わせて遊んでるんだとおもう。
 前にも書いたけど、インザスープもライブをやらしてもらったことがあった。たくさんの絵本の置いてあるその部屋を、いくともさんやスタッフの方々がコンサート会場にしてくれた。絵本とお客さんに囲まれて僕らは音楽を鳴らした。
 そのコンサートの途中でいくともさんが「この絵本を読んでみて」と「だくちるだくちる」という絵本を持ち出してきて、僕は読み始めた。
 本を両手でもって表紙をめくる。
「むかしむかし」
 ページをめくる。
「イグアノドンがいた」
 いきなりイグアノドンがでてきて笑ってしまったので、始めからやり直して読み進んでいくと、いつのまにか僕はイグアノドンになっていて、「だくちるだくちる」と歌っていた。
 メンバーも音楽を鳴らし火山になったり大地になったりして、僕らは宇宙の中にいた。
 いくともさんはよく「証拠を残すな」っていうけど、あのライブはずっと心に残ってるな。恐るべき絵本だ。絵本は少ない言葉の中で、きづかなかった気持ち、自分がいることを教えてくれておもしろい。
 これからも何十周も何百周も、宇宙を巡っていくんだろうなとおもう絵本の里だ。10周年おめでとう!
  
 最近おもうのは、おもろいとおもうことや、やりたいとおもうことの気持ちは大人になっても変わらんもんやなぁってこと。大人になると、っつうか僕のことだけど、変な勝ち負けが出てきたり、頼まれてもないのにあせっていたり、すけべな気持ちがでてきたり、失望したり、臆病になったり、疲れたり、愚痴が細かくなって増えてる気もするけど、おもろいなっておもうことはあんまり変わらんね。
 全部を一笑できるおもろいことを!っておもわせられる2006年5月、最近の世間のニュースばかりだ。あの管理人さんやいくともさんのように、自分のかたつむりをゆっくりでもしっかりと這わして生きていけたらと、そんなかたつむり達がもっと広がっていけばといいとおもう僕の2006年5月今日この頃、ッンビカッ! バリバリィッ! ドォーン!!だ。
    
 P.S.いくともさん(黒木郁朝)の版画もいいよ。



ヨ−ダみたいな犬発見。ずっとこっちみてる
聞いたらまだ生まれて間もないんだって。生まれた時からじいさん顔だ。



インフォメーション

<In the Soup スケジュール>
6月25日[日]
下北沢 440
中尾諭介ソロ
「いくつかの太陽」
出演:中尾諭介、うつみようこ、浜辺シゲキ、ジョウミチヲ
料金:Adv.¥2,500(D別) / Door.¥3,000(D別)
時間:Open 18:30 / Start 19:00
チケット発売:440での電話予約受付中
問い合わせ:下北沢440 / 03-3422-9440

6月30日[金]
渋谷 屋根裏
「スイスポルノシアターVo.10〜アイラブユー爆破〜」
出演:In the Soup、the swiss porno、COOL JOKE、BABY JOE
料金:Adv.¥2,000(D別) / Door.¥2,500(D別)
時間:Open 18:00 / Start 18:30
問い合わせ:渋谷屋根裏 03-3477-6969

7月9日[日]
下北沢 440
中尾諭介ソロ
「headline vol.6」
出演:中尾諭介、高畠俊太郎 (AUTO PILOT)、杉本恭一
料金:Adv.¥2,500(D別) / Door.¥2,800(D別)
時間:Open 18:30 / Start 19:00
チケット:ソールドアウト
問い合わせ:下北沢440 / 03-3422-9440

7月30日[日]
下北沢 club QUE
出演:In the Soup、SIO
- 詳細未定 -
問い合わせ:下北沢 club QUE 03-3205-1556

<インザスープえとせとら>
その1:「ROCK is LOFT」コンピレーション発売! 
新宿LOFTの30周年を記念してレコードメーカー5社 (コロムビアミュージックエンタテインメント、ソニー・ミュージック ダイレクト、東芝EMI、ビクターエンタテインメント、ユニバーサルミュージック) から、LOFTで活躍したバンド達の音源をコンパイルしたアルバムが2006年6月14日 (水) に全5タイトル一挙リリースされます。In the Soupは東芝EMIから発売される「グリーンディスク」に、デビュー曲である "風の子" で参加しています。

その2:新曲「カイト」無料配信開始!
In the Soup、22ヶ月振りのスタジオ・レコーディング作品となる新曲「カイト」が無料配信されています! これは「Make Your Life Musick」というネットコンピレーション・アルバムに収録されたもので、だれでも無料でダウンロードすることができます。都内を中心に活動する7つのバンドを12トラック収録しており、草場と吉田によるアコースティックユニット、ネバディロ・ブランコが2005年に発売したCD-Rから「星が咲く」も収録されています。musick.jpではメンバー全員からのコメントも掲載されているので是非チェック&ダウンロードして聴いてください!
http://musick.jp/




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06.4.27




 春雷ゴロゴロザ―ザ―雨降り、かとおもえば太陽の陽が照ったり曇ったりしながら天気は時々によってかわって、気がつきゃ僕の気分も随分と左右されてるなってな天気も気温も変わりやすい今日この頃、いかがおすごしか。
 前回同様今回も携帯電話からポチポチとこの文章を打っているんだけど。こんなちっちゃな画面から手軽に親指だけで、しかも足なんか組みながら、いいのかしらとおもいつつ、手軽さにかまけてポチっとな。
 インターネットやこの携帯のうまい文字っつうのは、なんだかちゃんとしていてちゃんとした人間になれたようで、そりゃそれでいいもんです。が、やっぱへったくそでも自分の字で書くのも好きです。みなさんはどうですか。最近月に一度くらいずつ一人で弾き語りのライヴなんかやってますが、そんときに回覧紙って新聞みたいなのを昔懐かしく書いてみたんだけど、結構おもしろくて。「だめやな〜へたくそやな〜」とおもいつつも書きたい事書いてるうちに、落書きみたいなのも自分だなと飲みこめたりして、心が少し落ち着いたりします。毎回この連載も、ポチポチ文字とはいえ、そういう時間ていいもんです。時間がいくらたっても、手紙を書いたり何かつくっている時間。記号や言葉やらの情報に「へ〜へ〜」なんて言ってるうちに自分より溢れすぎて、溺れてるのにクリッククリックで「もっと頂戴もっと頂戴」で、情報中毒になりかねない時代っつうか僕。そんな「へ〜へ〜」な記憶より、自分で手紙書いたりなんかつくったり汗流した記憶って、体のどっかでずっと覚えてくれてるもんだとおもいます。旅と似てる気がします。
「もっと頂戴」だけじゃいけないとこへ。そこが近所でも遠くでも自分を開放する旅。情報で散らかした頭ん中や、目をふせてた不安事や、いつのまにか自分を縛りつけてた約束事や意地や、そういうもんが少し溶けて、水平線の上を歩いてける気分。考えなくたって、体の記憶がまた次の場所へいざなってくれるような気分……ってわかっていながら、テレビにもぐって「もっとわらかして! お笑い芸人〜」とリモコンポチポチやってるのも好きやけど。
 自分でも気付いてなかった自分に出会ったり、そのままの自分が出たり、願いだったりした想いが、形になってポツンと生まれて。それみてガッカリすることもあるけど、それを伝えたいと、渡したいと想える人がいるってことはやっぱり幸せっつうか喜びっつうか嬉しいことや。そんな時間だけで旅していたいとおもうけどね。

 五月八日は新宿ロフト〜ヒ―トウェイブ兄さん達とロフト三十路を祝うライヴがあるんだけど、ギター一発っ! 歌一発! ドラム一発!の一発一発の集まりが力強くてかっこいいバンドで。インザス―プはもちろんやけどもちろんやけど、ヒ―トウェイブカッコイイよ。みるべしっ!よ。

P.S.
今年の春はやたらとチュウリップが鮮明にたくましくみえます。 こないだ名古屋で見た時から。んでチュウリップって、空にむかってキス……というよりはチュウしてるクチビルに似てるからチュウ―リップって名付けられたのかなとおもったんだけど、違うやろな。ちとやらしくなっちゃうかな。そういうことにしとこうとおもいます。春だし。



<kokopelli=古代インディアンが残した岩絵に多く描かれているカチナ(精霊)のひとつ。ココペリが笛を吹くと、大地から緑が吹き出し、花が咲き乱れ、木々は生い繁り、花粉は風に舞い飛び、動物たちは次々と子供を産み落とす……ココペリは、発芽と豊穣の神的存在と敬われている。またメキシコでは、音楽を司る精霊として崇められていたり、またまた子宝の神様ということから女好きな神様という説も有るよう>……が、僕の肩に宿ってました。


06.3.28




 さくら、さくら、まだか、まだか〜、まぁだだよ―ってな今日この頃、いかが? おすごしか。
 日曜日、小学校の運動場では少年野球の試合がおこなわれていて、フェンスごしに見た。やっぱりどっか自信満々にみえる少年野球。やっばりね、世界一の野球国日本だもの、あんなに世界をもりあげたんだもの。審判や監督、コ―チ、大人たちの声も自信満々だ。ストライック! まわれまわれ! みっつ! みっつ! みっつ! ナ〜イスバッチン!! 砂埃の中、 ナイスピ―! かっこいいな野球少年。 ちと前まではサッカーにグラウンドとられて、端においやられてるようにみえた野球。今、王監督やイチロー、選手達の今までの野球へのまっすぐな気持ちが世界一っていう最高の形になって、それが少年野球にも伝染している。世界一になったのは僕ではないのに、フェンス越しに僕にもビリビリきている。他の誰かのまっすぐなビリビリに震わせられる。かっこいいんだ。
 自分にはなにがあるのかはさておいて、確かなビリビリ。僕のなかの踊り子が元気になる。イナバウア―をなんども決めて輝いてくる。それですぐになにかが変わるわけじゃないけど、とても大事な気持ちにおもえ、ありがたくおもえる。誰の心にもいるビリビリな踊り子は、そんな気持ちだけでおどってるんじゃなかろうかしら。捕まえられそうで捕まえられないけど、たしかにいる踊り子。捕まえられないからもどかしくもあるが、また走らせてもらえる。踊らせてもらえる。
 音楽もそうだ。ビリビリだ。そんな気持ちにさしてくれる音楽はたくさんあるが、ここ十何年僕のCD棚の一番いいとこ、クリーンナップを打ってくれているひとたちがいる。そんななかのひとりにヒートウェイヴというひとたちがいる。 十何年前、レコード屋さんで聴いてからずっとだ。そればかりを頻繁に聴いてきたわけじゃないが、いざというときそこにいてほしい音楽だ。僕の中の山男が震わせられる。ビリビリきすぎて車運転、停まってる車に突っ込んで事故ったことがあるくらいだ。いけないビリビリだけど、そんくらい山男が踊らされたりする音楽だ。今もまっすぐにビリビリをくれるヒートウェイヴの山口洋さん。トロフィーはないけど、この人も世界一の人だ。 んで! そんなヒートウェイヴとライヴできることにあいなった。その瞬間ビリビリだった。しかし一緒にやるっつうことは、当日はライヴあんまりみれないのに……なんでビリビリかっつうと、やっぱ同じステージでちっとでももらったもん返せるかもしれんなというおもいだ。
 五月八日新宿ロフト、そんなヒートウェイヴとインザス―プの夜をみんなにみてもらえるのがたのしみだ。みにきなさいよ。
 それぞれみんな世界一になれたらいいと思う夜だ。



向こうにみえるが世界一のヒートウェイヴの山口さん隠し撮り。ロフト打ち上げにて
向こうにみえるが世界一のギタリスト松田文さん。んで手前にみえるがこれまた世界一のイナバウアリスト、シオンさん



06.3.22




 ぽつりぽつりと梅の花咲いて枝、枝、枝に赤、赤、赤やら白、白、白。
じいさんばあさん、それを見上げちゃ歩いて見上げ、がきんちょ達が走りまわって塀にのぼっちゃ飛び降りて、豆腐屋ぱあぷぅ〜ラッパを鳴らす。カブトムシや蝉の幼虫は、もんぞとなんだか土の中で予感を感じてるんだろか。
春がきますよ 。
世田谷羽根木公園。
ゆっくりゆっくり進んでくもん達の夢だ。
なにやら予感に誘われてゆっくりゆっくり進んでくもん達の夢だ。
そうやって今があるんだぜって梅の花。
つぼみの時代を過ぎまして、花がふわりと咲きました。冷たい風や雨に流されて流されて流されても落ちなかったつぼみ達がみせてくれた夢だ。
花粉でボンヤリした頭で、んな景色を眺めては、あのじいさんばあさんガキンチョにはどんなつぼみがあんだろかとふとおもう。んで自分はどやろかと足元眺めるが、梅の木の根元とくらべるとなんとも頼りなく根元がふわりで、あ〜あとまた遠く見て一服。
梅がキレイだ。次は桜の番だ。

あせるな、あせるな。ゆっくりゆっくりって言ってる間においてかれるぞって、かまわんどうぞ、おいてって。 忘れた頃に咲いてるわ。宇宙で一人の、人間だ。 のっしのっしといけばいい。カタツムリのスピイドで、のっしのっしといけばいい。土星のわっかでカタツムリ。波紋の揺れを感じます。

本当のことはいつかわかる。だからあわてず口をつぐめばいい。とかいいながら、口は今日一日を嘘で補修したりして。 なるべくなら本当のことだけで、惑わすことなくいけたらいい。のっしのっしといけたらいい。
って、んなこと、おもった三月の梅がキレイ。



血管みたいでかっこいい




06.2.1




 2006年 明けました 僕は新しい携帯を買った。今までの奴はメイルが届かなかったり、つながらなかったりと不便なことが多かった。海外でも使えるっつうことでいつなんどき海の向こうへいきたくなるかわからんからと一年前に買ったばかりだったが結局いかずじまい。
 さすがのアメリカ製品でその日の気分でメイルを受け付けたり、受けなかったりされるもんだから、連絡事項も伝わらず非常に困った。はじめは外車みたいで、かわいいやっちゃとおもっていたが、この不確かなメイル時代にこりゃ使い物にならんとかえたしだいだ。
 しかしこの携帯会社、某ダフォン。人にもよるんだけどその日僕が受けた人はサービスが非常に型どうりで数々の不具合を並べた所、「アメリカ製品ですのでねぇ」とまるで他人事でもどかしい。悔しくなって「人としてみたいな所で携帯としてこれはおかしくないですか」とよくわからんことをならべてもスマッシュでこうきたらこうかえすを繰り返す。携帯会社だからといって人の口からも電子文字が飛び出さなくてもいいんじゃないかしら。なにをもとめていたわけでもないが、その人の前で僕がベルトコンベアの上にのっけられてたのがつまらなかった。
 クレイムはだすのもうけるのも不得意だ。んが僕がこの人の立場だったらかなりの流れ作業になってる確率70%くらいはいってんなとひき続きこの携帯会社から買った。
 
 2006年1月 サービスでおもいだすのは本屋さんのブックカバー、これいるかね。「カバーおつけしますか」とレジで問われる度に2つの絵がフラッシュバックする。1つは田舎の山々木々木々やら禿げた山。2つめは中学の弁当の時間。弁当をフタで隠して食べる女子。かわいさや恥じらいとは違うところに胸がキュンとしたあの絵だ。電車の中はあの女子中学生がたくさんだ。
 推測するにブックカバーの必要性は、大事な本の表紙を汚したくない、何読んでるか見られたくないってことだろう。前者、なら表紙は家で保管しとけばいい、後者、おもってるほど誰もあんたのことみてませんからーー! 残念っ! グリーングリーン いつまでも木々達に歌ってて欲しいカバー斬り!ってどうして今頃波多陽区。「おつけしますか」「あ、いいです」拙者、2006年1月、男らしいことしたっておもえたのこれぐらいしかない毎日ですから 切腹!
 2006年なんでもない日。ふと気持ちが軽くなったことがあった。ぽつんとしていると勝手にそうなった。
 遠くの街や人、匂い、今ある近くのものや景色、全部で自分だと実感できたときそれはとてもあたりまえのことでただそこにあった。 
 自分の足りない所、ポッカリ穴ばかりみすぎてたのかもしれない。
 自分のポッカリ穴だけをみてるとポッカリ穴はどんどん大きくなるばかりでそれだけの世界になってしまう。自分ではきずかなかったけど、みかねて天使が肩に手をおいてくれたんだなきっと。ちょっと前にみた映画「ベルリン天使の詩」な感じで。 
 2006年、そんな天使ともっと仲良くなりたいもんや。
             おわり





05.12.28




こんばんは 大晦日だ 12月 今年も1年が終わります。今年の一年振り返るとなんだか、運動会の練習をさぼってみつからんように友達と校舎の中を歩いた気持ちをおもいだす。。外では運動会の声がして、静まりかえった誰もいない廊下をあるいた。なんかありそうで結局なにもおこらなかったけど、リレーの出番までには戻らないとなっておもいながらただそこを歩いてるのがおもしろくて歩いた。そんなこと思い出した12月、大晦日だ。                         
あと今年出会った地元の秘境、誰もいない白い砂浜の海だ。ひっそりといまも月を浮かべて静かに波の音を山にひびかせているんだろうな。東京にいてなんども思い出しては心落ち着かせてくれた海だ。来年もその先もずっときれいでいてほしい海。
 子供の頃、よくじいちゃんやばあちゃんやらから教えてもらった近所の海や川の昔。僕がものごころついた時には工場の汚水でヘドロ川だったその川も昔は泳げて魚がたくさんとれてきれいだったって教えてくれた。工場も人の生活潤わしたり、楽にしたりするんだろうけど川をヘドロにしてまでやることでもないんだろうとおもう。出会った頃からヘドロだったから、それはそれで石を投げてヘドロとばして遊んだりはしたけど、できたらきれいなほうがいい。 そんな地元だから手つかずのそのまんまのきれいな海があってくれたのが嬉しい。                   
 3000年、4000年と川やら海がきれいになっていけばいい。 
          
 来年用の新しい手帳を買った。この冬を歩くブーツも買った。手帳には『人生レール』って歌の歌詞を一番最後のペイジに歌うみたいに書いた。なんてことない歌だけど最近頭の中でよくながれてたし、スケジュールだけで埋まってくのはおもしろくないから2006年の手帳に書いた。
 もう5年くらい続いてるこの連載、はじめてくれたB-PASSの編集長の田中さん、卒業するっつうことで、田中さんとこれを読んでくれてるみんなに、2005年の大晦日よりこの歌をおくります。歌うみたいに読んで下さいな。2006年もよろしくね。 

 『人生レール』

   人生レールの上をシュッポポッポッポー 
     走っていこうかのらりくらりと
   人畜無害にいくだけじゃ寂しい
    たまには人をきずつけて 
       たまには人にきずつけられて
    
   瑠璃色の空にとけて走りたい
    のらりくらりの道草もいいね
   だけどもっと目を見開いて
    表通りにあきたなら
       お酒の匂いの裏通りもいいね      
 
    切符は切られた そろそろいこうか   
   悲しみを燃料に変えて 
   苦しみを燃料に変えて
       
   
   でっぷり太ったサラリーマン
    息くるしそうに眠ってる 
   いつかはどっかで待ち合わせよう
    一緒にうたを歌えたらいいね
   すしずめ電車を追いこして
   1973年生まれのこの列車は
     走る意味もわからないまま 
      終着駅がどこなのかもわからないまま  
    暗闇手探り走ればいい
     妙にリコウにならないように
    
   切符は切られた そろそろいこうか
    悲しみを燃料に変えて
   苦しみを燃料に変えて
    
    夢という終着駅へ
      永遠という終着駅へ







05.11.28更新



 あっというまに11月だ。
 いかがおすごしですか。
 夕焼けに立ち止まることの多い季節だ。
 いい季節すごしてますか。
 秋をちょいとすぎて、思い出すのは都会のすきとおる遥かな夕焼け、落ちる枯れ葉、飛んでく鳥、光るビルディングです。朝焼けもいい。 なんだろか朝焼けや夕焼けのあのしずけさは。その中にいると落ち着いてくる。素敵だ。照る照る太陽の昼でもなく、ネオンや星をつれてくる夜でもない、どこかへつれていってくれそうな遠い遥か。いいようも無く答えもなく、ただただ見つめるだけの時間。許されてくような、人や街や出来事をもうちっと好きになれそうな感じです。そんな気持ちに触れられるおかげで出来る我慢があったり、無理だとおもってたことがほんの少し前のほうにいけたりするのかもしれんな〜とおもう、たった今だ。 
 
 なんでもない日、街を歩いてるとふと呼ばれたのは建物と建物の間の隙間。ボロっちい家につるの葉が伸びて西陽が当たる。なんでもないそんな隙間。なんでか少しわくわくする。探検しにいく年齢でもないし、不審人物だともおもわれたくない。とりあえず携帯で写真を撮ってまた別の隙間を探して歩く。
 子供の時はそんな場所があると入っていって確かめたくなる。なんがあるわけでもないのにそこを歩いてみたくなる。友達同士だとなおさら燃えて自分らが探検隊のようにおもえたりして、蛇の抜け殻見つけて、おおっ!ってなったり、ここはどこどこにつながってるんじゃないかと推測したりして興奮したりしてた。 ジャッキー・チェンを真似して壁と壁に手と足をついて登ったり落書きしたり虫を探したり、わくわくがいっぱいあった。ここは入れないなって路地もあった。薄気味悪くて嫌な感じがする所。ちょっとやめとこうと後回しにして、でもやっぱり気になって覚悟を決めて1人で足を踏み入れてみる。黄色や黒色したでかいクモが巣を張って通せんぼをしていて、なんとも言えない気持ち悪さで怖くて降参したくなる。何度も降参をしてきてみじめな気分は知っている。そのたんびに宿題が溜まっていくような気分。なかったことにしようとしても、心の中で薄気味悪い場所はどんどん薄気味悪くなっていく。よっしゃと腹ばいになってクモの巣をくぐり抜ける。あの黄色黒色のクモが張った巣は境界線だった。薄気味悪い場所は薄気味悪い場所だけど、それまでみたいに脅かされなくなったし、黄色黒色のクモも仲良くはなれなくても悪い奴じゃないなくらいはおもえた。そんだけでちっとだけ勇者な気持ちにもなれた。誰に言うわけでもない自分の中の勇者な気分。クモの巣を越えられるか越えられないか。いつまでたってもそんなことの繰り返しや。   
 なんでもない日。壁と壁の隙間に入らなくなった、クモの巣も昔よりも怖くなくなった。だけど今の僕には僕のクモの巣があるんだってこと、ちっとしたことで気持ちは変わるってこと、勇者の気持ち、それの気持ちよさ、おもしろさ。だよねって僕を呼んだ都会の壁の隙間だ。



だんごむしがいそうだ あの板をひっくりかえしたい
遊ぼうって隙間妖怪が呼んでる
隙ー間から〜見上げてーみたーんでーすー
冬が来るね




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